現実と政治・社会の未来 再論(1)
- 2012年 12月 19日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
福島で開かれたIAEA(国際原子力機関)の会議への福島の女性たちの抗議行動支援の帰りのバスの中で選挙結果についての一報を聞いた。18時を少し過ぎたところだ。自民党と公明党が三百に迫り、民主党は惨敗だということだった。ほぼ、この通りだった。この種のことに関する報道の調査の正確さに驚かされる。帰宅したのは午後も10時過ぎで選挙報道の最中だった。いつもなら、目を釘づけのようにしてテレビ報道をみているが、ちらりと見ただけで早々に寝た。いつもは結構遅くまで起きているが、本を読む気にもなれず布団に入った。なかなか寝付かれず重苦しい雰囲気の中でまどろんでいた。しばらくはこの気分は続くのだろうと、思う。
今回の選挙結果は民主党政権に対する反動であって以前からある程度は予測されていた。民主党が政権の座に着くや自民党政権と変わり映えのしないことしかできないことに政権交代への希望は失望に変わった。これが底流にあったことと言える。その上に選挙公約を反故にして恥じない態度がそれに輪をかけ失望は怒りの意識になった。権力の座についたら野党時代の選挙公約が修正されたり、変えられたりすることはあり得る。その場合にはその修正や変更のプロセスを説明する必要がある。それをしなければ政治的不信は生じる。政権の中枢を構成した民主党の面々はこの点についてあまりにも不誠実であった。政治家の基本的な信頼が損なわれたのでありその点について無自覚だった。
民主党政権がこの体たらくであった本質的な問題は民主党の中心メンバーが結局のところやりたいことを持っていなかったということに尽きるように思う。
政権は現実に様々の問題が生まれてきてその処理や対応に迫られる。大震災や原発震災などはそのいい例である。しかし、この過程で自己の政治的構想やビジョンがまた問われるのである。民主党政権にはかつての全共闘運動等の周辺にいたメンバーもいてこの点には興味を抱いていたが、その点では失望しかなかった。確かに民主党政権はアメリカ民主党のオバマ政権と協調できると踏んでいたきらいがあるが、アメリカ側は日本の民主党政権への警戒心と敵対を隠さなかった。普天間基地の移転先が辺野古であるという日米合意の見直しを求めようとしたことへの敵対がその最初の具体的ならあらわれであったが、その日後には東アジア共同体構想への批判があった。鳩山由紀夫や小沢一郎の「政治資金法問題」での排除と民主党の変質がその動きとして続いた。これらに対して民主党で政権の中枢を形成した部分は何もできないだけでなく、アメリカや官僚の動きに手を貸したのである。この辺は民主党政権の変質過程として今後に記憶しておくべきことである。
こうした中で僕が考えてきたのは政治的構想やビジョンと政治の根幹にあるものの現在的な存在に難しさということだった。それは既存の政党や政治家の中に見いだせない。期待すれば失望に変わるだけだ。それはどのように形成可能か。それをどのように形成しえるかを自己問答し続けてきた。これは現在も続いていることであり、他者に期待しても致し方のないものであり、自分で応えて行くしかないことだ。それにしても、その点の自覚もないようにしか見えない存在しかいないことに現状の政治への絶望があった。
僕は民主党に対する反動を予想しながら、自分の政治的希望を運動の中でつないでいこうとしてきた。それは脱原発等の運動の中でということであり、そこに可能性を託してきた。現在を超えて行く政治的構想やビジョン、それを理念やイデオロギーというように考えれば、それは絶えざる現実の運動の中からしか形成しえないというマルクスの言葉にそってきたということだ。しかし、ここにはもう一つ歴史の流れとうとうか動向というかその媒介が必要であり、それはどのようにして手に入るかが重要だ。この点は今のところ考え続ける中でしか手には入らないというしかない。
こういう現状の中では自民党政権への復帰が確定したからといえども、それに対し危機感で対抗するだけで済ませようという気にはない。自民党政権の掲げる政治的構想やビジョンは反動的なものでそれは重苦しい圧迫感のあるものである。言うなら否定的なものであるが、この否定のうちに同時に自己の政治的構想やビジョンの生成を入れて行きたい。
僕は今回の自民党政権の政治的構想やビジョンをかつての小泉―安倍路線の復帰というように考えており、その骨格は変わらないのだと思っている。民主党政権はなし崩し的にこの政権への復帰を遂げていたのであって、政治内容という点をみればさして変わらなくなってきていたのだ。これは上記で書いたように日米同盟深化と言う名のアメリカ支配への従属の道を進め、日米関係の見直しを放棄して行ってことと重なる。自民党が改憲をここまで露骨に掲げるかどうかを別にすれば、集団自衛権の行使の容認などは民主党政権も認めようとしていたことなのだ。だから、僕らはもう一度、この辺にまで帰りながら日本の政治的将来を考えて行かなければならない。政治的未来の考察のためにはこの程度の射程を持った振りかえりは必要である。
外政・内政・権力運用という大きくは三つの枠組みの中で現在の政治的展望を論評して見たいと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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