今こそ「小日本主義」を広めるとき -安倍首相の「危機突破内閣」に抗して-
- 2012年 12月 28日
- 時代をみる
- 安倍内閣安原和雄社説
安倍首相が舵取り役の「危機突破内閣」が発足した。先の総選挙で自民党は大勝したとはいえ、内実は決して安泰ではない。タカ派のイメージが強すぎる。それをむしろ「よいしょ」と支える論調もある。
101歳という高齢でなお健在の日野原重明・聖路加国際病院理事長の苦言にむしろ耳を傾けたい。それは軍事力を棄てる「小日本主義」のすすめである。これは敗戦後間もない頃、首相の座にあった石橋湛山の持論で、日米安保体制下で軍事力重視の強国へと暴走しかねない安倍政権をどう抑え込むかが今後の注目点になるならざるを得ない。民意による批判、監視の目を光らせる時である。(2012年12月27日掲載)
▽ メディアは安倍政権発足をどう論じたか
まず大手紙(12月27日付)の社説を紹介しよう。
*朝日新聞=安倍内閣発足 再登板への期待と不安
*毎日新聞=第2次安倍内閣 「自民の変化」示す政治を
*讀賣新聞=第2次安倍内閣 危機突破へ政権の総力挙げよ 「強い経済」取り戻す知恵が要る
*日本経済新聞=安倍自民の力結集し政治の安定を
*東京新聞=第2次安倍内閣発足 謙虚さをいつまでも
上記の社説の見出しからそれなりに推測できるような内容の社説といえる。読まなくとも社説の筋は読み取れると言っては失礼だろうか。むしろ注目したいのは社説ではなく、讀賣新聞(27日付)一面に掲載された橋本五郎特別編集委員の署名入り記事、「拝啓 安倍晋三様 非情の宰相であれ」である。その骨子は以下の通り。
「政治とは可能性のアート(芸術・技術)である」。鉄血宰相、ビスマルクの言葉です。安倍さんには5年前、不本意にも退場せざるを得なかった挫折の経験がある。ならばこそ「芸術としての政治」を見せてほしい。
安倍さんには「タカ派」のイメージが付きまとっている。海外からも「右傾化」との指摘がある。そんな単純なレッテル張りを気にする必要はない。
国益を守ることには毅然とした「タカ派」でなければならない。その一方で決して一本やりの強硬路線ではなく、戦略的な「しなやかさ」が求められる。
心配なことは、安倍さんが優しいことで、マキャベリは、君主は「憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない」と書いている。
安倍さんが仕えた小泉純一郎さんの政治の特徴は「四つのない」にあった。一度決めたら「変えない」。事を決するにあたり「迷わない」。人の意見を「聞かない」。人に「頼まない」。小泉さんに倣い、確信したなら断固、非情に振る舞ってください。
<安原の感想> タカ派首相は平和憲法理念になじまない
我がニッポンもついに鉄血宰相、ビスマルク(1815~1898年、ドイツの政治家。1871年ドイツ統一を達成、帝国初代宰相となる。社会主義運動を弾圧する一方、社会政策を推進)を持ち上げる記事が登場する時代へと変化したのか、という思いが消えない。日本版ビスマルクの行動スタイルは、以下の4つに集約できる。
・「右傾化」というレッテル張りを気にする必要はないこと
・国益を守ることには毅然とした「タカ派」であること
・君主(日本では首相)は「恐れられる存在」になること
・元首相、小泉流の「非情の振る舞い」が重要であること
これら行動スタイルの勧めは、日本をどこへ誘(いざな)おうとしているのか。その一つは人権、平等、民主主義の否定あるいは一層の弱体化であり、それにとどまらない。平和、非戦への脅威も高まる。いずれも日本国憲法の基本理念の骨抜きに通じかねないだろう。安倍首相のタカ派ぶりがどこまで進むか、監視の目が離せない。タカ派首相は、日本国憲法の民主主義、平和などの基本理念とはどこまでもなじまないことを強調しておきたい。
▽ 日野原翁の「小日本主義」のすすめ
101歳の日野原重明・聖路加国際病院理事長(注)は毎日新聞朝刊(12月24日付、聞き手は伊藤智永記者)で「今こそ<小日本主義>を」と題して一問一答形式で安倍政権の選択すべき路線について注文をつけている。日本の敗戦(1945年)後、首相の座についた石橋湛山(1884~1973年)がこの記事で紹介されているが、その湛山は小日本主義につながる「小国主義」を唱えたことで知られる。一問一答の趣旨を以下に紹介する。
(注)日野原重明(ひのはら・しげあき)氏は、山口県生まれ。キリスト教牧師の家庭で育ち、京大大学院修了(医学博士)。聖路加国際病院長を歴任、予防医学や終末医療などの功績で文化勲章を受章。
(1)「非戦」に徹すれば、誰も日本を攻撃しない
問い:大陸国家・中国は、経済大国になるにつれ海洋への軍事圧力を強めている。
日野原:湛山は帝国主義の時代に、領土・勢力拡張政策が経済的・軍事的にいかに無価値であるかを論証し、領土は小さい「小日本」でも、「縄張りとしようとする野心を棄てるならば、戦争は絶対に起こらない、国防も用はない」と喝破した。日本が軍備を完全になくせば、どこの国が攻撃しますか。湛山は「道徳的位置」の力と言っている。
問い:無防備で対処する?
日野原:そう、裸になることよ。
問い:沖縄の米軍基地も・・・
日野原:サイパンかグアムへ移す。資源もない丸裸の沖縄なら、世界の非難があるのに、誰が手出しできますか。できやしない。
問い:自衛隊は?
日野原:専守防衛に徹し、海外派遣は災害の救助に限定する。
問い:旧社会党の非武装中立論に似てますね。しかしあれは非現実的な政策だったとして、歴史的に否定された。
日野原:よく似ているけど、社会党は中途半端だった。もっと徹底してやるんだ。私は今また、そういう運動を世界中に起こしたいよ。ドイツの哲学者カントが晩年、「永遠平和のために」という本を書いたでしょ。そこで「非戦」という思想に到達している。休戦協定や平和条約で「不戦」を取り決めるだけでは不十分なんだ。
(2)湛山の「小国主義」は小欲を棄てて大欲をめざす途
問い:領土には心の問題も絡む。韓国人にとって竹島は、植民地化の記憶と重なる歴史認識問題のシンボルです。
日野原:日本側が純粋な心を示して解きほぐすしかない。それが愛というものよ。
問い:必要なのは、愛だと。
日野原:愛の徹底には犠牲がある。寛恕。自分が自分の過ちを許すように、相手の心も大らかに許す。今の政治や外交には愛がないね。損得条件の話ばかりで、精神がない。
問い:排外的なナショナリズムが勢いづいている。
日野原:日本も多民族国家になることが必要だ。中国、韓国、米国、インドなど世界中の人たちと血が混じり合っていかないと。民族のよろいを脱ぎ捨てて、裸になる。大和魂だけ言ったって、世界には通じない。
問い:小日本主義には、経済成長否定かと反発もある。
日野原:湛山の「小国主義」には、国内に縮こまるという意味では全然ない。外に領土や軍事力をひろげるのでなく、人材をどんどん輸出して世界に人も心も開いていく。日本の資源は人間だから。帝国主義時代に、「(植民地主義)の小欲に囚(とら))われ、(平和貿易立国の)大欲を遂ぐるの途を知らざるもの」と看破したんだから、偉いもんだ。全然古びていない。むしろ、今の政治の世界にこそ現れてほしい。
<安原の感想> 今こそ「小日本主義」を広めるとき
政治記者の首相会見での質問をテレビで見る限り、骨太さや鋭さにいささか欠けてはいないか。穏当な質問が目立つ。首相の心情としてタカ派的思考があることは明白なので、なぜそこにメスを入れる気構えで問いつめないのか、不満が残る。
「首相はドイツの鉄血宰相をどう評価するか」といささか意表を突く問いかけがあれば、なおおもしろい。安倍首相が平然と自身の「鉄血宰相論」を開陳すれば、賛否はさておき首相株は高騰したかも知れない。
小日本主義論にしても同様である。首相としてこれに同調する姿勢は想像できないが、質問してみる価値は十分ある。小日本主義論すなわち「小国主義」には二つの今日的視点がある。
その一つは不戦ではなく、非戦であること。ドイツの哲学者カントの徹底した「永遠平和論」がその源(みなもと)である。もう一つは植民地主義に囚われる小欲ではなく、平和貿易立国という大欲への途である。この大欲は軍事力を背景にしない。平和憲法の非武装という理念を生かす平和貿易立国の途であり、「小日本主義」を広める道である。
安倍政権はこれら小国主義には背を向けるだろう。半面、日米同盟すなわち日米安保体制の維持・拡充には異常な熱意を見せており、そのことが安倍政権の希望的願望に反して自らの寿命を縮めるほかないだろう。
参考資料:安原和雄「二十一世紀版小日本主義のすすめ―大国主義路線に抗して」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第24号、2005年1月)
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(12年12月27日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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