改憲と原発への反対は少数派 ―2013年元旦6紙を読む―
- 2013年 1月 4日
- 時代をみる
- 元旦半澤健市社説
《改憲と原発をどう書いているか》
元旦6紙読み比べは4回目になる。
改憲と原発の取り上げ方に注目して読んだ。今年の最大テーマだと思うからである。経済第一は極右政権の擬態である。各紙とも本紙と別刷りで構成している。別刷りは「ラジオ・テレビ番組」、スポーツ欄、新産業、国際化した日本人の紹介などである。本紙は一面トップで特色を出そうとしている。イデオロギーは「社説」に現れるから、本稿はその紹介と評価が主になった。
「「日本を考える」を考える」と題する「朝日」社説は、「日本」を主語とする最近の政治言説を批判して「国家の相対化」を説いている。EUにおけるギリシャ問題、カタルーニャやスコットランド独立運動などの動向は意識しながらも、橋下徹の「国全体で経済の成長戦略を策定するのはもはや難しいと僕は思っています」、マイケル・サンデルの「民主制の不満」、などを引用して「国」を中心にする発想を転換を説き次のように結ぶ。
〈国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナシヨナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての「日本」を相対化する視点を欠いたままでは、「日本」という社会の未来は見えてこない〉
国家の相対化が21世紀の趨勢であろうと私も思う。しかし現在の日中・日韓・日朝関係の下で、しかも日本政府はその解決を日米同盟や集団的自衛権によろうとしている今、この主張は現実離れしている。私は、対中関係を悪化させた者たちを糾弾しつつ、対米自主路線を確立することが解決策だと思っている。日本を護る気のないアメリカを信用しているから、近隣諸国にナメられるのである。孫崎享の『戦後史の正体』が好評の理由は何か。偏狭と寛容のナショナリズムの区別は難しい。しかしナショナリズムを「相対化」の一言で退ける姿勢は問題からの逃避である。対米従属からの脱却は、明治の先達のようにで不平等条約を廃止する戦いである。「斜陽の帝国」に立ち向かうことである。67年の戦後から脱却する命がけの仕事である。民主党の敗北は外交政策の誤りではない。「命がけ」でやらなかったという誤りである。
《産経と読売の元気》
「産経・年のはじめに」における論説委員長中静敬一郎の論旨は明快である。「憲法改正を掲げる政治勢力が国政の担い手となり国のありようを正す動きが顕在化してきた」と評価し次のようにいう。
〈東アジアの安全保障環境は様変わりした。中朝と日米韓が厳しく対峙する構図だ。ロシアも微妙にからむ。「独裁中国」を中心とする勢力が覇権を求め、それに「民主主義と自由」を守る勢力が立ちはだかる」、「日本人が覚悟を決める時だ。日米同盟を堅固にして抑止力を強める。そして心を一つにして中国の圧力をはね返すこと、である〉
これは第二次大戦の「ファシズムVSデモクラシー」の戦い、戦後の「自由な民主主義VS独裁の共産主義」、即ち東西冷戦の構図そのままである。イデオロギー丸出しの論理である。産経の一面トップ「中国の野望にくさび打て」は、防衛省が策定中という「統合防衛戦略」の紹介だ。10~20年後の有事シナリオで、「尖閣・石垣・宮古・台湾」に中国軍が侵攻する三つのケースを想定し1面と3面を使って詳細に報道している。「正論」という長いコラムでは曽野綾子が「幼児性と画一性脱し強い国家に」で持論を展開している。産経は「国民の憲法」起草委員会(委員長田久保忠衛)を設けて議論を進めているそうだ。服装評論家市田ひろみと田久保の対談は見開き2頁を使って改憲の必要性を訴えている。
産経の言説を貫いている思想は「強い日本」の確立である。
私はこういう言動に十分な警戒が必要だと思っている。当ブログ読者は、おそらく、まだ事態を甘くみているのである。しかし確信犯である彼らは増大している。私の造語「12/16・反革命」はまだ市民権を得ていないが、先12月の総選挙で自民党と維新を勝たせた民意には「産経的心理」がしぶとく沈潜しているのである。居酒屋ではジョッキ片手にインテリも大衆も「中国にナメられるな」、「サムソンに負けるな」と叫んでいる。私は複数友人との会話でこのことを痛感している。
「読売」社説も、現状を「国の衰退、先進国からの脱落の危機」と認識して国力の回復を論ずる。底流はここでも「強い日本」主義である。読売の特色は時の政権への迎合である。去年は野田政権に全面賛成だったが、今年は安倍政策ベッタリ、どころかその先まで行く。安倍のいう三本の矢「金融緩和・財政出動・成長戦略」を「妥当な考え方だろう」とし、脱原発に真っ向から反対する。しかも、原発新設という選択肢も「排除すべきではない」と書く。脱原発は日米同盟を軸とする防衛力にも影響するからである。TPPにも早期に参加を表明すべきだとハッパをかけている。
「御用新聞」とは何かを知りたい人に、読売社説は格好なテキストである。読売の第一面に「農水秘密サイバー流出か」の記事がある。スクープのつもりらしい。野田・オバマ会談時のTPP交渉に関する文書などが筒抜けになったという。私は情報統制への観測気球であろうと読んだ。
《東京の原理主義が新鮮である》
「日経」社説も日本の国力が落ちているのを懸念して、回復のための三つの目標を設定せよという。GNI(国民総所得=GDP+海外投資利益)、イノーベーション立国、共助の精神である。政治を安定させ、対中関係については日米同盟の深化、アセアン諸国との提携による対中包囲網の構築を図れという。
「毎日」社説は、「強い日本」指向と少し異なる。バランス重視の思考である。経済と外交を論じて、日本経済は既に「成熟化」した。人口減・高齢化、新興国の追い上げ、環境制約が原因である。成長戦略は必要だが、高齢者から若者への富の分配を強調する。外交を論じて、戦後の平和が不戦の「誓い」と安保体制の両者で維持されたとする。戦前の、排外主義的な「強硬路線」と妥協主義的「協調路線」の対立は前者の勝利となり軍国主義化が進み無謀な戦争につながった。
そして協調外交による解決を主張する。内政、外交ともに「互譲と互恵」がキーワードである。ただ「力による現状変更を仕掛けてきているのは明らかに中国であり、日本はあくまで対話と法理で問題解決を図ろうとしている」というのが現状認識である。私は違和感をもつ。いずれも現実を単純化し過ぎている。「毎日」の第一面記事は10基を超える原発の防火設備に不備があるとして経産行政を批判的に報じている。
「人間主義を貫く―年のはじめに考える」と題する「東京」社説は、6紙社説のうち一番「原理的」で「平和主義的」である。07年、安倍第一次内閣の同紙元旦社説「新しい人間中心主義」を再論する含意がある。「いざなみ景気」はジョブレス・リカバリーで人間中心の景気回復ではなかった。脱原発と新エネルギー開発で大規模な投資と雇用が期待できる。管直人内閣参与だった評論家松本健一は、3・11を経験したのち、復興ビジョンを提示した。社説は松本の考えを紹介してこう書く。「原理的」の所以である。
〈西欧の近代は自然を制御、征服する思想。今回の大震災はその西欧の限界を示しました。(略)近代思想や経済至上主義ではもう立ちゆかない、自然と共生する文明のあり方を模索すべきではないかとも言います。近代文明を考え直す。そこに人間中心主義が連なっています〉
外交に関しては、石橋湛山が植民地放棄を論じた「一切を捨つる心」を引いて平和主義を主張する。新聞の戦争協力への反省も忘れない。結語はこうである。「平和主義的」の所以である。
〈湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません〉。
《観世清和・坂東玉三郎対談》
他にもいくつか注目に値する記事があった。二つだけ挙げる。
一つは日経別刷り「第三部」(文化面)の観世清和・坂東玉三郎対談、二つは朝日本紙5面の米経済学者ロバート・ライシュへのインタビューである。ライシュは中間層の復活しかないと論じている。対談は芸を極めた二人の言葉が凄い。特に玉三郎の研究心に圧倒される。ほんの一部を引いておく。
玉三郎 「道成寺」は3年前にやめました。どこかでけじめをつけないと切りがなくなるし、周りもとめられない。どんどん悪いところへ行ってしまう。
司会 古典芸能は現代で一番失われている領域かもしれませんね。インターネットでわかる世界とは違う。
玉三郎 どうしても生身で会わないと。
観世 人間国宝の小鼓の幸祥光先生が、乱拍子のレコードを吹き込んだ。終わった後にテープを聴き「これでは、だめだ」。なぜですか、と問われて「無言で息を止めている『込(こみ)』のところが入っていない」。「先生、音として入りませんよ」「いや、これじゃだめだ」。そういうことで没になったということです。
玉三郎 気なんですね。
玉三郎 人様に喜んでいただくものを見せる人間は地獄をみなくてはなりません。人生の地獄かもしれない、あるいは稽古の地獄かもしれない。どこかで地獄の境に足を踏み入れなければ、演じ手は人前に立てません。残念ながら、それが最低条件なのです。
観世 同感です。
玉三郎 稽古で地獄を見れば、そこから何か出てくる。世阿弥は「まことの花」といいました。真実の芸に到達できたとき、その経験が丸出しになる。若いころにはわかりませんでした。
観世 やはり突き抜けないといけません〉。
《問題設定は体制側が決めている》
私は「改憲と原発の取り上げ方に注目して」読んだ。
「産経」、「読売」など「改憲」と「原発維持」勢力が威勢がよい。「改憲」と「原発」に反対を示したのは「東京」1紙であった。いまや問題設定―これぞ真のアジェンダである―は、体制側が決めている。メディア側は押されっ放しである。マスメディアの有益な情報量が減少の一途を辿っている。以上が2013年の元旦6紙読後感である。
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