現実と政治・社会の未来 再論(4)
- 2013年 1月 8日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
花見酒の経済という言葉を思い出したが…
若い人たちはあまり知らないかもしれぬが僕らの年代ではよく知られた言葉が「花見酒の経済」である。1960年の後に池田首相は「所得倍増計画」を打ち出し高度成長ははじまっていた。1962年に当時朝日新聞の主幹であった笠信太郎はこの高度成長に疑念を提示し、「花見酒の経済」という論評をしたのである。これは信用膨張によるバブルであって正常な経済成長ではないのではないか、という懐疑だった。この論評はその後の高度成長の進展でハズレといえるが、バブル経済とその崩壊であたったとも言える。1960年年代の初めのころと現在とでは経済規模も枠組みも違うから、この経済評はそのまま用いられないが安倍政権の経済政策の行方を示唆するところが多分にあると思う。
安倍の経済政策はアメリカの金融政策を模倣しての金融緩和政策である。もともと資金需要のない所に資金を供給するというもので、これは資産価値の動きに停滞を感じている部分を刺激しある領域の経済活動を活性化するかもしれない。しかし、実体経済の停滞を変えることにはならないし、実体的で持続的な消費を呼び起こすことにはなりはしない。デフレ脱却というがデフレの基盤をなす実体経済の活性化につながらないのである。経済成長を幻想しながら、実際は公共事業に金をばらまき、国債残高という国家借金を増やすだけである。
いずれ増税かハイパー・インフレとなるだけである。そうなる以前に経済政策の修正を余儀なくされるだろう。財政再建や財政規律の維持という声がこの経済政策の修正の動きとして出てくるだろうが、こういう無駄な試みで経済は混乱し、これに踊った人たちは経済負荷を負うことになるように思える。
「花見酒の経済」には下敷きとして江戸時代の落語がある。花見に酒を売って儲けようとした熊さんハさんが借金してしいれた酒を自分たちで飲んでしまったという話である。商売用に仕入れたお金を飲んで借金が残ったという落語であるが、笠はこれを枕言葉にしながら、日本の経済的な高度成長《1962段階はその初期》が信用膨張によるバブルになるのではないか、と懸念していたのである。ここでの信用膨張による好景気《経済発展》は社会的貯蓄と生産による経済発展《高成長》ではないと指摘していたのである。この時代は消費が過熱することで生産に回る資金が窮乏するという危惧も強く、また戦後のアメリカ経済の力も強かった。日本では国債の発行は始まってはいなかった。日本が国債の発行を始めるのは1965年である。笠が論じていた時代と現在とでは経済構成や経済環境が違うのだからそのまま経済動向の分析には使えない。1)現在では従来の<生産と消費>を対抗的に考えていた段階から消費も生産という概念に組み入れて生産や再生産を考えざるを得ない。2)通貨は管理通貨制になり、大なり小なり国家は国債残高という国家の借金を抱えている。3)アメリカ経済の圧倒的力を背景にしたドル基軸通貨もそれに対抗して出てきたユーロも揺らいでいる。ドルやユーロの揺らぎは基軸通貨そのものの存在に疑念を生んでいる。
ほかにもいろいろあげられるだろうが、現在の経済環境は1960年代の初めと変わっているが、非常に大きな差異は二次産業経済の発展による経済成長ということが不可能になっていることであり、先進地域と呼ばれたところでの経済の停滞や衰退はここに起因することである。これは世界史的な経済展開において生産(消費も含めて)の概念や枠組みの転換が不可避になっている。景気後退やインフレ、あるいはデフレ等の経済概念が経済動向や経済発展の分析に有効ではなくなっているのだ。金融を緩和して市場に金を回すという方法は昨年の1月からアメリカが採用している経済政策である。これはサブタイムロ―ンで行く詰まったアメリカの住宅問題の形を変えた延長であり、早くも見直しやストップが議論され始めていることである。アメリカがドルを増刷して供給すれば必然的にドル安=円高になる。これを是正するために日本もアメリカと同じような円の増刷をやれば、確かに円安=ドル高になる。この日米協調の通貨供給の動きはユーロにおける中央銀行の通貨対応とあいまって、世界的なインフレ策、経済刺激策であるが、これらの地域が抱えている高度成長後の経済転換という課題に応えるものではない。管理通貨制の下で共同して通貨を増しインフレを喚起するだけである。もともと資金需要のいらない地域で資金の過剰供給をするだけのことだが、これは国家的な借金として残る《国債残高》だけである。アメリカやEUではまだ基軸通貨ということが残っているが、それのない日本がその矛盾を直撃されることもあり得る。公共事業と言う名の土木事業くらいしか財政出動の考えられない事態の中での金融緩和政策のもたらすものは明白ではないか。金融政策や財政政策によって景気を刺激することで好不況の波を調整する経済政策が一時的な効果はともあれ、少し長いスパンでの有効性を失っていることを知らねばならない。経済政策の転換は歴史的なものであり、国家の有効需要創出では空転するだけである。花見酒と言っても熊さん八さんのレベルから国家的なものまで様々だろうが、酔いには良いことがあまり残らない事を留意すべきだ。僕は花見も花見酒もきらいではないが、悪酔いのしない酒でやりたいものである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1137:130108〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。