小沢一郎事件は終ったのだろうか
- 2013年 1月 24日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
「政治資金規正法違反」の容疑に問われた小沢一郎の裁判は無罪が確定した。そして選挙では自民党が圧勝した。これには一見すると何の関係もないように見えるがそうなのだろうか。世の中はそのように受け取られて行ってしまうのかもしれない。そんなことはあるはずはないのだが、そうした現象は僕らをなんとも言えぬ気持にさせてしまう。これが権力の恐ろしさ何だろうとは思うがやりきれぬ思いを募らせてしまうのだ。
小沢一郎を政治的に排除する。民主党が政権にある間は政治的監禁状態にして置き、民主党の指導部を変節させる。そこまでが権力の構想したプログラムであったのかもしれない。自民党がここまで圧勝するとは思っていなくて、自公民の政権をという構想だったのだろうか(?) それが民主党の指導部というか、そこに巣くう面々のあまりの政治的だらしなさが彼らの構想を超えて自民党の圧勝を結果させてしまったのだろう。だが、今さらこんなことを詮索しても致し方ない。僕らはこの間の小沢排除の政治劇をしっかりと脳裡に刻み込んで闘いを継続するしかない。これは本当に細い糸のように困難なことである。
だが、どれほど細い糸であろうと可能性のある限り、闘いは続けられなければならない。僕には不思議というか、どうしても納得が行かないことがある。何故、民主党の指導部の面々は小沢(鳩山も含めて)排除に狂奔し、民主党の党内一致の体制を取らなかったのであろうか。チャンスはいくらでもあったはずである。大震災や原発震災はその機会だった。菅直人は小沢=金権政治家と言うイメージでその排除で自分も民主党も人気は上昇すると考えたのだろうか。あるいは民主党の圧勝劇から自分たちの権力の座は安泰と高をくっていたのか。あるいは秘密裡に権力との取引があったのか。もっと積極的に小沢を政治的監禁状態において置くことに協力したと憶測できないでもない。検察審査会の起訴をめぐる不可解な事態はそれを十二分に裏図けるものだと思う。これは自分なりに探求したい課題として残したいが、それにしてもこの権力のシナリオは巧みであったというほかない。西松建設事件から「政治資金規正法違反」事件までは二つのステップがあった。前者は厚労省事件も含めて民主党が権力の座に就くのを阻止するためのことであり後者は政権交代後のことである。さらにいえばこちらも検察が小沢一郎の起訴を追及している段階と検察審査会で起訴に持ち込む段階がある。僕らはいづれも小沢一郎の政治的監禁(排除)が権力の目的であったことを記憶しておかなければならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1153:130124〕
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