現在に対する見識と構想を -いくらか長めの論評(1)~(5)
- 2010年 9月 15日
- 評論・紹介・意見
- 三上治
いくらか長めの論評(5) 9月14日
民主党の代表選は菅の勝利で終わった。これはある程度予測できたことだが党員やサポータの票がこれだけ開くとは予想外であった。現職の総理大臣であることやマスメディアの有形無形の支援が功を奏したのだと思う。結果は雨降って地固まるになるか、政界再編の始まりになるかは予測できない。この代表選を通じて僕が期待していたのは菅と小沢の両氏が政治的見識と構想を明確にした論争を展開してくれることだった。新聞やテレビでの発言を見る限り、それが深い水準で披歴されたとは言い難い。今まであまり公的な場に出ずに憶測だけで測られてきた感のする小沢一郎がその見識や構想を披歴したのはよかった。僕は沖縄の辺野古新基地建設の動向に関心があり、日本の外交―安全保障政策に注目してきたが、この点での菅と小沢の見解が十二分に示されなかったことは不満だった。菅には独自の考えらしいものがないことはよくわかっていたが、小沢の日米同盟の修正と国連中心主義についてはもっと知りたかった。菅支持派の政治家に大きな国家デザインを描ける政治家が不在なのは今後に不満を残すが、それはまた小沢支持派にも見当たらず民主党の中身が透けてみえたようだった。民主党も含めた政党への失望が深まるのは必然で避けがたい。
政治的にも経済的にも戦後の日米関係を見直し、その関係の改変に手をつけるというのは今後の日本にとって重要なことである。それを担う政治家や政党が要請されていることは疑いないし、小沢一郎への期待もこの点にあったといえる。政治・経済の両面での中国の動向を考えるとこの点は一層明瞭なことではないか。冷戦を勝利したアメリカがその軍事力と政治力で世界秩序(システム)の維持者(護衛官)として振舞うことは不可能であり、また経済的な衰えが回復することはありえない。こういう事態だからこそアメリカの対日要求は厳しさを増すが、日米同盟の名のもとにそれに応じることは様々の矛盾を抱えみ深めるだけである。この間の普天間基地移設問題でのアメリカの態度と日本政府の対応はそれを示している。アメリカとの関係に波風の立つことを覚悟した外交交渉をやり抜かなければ事態は悪化するだけのことだ。対中国関係についても言えることだ。アメリカとの関係の見直しとアジア関係重視ということは政権交代を目指していた民主党でも語られたし、流行語であった。これは現実にはあまり進展せず、いつの間にかより一層の対米従属への傾斜が見られるほどだ。これには日本思想の回帰でなく、西欧思想制度を模倣し移植してきた段階を段階として乗り越えていく哲学や思想が必要であることを示唆している。
いくらか長めの論評(4) 9月11日
若いころに新聞記者にあこがれた人は少なくないはずである。僕もそう思っていた。高校の同級生で新聞記者やジャーナリストになったのは意外に少なくないのが驚きなのだが、それに一度はあこがれを持った人は多かったのではないかと思う。それが社会正義を貫ける仕事である、あるいは自由な仕事であるというのが幻想としてあったためであると推察される。メディアへのこうした幻想はとうの昔になくなっているのだが、それにしてもマスメディア(大手のメディア)のありようには首を傾げることが多い。マスメディアの世論形成への影響力が無視できないだけにそう思えるのである。
今回の民主党の代表選挙に対してマスメディアはどう振舞うのか見てきたが、結果は予想通りだった。小沢一郎の出馬に対して冷ややかなのは致し方ないと思うが、出馬に疑問を投げかけるような酷評ぶりには驚きだった。それらはこの間のマスメディアの政治的立場だからとやかく言わないとして、彼らの世論調査による支持率の使い方に疑問を呈したい。マスメディアの世論調査は世論の調査であるが、現在の方法が正確な世論の調査であることに多くの疑問をもっている。これは昔からアメリカ式の世論調査への疑問として言われてきたことだ。これとは少し異なるがマスメディアの世論調査に対して、ネット(インターネット)の世論調査が対比され、しばしば結果は逆のことが多い。例えば
マスメディアでは菅支持が圧倒的であるが、ネットでは小沢支持が圧倒的であるように。そうするとここに一つの装置があるはずである。例えば、マスメディアが虚偽の世論調査なるものを作りあげていることが考えられる。しかし。マスメディアが偽装された世論調査を流しているという考えは否定しておく。そうではなく、世論調査そのものが世論の調査ではなくて世論調査の創造なのである。世論調査に参加する人は、世論の持ち主の一人として参加するのではなくて、世論調査という土俵の上でゲームに参加するのだ。このゲームでは世論調査なるものの結果を知って(予測していて)そこに参加するのである。世論調査の結果が頭に描かれていてその結果を予測して参加するのである。世論調査という共同幻想に参加するのだと言い換えてもよい。繰り返せば、世論調査に参加するのは個人としての世論ではないのだ。頻繁に繰りかえされる世論調査は見識や構想をうしなったマスメディアの政治的代用品である。見識も構想も喪失しているマスメディアの危機の現われだ。マスメディアの流す世論と民意は別のものであり、それを忘れない事が肝要である。
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〔opinion129:100911〕
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いくらか長めの論評(3) 9月8日
僕は陰謀史観というものは好きではないし、政治を陰謀と結び付けて論じることは避けてきた。だが政治の中には機密という名において隠された部分があり、密約などの例があるように、見えないところで重大なことが運ばれることも知っている。さしてさらに政治的力は政治的主題や事柄とは関係のないところで働くことがある。関係のない事件や行動が政治的含みを持った行動であることがあり得る。ここでは想像力を働かせることが重要である。
例えば、鈴木宗男の最高裁決定である。上告が却下されたことだが、そのタイミングに引っかかるところがあるのだ。ズバリ、これは見主党代表選と間連があるのではないかということだ。テレビでみていると菅の決起集会で元参院議長の江田五月は「そろそろ政治とカネの問題からの卒業を促している。その回答が菅首相である」と述べている。また、仙石官房長官は「ひとりひとりの議員が問われるべきことだ」として小沢批判と結び付けている。菅支持の閣僚達の発言は同じである。要するに援軍きたるというようにこの決定を使っている。この捜査が国策捜査と呼ばれたように。小泉と検察が手を組んで政敵を葬るために動いた事件であったことが忘れられている。当時、鈴木宗男と対立していた田中真紀子は秘書給与問題で議員辞職を迫られ、辻元清美は逮捕されている。ロッキード事件以降、検察はマスメディアと組んで社会的正義行使者のようにたち振舞ってきたが、その暴走が指摘され批判が強くなってきたのは最近のことである。鈴木宗男は国策捜査と呼べる権力の手法に抵抗し、検察やその背後の官僚の意志を暴き、官僚主導の政治批判に貢献してきた。最近では官房機密費の沖縄知事選への流用問題など重要な問題提起などをしてきた。今回の決定は官僚の側の報復という性格が強いが、このタイミングには民主党代表選における小沢批判が働いているのではないか。
民主党が政権交代において掲げた「官僚主導の政治批判」に対して官僚―メディア―アメリカが押しつぶそうとしてきたことは明瞭であり、改めて述べないがそのターゲットは小沢一郎だった。菅政権の民主党なら彼らは取り込みやすいし、恐れてはいない。菅や彼を支持する民主党の面々はなぜ、官僚批判が出てきたか、それが国民に支持されたか、そしてまたそれに対する有形無形の抵抗が続いてきたかを知るべきだ。自民党と同じ体質になり政官癒着ならぬ官菅癒着に転げ落ちるのを誰もが危惧している。菅の裸踊りなど見たくないのだ。
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〔opinion123:100909〕
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いくらか長めの論評(2)
「小沢一郎議員を支援する会」というのがあり、僕は世話人の一人に名を連ねていて9月3日にちょっとしたシンポジウムをやった。これは検察審議会に対する疑念を検討し、質問状を出すために準備してきたのだが、民主党の代表選中ということもあって盛況だった。僕らはこの間の検察のありようを批判してきたが、今回の代表選挙でも依然として「政治とカネ」のことが問題になっているのでそのことをもう少し述べて置きたい。
「政治とカネ」の問題は政党や政治家の政治資金収得と支出の問題であるが、これには多くのケースがあり、それぞれに応じて具体的に語るべき事柄である。権力にあるものが機密費を使って政治工作をやる場合から、権力を利用して政治資金の収得をする場合がある。これは政治倫理に反する行為であり、贈収賄などに該当する行為になる。今、問題にされているのは野党の政治家が政治資金規正法に関わる行為である。政治資金規正法に記載漏れがあったかどうかが問われている。これは政治家を逮捕や訴追するに値することか、政治倫理に反する行為かどうかである。僕は記載漏れのような形式犯は逮捕や訴追に値しないと思っているし、政治倫理に反するものとは思っていない。ここには政治の中のカネのありようについて自分の見解や判断があるが、僕はそれ以上に政治権力の中枢にいる連中がこれを政敵の追い落としに使うことに批判的である。かつて国策捜査と呼ばれる手法で小泉は鈴木宗男や田中真紀子、あるいは辻元清美などを追い込んだ。当時はまともな小泉や検察の批判はなかった。今回の小沢一郎の西松建設問題は厚労省の郵便事件とセットで麻生内閣が政敵攻撃として仕組んだものである。小沢一郎は「検察審議会」での処置がどう出ても逃げないで闘うと述べている。これは検察の超権力的な動きを阻止するために必要なことである。僕らは元検事・三井環の検察裏金暴露を阻むために検察が演じた驚くべき行為を知っている。そして誰もこの権力(官僚)の横暴を防ぐことは出来てはいない。僕は田中角栄がロッキード事件で裁判闘争を闘う意味がよく見えないところがあった。金権政治(巨悪政治)、綺麗な政治というイメージに疑念を抱いてもそれにまた囚われてもいたからである。今なら違う見方が出来る。マスメディアと官僚の側から流される金権政治批判が歴史的作られた政党政治批判であり欺瞞なく政治の中のカネの問題を解決する道を提起するものとは思っていない。代表選は政治的見識や政治構想の優劣で争われるべきだが、人気確保のためにこの問題を利用している側の政治手法が批判さるべきだ。
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〔opinion118:100906〕
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いくらか長めの論評(1)
猛暑日・真夏日・熱帯夜など暑さをあらわす言葉がテレビのキャスターから聞こえてくる。本来なら秋の気配が感じられる日々だがそれはない。民主党首脳には一足先に秋風が吹き始めているのだろうか。政権交代から一年しか経たないのに代表選挙というわけだ。でも、はじまったのだから彼らの政治的見識と構想を明瞭にして支持を得るしかあるまい。僕は小沢一郎を支持し彼の方に幾分かの期待をしている。この理由についてはこの論評の中でも明らかにしたい。政治は現在の社会をどのような方向に持っていくか指示することであり、それが見識や構想としてでてくるのであれば、それを明瞭にしてもらいたいと思う。現在という時代と社会を対象化することが難しく、それを介して社会や時代の方向を指示することが困難であることを僕らも承知している。政治家も、とりわけ首相をめざしている人も事情は同じだと思う。だが、首相を目指すことはそれを語ることを要求されるのであれば精一杯それを示すしかあるまい。
今度の代表選にあたって奇妙な動きをしたのは鳩山前首相である。初めは菅を支持し、やがては小沢支持に変わり、途中では両者の妥協を画策したりもした。この奇妙な鳩山の行動には何があったのだろうか。僕はこれを菅や政府首脳の「他人の褌で相撲をとるような」行為に対する鳩山の怒りであり、ある意味で「政治とカネ」の問題への回答ではないかと思う。政権交代において小沢・鳩山・菅のそれぞれが役割を果たしたし、その中で小沢と鳩山のカネ(資金力)が麻生政権の兵糧攻めに打ち勝つに寄与したことは三者ともよく知っていたと思う。しかし、政権交代後には小沢と鳩山は旧政権からの報復というべき攻撃にさらされた。検察の政治資金の獲得についての攻撃にはマスメディアも合流し、背後にはアメリカの後押しもあると言われた。官僚、メディア、旧政権、アメリカの攻撃は「政治とカネ」の問題をスキャンダル化して展開された。鳩山や小沢は弁明に努めるだけで、この問題での闘いは阻まれた。何故なら、政治資金の収得や支出はタブ―であり、現実に進む闇の中の行為は公然とは語れない構造にあるからだ。これは「政治とカネ」の問題が現実とは別のところで語られ、欺瞞が横行する根拠でもある。政治の中でカネの果たす役割について政治家たちはよくわかっていても表だって語れない。語るとすれば綺麗か他者攻撃の素材である。これは現在の政治家たちが背負う矛盾であり、そこでは役割に対する沈黙の同意がある。小沢・鳩山・菅にはこの同意があったのを菅が裏切った。これへの鳩山の怒りがこの間の行動となったのではないかと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion114:100902〕
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