日航ジャンボ123便の生存者?の男の子 真実はどこに
- 2013年 2月 13日
- 交流の広場
- 未来思考
1985年8月12日の日航ジャンボ機事故は、飛行機が行方不明になった時から、
リアルタイムで世界中に報道され続けたという、世界共通の大事故だった。
アメリカのレーガン大統領と、「ロン」「ヤス」と呼び合った中曽根自民党政権時代の事だ。
ネットで次のような記事を見つけた。世界的事件?事故?の検証をし、
歴史的真実を学ぶ事も、21世紀の世界を世界中の人々と考える上で重要ではないだろうか?
参照:日航ジャンボ123便 (遺族に遺体が引き渡されたのか分からない)男の子が自衛隊員により 死体置き場に運ばれていく様子を記者が見逃さずに撮影
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/329.html
この事故の後、9月22日に、日米英仏西独のG5がニューヨークのプラザホテルで、
わずか20分程の会議で結んだのが、プラザ合意である。世界金融支配の幕開けである。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。