相場は誰にも分からないのである ―市場は何故アベノミクスを好感するのか―
- 2013年 2月 14日
- 時代をみる
- アベノミクス半澤健市
最初から逃げを打つつもりはない。しかし相場は誰にも分からないのである。
安倍政権発足少し前から今日に至る円安・株高はどう説明できるのか。アナリストやエコノミストという「専門家」はもっともらしく説明するが、喋っている本人も実は何か違う、何かおかしいと感じているのである。
《アベノミクス批判の理屈と相場の現実》
安倍政権の経済政策は「アベノミクス」と言えるほど斬新なものではない。
「三本の矢」というが、「金融緩和」が消費や投資につながる必然性はない。「財政拡大」はバラマキの再現でGDPを増加させる乗数効果は大きくない。「成長戦略」は、「失われた20年」にも山ほどあった。しかし奏功しなかった。理屈をいえば「アベノミクス」は100%否定可能なのである。
理屈はそうでも現実は違う。
現実の相場は安倍自身も予想しなかった推移である。1米ドル80円は95円に接近している。日経平均株価は3割上昇した。日本株の所有者は安倍総裁誕生から4ヶ月で30%も金持ちになったのだ。「円安・株高」、絵に描いたような展開である。
「専門家」がつらいのは、市場の動きを常に説明することを求められることである。規範的な人間なら「相場が間違っている」と言えば済む。プロはそう言えない。そこでどう言っているか。
これは「ご祝儀相場」である。敢えて言えば「円安」は世界の投機資金の出動によるものだ。「株高」は下がりすぎた日本株の水準訂正である。株価収益率などの基礎的な市場指標からこの程度の反発は説明できる。間もなく一服、すなわち小規模な円高、株安が続くだろう。これが市場の多数説である。
《「理路整然」の魂と「実感」の魂》
私はかつて実務家の端くれであった。
ある時は企業年金を顧客とする機関投資家の運用者であった。ある時は機関投資家を顧客とする証券セールスマンであった。「理屈」で商売する仕事である。そこで流通したのは「理路整然と間違う」という冗談である。機関投資家を中心とする市場関係者はある種のテクノクラートである。彼らは官僚的言辞を駆使する。成功の時は実績を過剰に表現し、失敗の時は理路整然と誤まりを正当化して「難を逃れよう」とする。競争の世界だから「難を逃れ」られるとは限らない。しかし私の知る限り「理路整然と間違う」言説は、半分は通用した真実であった。
実務家はもう一つの魂をもっている。
それは「実感」「現場感」である。理屈ではどうしても説明がつかなくなることがある。
私の場合、その「実感」が非常に強かったのが二回ある。一つは73年に終わる田中列島改造期の「過剰流動性相場」であり、一つは日経平均が89年末に4万円直前で崩壊した「国際時代相場」である。こういう場合、既存の理屈では説明がつかなくなる。新しい理屈を考え出す。表現は様々だが、「未曾有の新時代」、「新しい経済構造」の到来、つまり「今度は違う」論―英語でもthis time is different というらしい―である。
結果をみれば「バブル経済」の誤認であった。今になれば何をバカなことを考えていたかと思う。しかし、そこそこの見識とそれなりの経験をもって「インテリ」を自称する者たちの99%がそう考えていたのである。市場内部者だけではない。大蔵官僚、日銀総裁を含む一億国民がそうであった。
《相場は誰にも分からないのである》
今起こっていることがそうなると私は言うのではない。自分の経験を語っているだけである。「お前たちほどバカではない」と読者は感ずると思う。それなら結構である。
しかし今の市況が、多少の変動を経験しながら、あと半年も続いたらどうなるか。市場関係者だけでなく、世間一般の意識も相当に変化していくに違いない。既に書店の店頭には投資指南本が並び始めた。相場は誰にも分からないのである。
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