危ない危ない日中間の軍事的緊張 -レーダー照射は中国軍艦の勇み足か-
- 2013年 2月 15日
- 時代をみる
- 伊藤力司日中関係軍事衝突
中国最大の祝日である春節(旧正月)を前に、中国海軍のフリゲート艦が日本海上自衛隊の護衛艦に対して射撃管制レーダー(fire control radar)を照射するという、戦端開始一歩手前のリスクを犯していたことが明るみに出た。事件は1月30日東シナ海の公海上で起こり、6日後の2月5日に日本政府が暴露して中国側に厳重抗議。中国国防省は同7日夕になって在北京日本大使館に「日本政府の公表した事案の内容は事実に合致しない」と通告し、8日には同省ホームページで中国フリゲート艦は射撃管制レーダーではなく、監視用レーダーを使用しただけだと日本側の発表を否定した。
6日の記者会見で「報道で知った。関連部門に聞いてほしい」と直接のコメントを避けた中国外務省の女性報道官は、8日には事件を「日本の捏造」と公に非難し「日本が故意に危機を煽っている」と言いたてた。これに対し小野寺防衛相は、問題のレーダーが監視用でなく射撃管制レーダーであることは海自護衛艦が把握した動かぬ証拠があり、場合によってはその証拠を部分開示する用意があると反論した。こうしてレーダー照射問題での日中情報戦は泥仕合の様相を帯びているが、前後の事情から事件はフリゲート艦の勇み足だったと推測できる。とまれ昨年9月以来の尖閣諸島をめぐる日中の緊張はいよいよ「不測の事態」を招きかねない、危ない危ない段階に入っていることが明白になった。
事件が起きたのは尖閣諸島から120キロ北方の公海上、レーダーを照射した中国フリゲート艦と海自の護衛艦との距離は僅かに3キロ。レーダー照射はしたが、(日本側の発表でも)フリゲート艦の砲門は護衛艦に向けられていなかったという。当初事件は尖閣諸島沖で発生と伝えられたが、実際はかなり離れた海域だったわけだ。昨年9月以来中国の海洋局の監視船(複数)が毎日のように尖閣周辺にやってきて、時には日本の領海を侵犯することも稀でなくなっている。これに対し日本の海上保安庁の巡視船が連日監視体制を敷いて、領海侵犯を防ごうとしている。今回のレーダー照射事件によって、尖閣から120㌔も離れた海域で日中の軍艦が常時対峙していることが判明した。事態の深刻化を示す徴候だ。
日本側がレーダー照射事件を暴露した2月5日まで尖閣海域に中国の監視船が姿を見せないことはなかったが、翌6日から春節元旦の10日までは、中国監視船は現れなかった。ところが中国全土で正月を祝う10日からまた「海監」と称する監視船がやってきて、日本側の「領海侵犯をするな」の呼び掛けに対して「日本側こそ中国の領海をパトロールするな」と反論してくるという。野田前内閣が昨年9月に尖閣諸島を国有化したことを契機に、尖閣諸島(中国では釣魚島)の領有権争いに「実力行使も辞さない」方針を打ち出したのは胡錦濤・総書記時代の中国共産党指導部だが、その方針が習近平・現指導部にも踏襲されたことがはっきりした。
中国のさるインターネット・サイトに紹介された話がある。今度のレーダー照射は習近平指導部が、安倍政権率いる日本の自衛隊と一戦交えて中国海空軍の実力で釣魚島を占領してしまおう、という作戦計画の一環だったというお話である。事件が明るみに出た時点からの中国側の対応を見る限り、当初から習近平指導部が仕組んだ事件とは考えられない。ということは、中国人民解放軍の海軍司令部も承知せず、問題のフリゲート艦の艦長が独自にレーダー照射を命令したのではないか、という疑いが濃くなってくる。そのこと自体恐ろしいことだ。中国海軍の指揮・命令系統がこれほどお粗末であることが、事実上暴露されてしまった。
中国の歴史を振り返ってみると、歴代王朝は騎馬兵力など陸軍力によって版図を拡大し、守ってきた。海軍力ないし航海力が物を言ったのは明代の初期、15世紀の初めに鄭和という偉大な船長が、南シナ海からインド洋、果てはペルシャ湾まで中国の貿易船団を率いて航海したという一時期の史実が残っているだけだ。明帝国を倒して版図を広げた清帝国だが、アヘン戦争で大海軍国の英国に敗れたことから清の改革派官僚は懸命に清国海軍建設予算を組んだのに、時の権力者西太后の宮廷費に流用されたとの悲話が残っている。
毛沢東率いる中国共産党が、中華人民共和国を建国した1949年以降も中国人民解放軍の主力は陸軍であり、海軍はせいぜい沿岸警備隊(coast guard=日本で言えば海上保安庁)程度の存在だった。しかし1980年代以降、稀代のカリスマ指導者鄧小平が実権を握って「改革開放」の新時代を導き、中国の「経済大国」化を実行する過程で中国も海軍国家たらざるを得なくなった。中国の貿易額が世界最大となる現実を見れば、中国の貨物船が世界の「七つの海」を安全に遊弋することが必要であり、それを保障するために中国海軍の増強が必然である。
こうして中国海軍は1990年代から急速な増殖を遂げた。1991年には、東シナ海、南シナ海は古来からの中国の領海だとする「中国領海法」が中国の議会に相当する全国人民代表大会(全人代)で議決された。この結果、中国海軍は全て中国の領海である南シナ海と東シナ海、全て中国の領土である両シナ海に浮かぶ島々を保全する義務を負うことになった。こうして急造の中国海軍は、南シナ海ではフィリピンやベトナムの海軍と対峙し、東シナ海では米海軍第7艦隊や日本の海上自衛隊と角突き合わせることになった。
しかし海軍の歴史のない中国が「まっとうな」海軍を育てるには時間がかかる。金さえ出せば軍艦や大砲、ミサイルなど「ハード」は集められる。例えば中国はウクライナから建造中の空母「ワリャーク」を購入、これを改造して中国海軍初の空母「遼寧」に仕立てて就役させた。当初予定された北海艦隊(司令部=青島)ではなく、東シナ海担当の東海艦隊(司令部=寧波)に配属された。しかし近代海軍の「ソフト」は一朝一夕では身に着かない。西欧欧列強が15世紀の「大航海時代」以来数々の海戦を経て身につけてきた海軍のルールやマナーを、大急ぎで増強中の中国海軍が身につけているとは思えない。こうした齟齬に今回のレーダー照射事件の遠因がありそうだ。
昨年11月の中国共産党大会で党総書記と党中央軍事委員会主席に選出され、名実ともに中国トップの座に就いた習近平氏は「中華民族の偉大な復興を実現する」「中国は海洋強国を目指す」といったナショナリズムを前面に打ち出している。アヘン戦争の敗北以来、中国が味わった170年の屈辱を晴らす時がやってきたというわけである。共産党の長期独裁に起因する腐敗や貧富の格差拡大に対する中国庶民の怒りが無視できなくなっている現在、ナショナリズムは治政の大きな武器である。中国ナショナリズムの怒りの対象は日本である。胡錦濤指導部から尖閣問題で実力行使路線を引き継いだ習近平指導部が、今さら「日和る」ことはできない。
かといって習近平指導部が現在、日本との戦争を辞さないところまで踏み込んでいるとは思えない。習近平氏自身が1月25日、安倍首相の親書を持参して訪中した公明党の山口代表との会談に応じ、尖閣をめぐる日中の対立について「立場の違いはあるが、対話と協議によって解決していく努力が重要だ」と語り、安倍首相との首脳会談を「真剣に検討したい」と、前向きに考える意向を示したという。
安倍首相以下日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土紛争の対象ではない」という立場から、尖閣は中国と交渉すべき問題ではないと考えている。中国側はこの問題は、1972年の日中国交回復以来の両国の暗黙の合意で「棚上げ」されてきたのが、日本側が尖閣諸島の「国有化」によって「棚上げ」合意を一方的に破った以上、この問題は両国間の係争事となった。日本側が係争事と考えないなら「中国の領土」である釣魚島への主権を行使し、係争事であることを内外に示すぞということになる。
だからと言って、日本との戦争を覚悟して釣魚島を実力で占拠するとまでは考えていないのが、正直なところであろう。しかし中国政府の公式発表を鵜呑みにしてナショナリズムに煽られた中国民衆の間では「戦争でもしないと収まらないという雰囲気が濃厚になりつつある」と、ある中国人ジャーナリストは北京から日本に向けて報告している。こういう雰囲気の中では、日中戦争の引き金を引いた盧溝橋事件(1937年7月7日)のような偶発的な出来事が軍事衝突という「不測の事態」を招かないとも限らない。日中関係はそれほど危ないところに差し掛かっているように思えてならない。
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