イデオロギーと化した「金融緩和」と「物価目標」
- 2013年 2月 26日
- 時代をみる
- アベノミックス浜田宏一盛田常夫
政治経済コラム
「世界的権威」の実像
安倍首相は、「デフレは貨幣現象ですから、金融緩和政策で克服できます」と、したり顔に答弁している。浜田宏一内閣参与の受け売りである。その浜田参与をメディアは、「エール大学名誉教授で、世界的権威」と大げさに形容する。もっとも、「エール」大学などと発音しても、アメリカでは通じない。「イェール」大学と発声しなければならない。
それは別として、浜田教授の書物の宣伝に、「ノーベル経済学賞受賞者と議論し、高い評価を受ける」というようなコピーが附せられている。さぞかしアメリカで喧々諤々の議論を戦わせているのだろうと考えては間違い。浜田教授は50歳になってイェール大学教授に就任したが、英語の発音がめちゃくちゃなので、理解可能な講義ができなかった。これは日本の大学教授に良くあるパターン。論文を読めても、話すことができない。「こんなはずではなかった」という思いが強くなり、精神的に参ってしまう。机上の勉強ができる先生ほど良く陥る病だ。浜田教授に限らず、文献解読で育った日本人学者が陥る典型的なケースである。教授会で発言できないのは仕方ないが、かなりの語学力がなければ、専門分野の問題ですら、現地語で議論することは難しいのが現実なのだ。
外国で活躍した経済学者の先駆として、ロンドン経済大学で教鞭をとった故森嶋道夫氏がいる。ノーベル経済学賞の候補とも目された。彼も歳をとってから外国に出たので英語ができなかった。しかし、数理経済学が専門だったから、黒板に黙々と数式を書いていれば、講義は成立した。黒板の板書で済まない講義ではこうはいかない。もっとも、浜田教授はゲーム理論を中心とするモデル分析をやっていたから、森嶋流でやれないことはないが、それでも学生に語りかけることは不可欠だっただろう。学生に理解させる講義ができない浜田教授は適応障害になり、不幸にも奥さんに三行半を下された。帰国子女で、ロンドン勤務が長かった浜矩子教授(同志社大学)が現地のテレビ討論会などにも出て、八面六臂の活躍だったのと好対照である。
無制限の金融緩和政策を合理化する理論的支柱を求めていた安倍自民党総裁が、「世界的権威」の浜田教授から送られた応援FAXに驚喜した。学業で劣等感をもつ安倍氏にとって、「イェール大学教授」という肩書は御札のようなもの。浜田先生がおっしゃることは、神のご宣託。馬鹿の一つ覚えのように、「デフレは貨幣現象」の単純極まりない考えを、金科玉条のごとく唱えている。浜田教授にとって、「インフレやデフレは貨幣量の需給で決まる現象」だから、中央銀行が貨幣供給を増やしたり減らしたりして操作できる管理可能な問題。それほど単純な話なら、誰も苦労はしない。
ここから分かることは、「世界的権威」の経済政策的発想は意外と単純だということ。それもそのはず、現代の経済学世界の分業化や数理経済学化は極端に進んだ結果、現実経済を知らない学者が多い。「権威」とは狭いモデル分析の世界の中だけのこと。単純な前提にもとづくモデル分析のほとんどが現実経済の分析に役立たない。だから、抽象的なモデル分析に特化していた学者が現実の経済問題で発言し始めると、浦島太郎のような発言になる。素粒子論からすぐに気象現象を説明しようとするのに似ている。この経済学の事情を知らないで「権威」の言うことを信じると馬鹿を見る。そもそも経済学は科学というより、かぎりなくイデオロギーに近いのだ。
「物価目標」はスローガン
「物価目標を明確にすれば、目標率に応じて消費者は買い控えを止めて、消費を拡大するようになる」というのが、「物価目標」論。1%であれ2%であれ、日銀が物価目標を掲げたら、消費者が将来の物価上昇を見込んで、早めに消費する方が得策と、消費を拡大するというのだ。
普通の消費者の感覚とはかなりずれている。物価目標設定を主張する経済学者は本当にこのような論理を信じているのだろうか。もっとも、ローンで消費生活を送るアメリカの消費者行動を動かす力になるかもしれないが、アメリカ連邦準備局(FRB)が採用しているから、日本も採用しろと催促する日本の経済学者は能がない。白川日銀総裁が暴露したように、当のバーナンキFRB議長自身が、「物価目標はポーズにすぎない」と考えているようだ。効果がでないゼロ金利政策に、何とかアクセントを付けるために編み出されたのが物価目標。金融緩和政策を続けても効果がない手詰まり状態の中で、緩和策からのテイクオフの目途をつけるために思いついた政策だ。しかし、その効果も見えないので、FRBは失業率目標まで設定して、金融緩和策からの出口を探っている。このような理論的根拠のない政策を、あたかも起死回生の政策と思いこむほど、一部の経済学者の知性が低下している。
「世界的権威」の応援で気を良くした安倍首相は、日銀に圧力をかけ、「物価目標にもっとコミットして、景気を浮揚させることが日銀の責任」などととんでもないことを言いだし始めた。日本経済停滞の原因は日銀だというイデオロギーをまき散らしている。今初めて自民党が政権を担ったかのような口ぶりだ。20年の経済停滞を言うなら、自らも政権を担った自民党にほとんどの責任があるはずだ。それをすべて日銀に責任転嫁するのは、政治的デマゴギー以外の何物でもない。
もちろん、物価目標に何の効果もないと言っているのではない。1%や2%の物価上昇予想は一般消費の行動に影響を与えるものではないが、巨額の資金を扱う投資ファンドや金融業にとって、1%も利率が動いたり、為替が大きく動く状況が到来するとみれば、仕掛けるチャンスだ。だから、政府がなりふり構わぬ物価上昇政策に転じると予測すれば、資金が大きく動く。世界の投資ファンドは経済の趨勢を先取りして、漁夫の利を得ようと虎視眈々と、各国の経済政策を見守っている。「輪転機を回して札を刷りまくれ」という愚かな政治家の到来こそ、投資ファンドにとって、千載一遇のチャンスなのだ。一時的にせよ、そういうスキを狙うのがヘッジファンドだ。手持ちの円を別の金融資産に乗り換える機会を狙っていた投資家や、為替相場が動くのを待っていた投資ファンドが、安倍政権成立を見越して円売りで相場を一挙に動かした。これでソロスファンドも1000億円近い利益を叩きだした。
しかし、投資ファンドのビジネスチャンスが、実物経済の活性化につながることはない。まして、一般消費者がその恩恵を受けることもない。株式市場が乱舞しても、人々の生活が良くなるわけではない。麻生財務相が言うように、「円安誘導ではない。市場が勝手に反応しているだけ」は事実。「無制限の金融緩和」などという脅し文句のようなイデオロギーが、ヘッジファンドを中心とした投機的投資家を動かしただけなのだ。「アベノミックス」という実体のないイデオロギーが、円からユーロやドルへの資金移動を促進したのだ。しかし、円の信認低下を喜ぶ政治家に、国家天下を語る資格があるだろうか。
デフレは飽和状態の反映
インフレが高進する場合、貨幣供給を制限してインフレを抑えることはできる。反対に、現代のデフレは貨幣供給増加でインフレに転化することはない。インフレとデフレは非対称性の現象なのだ。なぜなら、現在のデフレは実物経済を原因とする経済停滞状態の反映だからである。だから、貨幣の需給で決まると単純に考えては間違い。
現在の長期の経済停滞は先進国一般に観察される現象だ。とくに家電や自動車などの製造業の停滞が、国民経済全体の停滞感を醸し出している。明らかに、先進国経済はこれまでの量を追い求める経済から、質を求める経済への転換の時代を迎えている。一つの家計に何台ものテレビや洗濯機、あるいはHIFIや自動車が必要なわけがない。高速道路網や新幹線網も出来上がっている。これから人口が減る日本社会にとって、膨れ上がったインフラを維持管理するだけでも、膨大な費用がかかる。原発廃止の目途すら立っていない。もう目先の利益で国の経済を動かす時代ではないのだ。
考えてみれば良い。百年後には日本の人口は半減する。利用者が半減する高速道路や新幹線網を誰がどうやって維持するのだろうか。自動車だって家電だって、今の半分の生産で済む時代になる。まさに時代はこの過渡的な転換期に入った。ところが、企業幹部や政治家は、目先のビジネス拡大しか頭にない。だから、円安にして、輸出を増やし、雇用を増やせば、すべてが解決するかのように考えている。現代の日本経済は、そういう一時的な回復で解決できない歴史的課題に直面しているのだ。
学者ならもっと長期の歴史的視点で社会や国民経済を考えて当然なのだが、今の経済学者は単純なモデル分析しか知らないから、歴史的視野などゼロ。知性に欠ける学者が、無能な政治家におだてられ、一緒になって目先の結果だけを追っているのが、「アベノミックス」に踊る日本だ。
円相場とデフレ
そもそも諸悪の根源はデフレにあるという決めつけは、「魔女狩り」的発想。メディアには、「デフレスパイラル」と書いているものもある。しかし、現代の日本で「スパイラル」が生じているわけではない。牛丼の安売り競争やユニクロ販売だけを見て、物価が下がり続け、それに応じて給与も下がり続けていると主張するのが「デフレスパイラル」。実際に起こっていないことをことさらに強調することによって、自らの政策主張の正しさを際立たせようという魂胆だ。
長期にわたって実物経済が定常状態にあり、それを反映して物価水準も上昇しないのが、現代のデフレ。安倍首相の登場によって、すべてはデフレが悪いと断罪された。「円高も悪」で、それもデフレの所為だと。しかし、思い出してみれば良い。リーマンショック前は、空前の円安状態が数年にわたって続いた。皆、目先の利益に惑わされて健忘症になっているが、リーマンショック直前まで、1ユーロ=180円近い水準まで円安が進行した。この時に誰もデフレを責めなかった。超円安で一部の製造業は輸出や海外からの利益送金でぼろ儲けした。儲けた時は沈黙し、円高基調へ転換するや否や、利益の減少を声高に叫ぶ一連の企業が存在する。あたかも国民の資産が減少するかのように。
「アベノミックス」がもたらす円安で、再びこの為替差益を得ようという企業がホクホク顔になっている。だが、この差益が国民に還元されることはない。輸入エネルギーや輸入商品の高騰で、消費者の家計は直撃を受ける。
財政インフレは国民経済を破壊する
実物経済に資金需要がないのに、貨幣供給を増やせば、資産インフレを惹き起すだけだ。現在の金融緩和策でも足りないと主張する一部の経済学者やエコノミストは、日銀による外債購入まで提唱する。この先にあるのは、赤字国債の日銀引受けである。
欧州でもアメリカでも日本でも、世界の先進国すべてで金融緩和策が展開されている。財政規律を外し、見境なく貨幣供給量を増やせば、財政インフレを惹き起す。今、世界の先進国の中央銀行は、金融緩和策の出口を探っている。このまま資金を垂れ流し続ければ、将来に大きな禍根を残すからだ。世界が金融緩和策を続ければ、近い将来、インフレ経済時代が到来する。景気が回復しないのに物価だけが上がるインフレは最悪だ。悪性インフレに警鐘を鳴らすべき中央銀行の総裁を、政権の息がかかった御用エコノミストに任せようとしているのが安倍政権。円安進行は円の信認が落ちると見込まれ、円売り攻勢がかけられた結果にすぎない。目先の「結果」に目がくらみ、円安を歓迎するのはとても賢い政治家とは言えない。
「輪転機を回して札を刷りまくれ」という無責任な政策は、最終的に中央銀行による赤字国債の引受けに行きつかざるを得ない。そして、それは財政赤字を雪だるま式に膨張させる。一時的に景気が良くなるように見えるが、国民経済に与える実害は大きい。経済学者も政治家も、その結末に責任をもつことはない。
百年後の日本は、どこで道を誤ったかを検証することになろう。その出発点が近視眼で歴史的パースペクティヴを欠いた安倍政権の再登場による荒唐無稽な経済政策だったと結論づけよう。人口が半減する来世紀の日本は、愚かな政治家が推進した原発や高速道路のインフラを維持できず、無思慮な政治の廃墟を見ることになろう。
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