テント日誌2/27日 経産省前テントひろば536日目…あらためて吉岡史郎さんを偲ぶ会があった
- 2013年 3月 1日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
夕方にテントにつくと大学時代の友人の二人が待っていてくれた。1960年の安保闘争の日々に共に隊列を組み国会前に詰めかけていた友人だ。闘争のさなかや、また後に下宿などを訪ね泊り歩いた仲である。気がつけばもう僕らはいい歳になってしまったのではあるが、テントのメンバーに紹介したりしながら友人の差し入れの酒を飲み談笑をする。
1960年なんて言えば50年も昔で若い人にはそれこそおじいさんの「日露戦争」話になってしまうのだが、あの頃は核実験に対する反対運動が大きな政治課題だった。ソ連《当時》や中国の核実験は社会主義国の核実験だから正しい、いやそれはおかしいというので喧々諤々の議論をしていたのを思い出す。僕らはあらゆる核実験に反対という立場だったが、同じ政治グループでも対立していて議論は白熱していた。ただ、当時の核問題は専ら核兵器の問題で原発のことは討議の俎上に上らなかった。当時の私たちの思考が現在から見れば多くの制約の中にあったことを物語るが、その時点で考えていたことを現在の中で考えてみるのは意味のあることだと思う。過去に考えていたことを見直すことで現在の視界が開かれてくること、ヒントのようなものをつかめることはあるのではないか。
友人の帰った後はいつもの泊りのメンバーの話になった。話に飽きた頃にテント前ではちょっとした演奏が始まっていて私も参加した。もう電車の本数が少なくなる時刻だが道を急ぐ人もちらっと眺めて行く。更けゆく夜の霞ヶ関に静かな音が流れる。明日の吉岡史郎さん追悼の会のために大阪から上京していたKさんも交えてのことだがこんな風な演奏も楽しいものだ。
昨年の12月に亡くなった吉岡史郎さんを追悼の会は既にテントでも、大阪ででも行われてきたが、テントのメンバーがきちんとした場所でやろうとい提案があり偲ぶ会として開かれた。彼の人柄か、各地からも多くの人が参集しての会になった。彼は経産省前のテントの常連として頑張っただけでなく、大飯や大阪でもテント村をつくるべくその先頭で活動していた。多くの人がその人柄を偲んでありし日のことを述べていたが、おのずと面影が浮かんでくるようだった。彼とは「9条改憲阻止の会」からの付き合いであるが、よく飲みに行った。会議よりは後の飲み会が楽しみだったし誘えばまずは断らなかったが、それも今では懐かしい思い出だ。月並みではあるが僕らの所業を最後まで見守っていてもらいたい。 (M/O)
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