3.9現代史研究会(出口王仁三郎と悪 ――「弱肉強食」の時代と初期大本教――)レジュメと案内
- 2013年 3月 4日
- スタディルーム
- 出口王仁三郎大本教問題島薗進
第272回現代史研究会
日時:3月9日(土)5:00~9:00(時間がいつもと違いますのでご注意ください)
場所:明治大学駿河台・リバティタワー1114号(11階)
テーマ:危機の時代に見る宗教―大本教問題、国家神道(仮題)
講師:島薗進(東京大学教授)、廣橋隆(元「新宗教新聞」編集長)
参加費:500円
参考文献:島薗進著『国家神道と日本人』(岩波新書)
論文:(『思想の身体 悪の巻』春秋社、2006年11月所収)第一章「悪に向き合う宗教」および「鼎論 日本人にとって悪とは何か」(藤田正勝・佐藤弘夫とともに)
(安丸良夫他編『岩波講座 天皇と王権を考える4 宗教と権威』岩波書店、2002年5月所収)「国家神道とメシアニズム――「天皇の神格化」からみた大本教」
(早瀬圭一『大本襲撃――出口すみとその時代』毎日新聞社、2007年、後に新潮文庫として再刊所収)「宗教学から見た大本」(早瀬圭一氏によるインタビュー)
出口王仁三郎と悪
――「弱肉強食」の時代と初期大本教―― 島薗進(東京大学教授・宗教学)
現代史研究会 2013年3月9日
はじめに
◇なぜ、出口王仁三郎はそこまでなおに引きつけられたのか?
―→「悪に向き合う」宗教
◎その場合の「悪」とは?
◎新しい時代の「社会悪」として捉えられたのではないか?
◇「悪」をもてあます近代
◎救済宗教は「悪」にこだわる思想
◎近代と救済宗教――悪の誇張への違和感。排除的、他罰的な思考への違和感。
◎だが、それは異なる宗教や異なる文明・文化を身につけた多様な立場の人々人の共生を危うくする。悪にこだわることが、人類の共存を脅かす危険をもたらしかねないのだ。このような不寛容を克服するには、自由の制度の拡充を進める他にないのではなかろうか。
◇他方、人間の自由を謳歌する近代思想の行く末
◎破壊的イデオロギーやニヒリズムの可能性
◎「善悪の彼岸」。泥沼のような相対主義。相対主義の下で欲望追求の歯止めがなくなる。
◎全体主義やナショナリズムの誘惑、他方では恐るべき孤独の深淵。
◇オウム真理教事件が象徴するもの
◎自由の拡充/陰惨な悪、は紙一重(島薗『現代宗教の可能性』――オウム論)。
◇悪に向き合う思想とは?
◎善悪の基準を明確にもち、自由を限界づけ、自らの悪を適切に振りかえるとともに、広く世界の悪に向き合う思考法。
◎また、悪の複雑さや不分明さにも自覚的であり、他者の異なる善悪の基準や悪の観念とも共存できるような立場。
◎差別や排除の克服を帰結するような悪の思想。
Ⅰ.近代日本宗教における悪と構造的暴力
(1)悪の認識が深まる時代
◇明治後期(1890年代から1900年代にかけて)
◎夏目漱石『こころ』
◇なぜか?
◎「社会問題」。社会悪の認識。
◎田中正造――足尾銅山=渡良瀬川鉱毒事件
☆衆議院議員、島田三郎(1900―→03)
☆「先きに栃木県安蘇郡界村高山を過ぎさりし時は、衰退の状ありしも惨状とは見えざりしに、今年此地に至れば疾病、盲目、飢饉、狂顛、毎戸健人なきの窮乏に陥れり。以て僅々三年間に如何に毒禍の増加せしかを知るべし」(『佐野市史 通史編 下巻』p.541)
◇1890年代から1900年代にかけての時代背景
◎産業革命が急速に進むとともに、帝国主義の国際情勢が露わになり日本も帝国主義の姿勢をしっかりと打ち出そうとしていく時代。
◎日清戦争に勝利し(1895)。不平等条約にかわる新条約の発効(98)。官営八幡製鉄所の開業(1901)。日英同盟(1902)締結。日露戦争(1904-5)。
◎暴力が近代社会の主導力であることが認識されていく――「生存競争」の語。
(2)社会問題と民衆生活の悲惨
◇帝国主義
◎帝国主義諸国間の競争に勝利することをめざした膨張主義的な政策。
◇「社会問題の発生」の時代
◎日清戦争後に露わになってきた社会問題(鹿野政直「社会問題の発生と初期社会主義」)
(i)戦争犠牲者の発生と軍事費の増大
(ii)「貧民窟」に代表される都市貧民の増大
(iii)労働者階級の析出である。
◇「社会悪」の認識
◎「構造的暴力」=見えない暴力――戦争の根底にあるもの。
◎19世紀後半の世界――新たな「悪」の像が人々の思考に鮮明に刻印される。
Ⅱ.出口なおと悪
◇なおは悪にこだわった。
◎三ぜん世界一同に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構はな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ目が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ、是では、国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。この世は全然、新(さら)つの世に替へて了ふぞよ。(明治二十五年旧正月、『大本資料集成』第一巻、p.13)
◎この世の鬼を往生させて、世界のものを安心させるぞよ。よい心をもたれよ。悪はなごうはつづかんぞよ。/ほととぎす声は聞けども、すがたは見えぬ、この世を金神、かげから守りておりたぞよ。/いままでは末法の世。妙見仏の世、悪道な世、強いもの勝ちの世、この世になれば結構な世になるぞよ。(明治二十五年日不明、同、p.15)
◎世界のあらためいたすぞよ。あまり人民の心が悪きゆえに、世界は神の眼からは、さっぱり暗やみになりておるぞよ。洗濯いたして良くなるぞよ。はよう改信いたされよ。/人にもよきよう、わが身もよきようと思わな、この世はいけぬぞよ。強いものがちの世であるぞよ、これではこの世はいけぬぞよ。(明治二十九年七月十六日、p.15)
◎今度は人民の身魂の洗濯であるぞよ。昔からなき事ばかりであるぞよ。良きびつくり致す事もあるぞよ、わるきびっくりもあるぞよ、よき身魂とわるき身魂とを分けて見せて改心を致さすぞよ。(明治三十年十月三十一日、p.46-7)
◇悪の世界の始まりの神話
◎なぜ、悪が支配する世界になったのか。悪の支配する世界の始まりについての神話。◎艮の金神は、永らくの間悪神・祟神と申して、三千年押込められ、蔭から此世を潰
さぬ様に苦労艱難悔し残念を堪(こば)りつめて来て、今度は時節参りて天の大神様の御命令で元の御用をさして戴く世になりたから……(「筆先」明治三三・一・七)
◎ 金神自身にも罪がある。我を張る。天の規則に背いた。
此艮の金神と云ふ神は。昔余り力あり過ぎて、天地の教も背きて、悪神たゝり神に致したのざど。……押込まれる折に、炒り豆に花咲きたら、此世へ御出まし聞き置きたのざどよ。(「筆先」明治三三・二・二〇)
◇なおの悪の理念の特徴
◎前生から引き継いだ罪業や強い「我」をもつための苦しみ――個人的な要因による悪
◎加えて、悪の登場と克服に関する神話と危機預言。
☆世界の歴史に深く関わる事柄。人類全体がともにその克服を願うもの。
☆悪が個人的な関心事であることを超えて、根源的なものとして意識されることとなった。
◎社会悪=構造的暴力を如実に実感していたことと関わりがある。
◎他方で、天理教や金光教が保持し続けたような楽観的な人間観、世界観も保持。
◎伝統的な救済宗教の宿命論的な悪の理念を土台にしながらも、生を肯定し、社会悪の認識を深めるような悪の理念。
Ⅲ.出口王仁三郎の悪(1)――善悪の対立、悪との戦い
◇悪の理念の継承と発展
◇なおに出会う前の時期の王仁三郎の悪の経験
◎久兵衛池の問題――「本教創世記」(1904年)
◎余は茲に於て、神力の高きを覚ると共に、益々下等貧賤の人民の境遇の惨憺たる生活を知り、倍々救世的の大決心を定めたのである。(中略)世の中に何が可哀[愛]相なと曰うても、貧者位い憐む可き者はない。(中略)首を吊[釣]って死んだり、汽車往生を仕たり、水死する者が出来るのも、皆之貧からで有る。又此貧の源泉は、社会の不完全、財富分配の不公平からである。血あり涙有る者、救世の目的を達せずして、豈止むべけんやである。(『出口王仁三郎著作集 第一巻 神と人間』、p.64-5)
◇初期の著作の中の「悪」――「筆のしづ九」、「道の栞」(1903-4年)
◎善と悪の対置の論理
五三 心を尊み、体を卑しむるは、善をなすの本なり。故に我精神を宝となし、真理を宝とするものは、善の極まりにして、神の御心に叶ひ奉るものなり。
五四 体を尊み心を卑しむるは、悪を為すの始めなり。故に土地、財産、道具等、形あるものを以て宝とするものは、悪を為すの源にして、根の国底の国に落つるものなり。
五五 天が下公の為に為す事は善なり。我一人の利益の為になす事は悪の極みなり、正しき心を以て、徳を行ふものは善なり。正しからざる心を以て、誠の行ひせざるものは悪なり。等しく是善悪共に神の御子なり。
五六 善人も神の御子なり。悪人も神の御子なり。善人はいと美はしく、いと高く、いと栄えに充てる天国の門を自ら開く。悪人はいと低く、いと醜しく、いと苦しき地獄に自ら落ち入るなり。
(「道の栞」第十節[第二巻上(二)]、『大本資料集成』第一巻、p.688)
◎社会悪=構造的暴力への注目
キリスト教社会主義(「社会的キリスト教」)と見まごうような叙述もある。貧富の差にふれた部分で、とくに「悪」の語は用いられていないが、富を占有して力をふるう者が悪で、貧しく心正しい者が善だという前提は明らか。
二二 貧しき者は、いとも幸いなるものなり。それは高天の原に上げらるるときに於いて、心に重き荷を負わざるが故なり。
二三 富める者は、却て災禍なり。様々の重き荷物身に纏いて、高天の原へ至らんとするを引き止むればなり。罪其の霊魂を苦しめて、根の国底の国に誘い行かん。故に此の世に於て、富めるものの誠の道を知らざるもの程、憐れむべきものはあらざるなり。(「道の栞」第十三節[第三巻上]、『大本資料集成』第一巻、p.696)
◎終末観と反戦思想
四〇 神世に立替わる迄に。此世の境いに大戦いあるべし。其後は天下泰平にして、栄え久しき松の代と立替るなり。
四一 世の立替ある迄に、皆其の罪を悔い、行状を改め置くべし。
四二 軍備なり、戦いは、皆地主と資本主との為にこそなるべけれ、貧しきものには限りなき苦しみの基となるものなり。
四四 世の中に戦争位悪しきものは無く、軍備位つまらぬものはなし。今や世界の国々、軍備の為に、三百億弗の国債を起し居れり。其金の利息支払いのみにても、日々三百五十万人以上の働きを当てはめざるべからず。(同前、p.697)
◎自己膨張主義と善悪二元論
六〇 日本は神国なり。日本魂の国なり、猛くして優しき武士の国なり。露西亜は野蛮国なり、盗賊の国なり、狼の国なり、鷲・熊・鷹・大蛇の国なり。悪魔の棲処なり。
六一 世界の助けの為に、日本は天に代わりて、彼の盗賊の国を討ち亡ぼさねならぬなり。天津日嗣万代変わらぬ日の本の神に対して……世界に対する努めなり。(同前、p.698-9)
Ⅳ.出口王仁三郎の悪(2)――贖罪による救いと善悪の複雑性・不分明性
◇悪と慈愛
◎変性男子と変性女子(厳の御魂と瑞の御魂、艮の金神/坤の金神)
◎「艮の金神変性男子の身魂若姫岐美の命は出口の守と顕現れて、世界の父の御役目を遊ばすのである。/坤の金神変性女子の身魂は、世界の母役を遊ばして御出るのであるから、男子女子の身魂の心を悟りて、心を磨くが日本の神国の人民の責務である。」(「筆のしづ九」[旧]明治三十六年七月、『大本資料集成』第一巻、p.507)
◇罪を背負う神=スサノオ
◎罪の贖い
(百十一)速素戔嗚命(はやすさのをのみこと)は憐み深き荒神にましまし、世界の人々に代りて、天地の罪の贖を為し給へり。世の人誤りて、速素戔嗚命を罪人と思ふは畏れ多き限りなり。世の中の人々の罪科(つみとが)を免れしめんが為めに、その御身をば天地に犠牲(いけにえ)となし給ひしなり。後天津神の御宥(みゆる)しを得て、月の国へのぼり、月読命と成り給ひて、昔も今も変ることなく世界を守り給ふ。(「たまの礎」[旧]明治三十六年十月一日、同前、p.551)
◎速素戔嗚命=王仁三郎の苦難
「素戔嗚尊の救の御霊の再び現れ玉いしは、天帝の深き御心にして、此の世の立換えの為めに、万の事を任せて、天降し玉えるなり。人民の重き罪咎も、速素戔嗚尊の御名の徳に依りて、天照太御神より宜敷に宣り直し給うぞ、尊きの至りなり。」(「御霊魂のことわけ」(『出口王仁三郎著作集』第一巻)
◎しかし、他の側面もある。
「誠の忠義は、名誉もなく、俸給もなく、賜物もなし。唯大君の為めに、御国の為に身を尽し、心を尽くして神の御業を助け奉るものを、誠の忠義と云ふべし」「道の栞」
「我国の現人神は皇祖天照太御神の裔なれば最も敬はざるべからず。現人神を敬ふは、即ち大神を尊み敬うに等しきなり」(「道の栞」第二巻中(二)、『大本資料集成』第一巻、p.693)
◇悪の由来についての両義性
◎宇宙論的な次元においてどこに善がありどこに悪があるかについて両義的な叙述
◎スサノオの苦しみに対して誰に責任があるのか。
☆八百万の国津神の「思い違」と「貪り」と「ほこり高ぶり」、邪神共や悪魔の跳梁、精神的指導者の不在による「強い者勝(かち)」の世である。
☆責任は速素戔嗚尊自身にあるようでもある。少なくとも伊弉諾尊は、速素戔嗚尊に責めがあるかのように地上を追放し、地下の国へと行くように命じた。
◎速素戔嗚尊が自らの潔癖を強く主張し、天照太御神に怒りをぶつける段になると明らかに速素戔嗚尊の非を認めたような叙述になっている。
去れど天照太御神、御心深くさとき神に在す故、速素戔嗚尊の心の底を能く知り給いければ、聊(いささか)も咎めずして宣(の)り玉わく。「糞まき散らすは、あがなせの尊の酒に酔いて為す也。又田の畦を放ち、溝を埋むるも、所を新らしく清めん為めに、あがなせの尊斯く為す也。咎むるに及ばず」と宣り直し給えり。誠に広き大御心と云うべし。去れども速素戔嗚尊の御憤り強くして、いたずら止まず、うたてあり。(同前、p.171)
Ⅴ.初期大本教の悪の思想の民衆性と近代性
◇なおと王仁三郎の楽観性
◎悪に向き合う思想
☆個人的な要因に基づく悪の観念を保持していた。
☆誰でも分けもつ避けがたい困難。人類全体が関わる世界の属性.
☆社会悪に強い関心。「強い者がち」を厳しく批判。
◎他方、本来人間は幸福を約束された存在であるという楽観的な人間観も保持。
☆「此の速素戔嗚尊が喜び勇み給う時には、世界中、山も川も陸も海も、生き物皆悦び勇むなり」(「御霊魂のことわけ」同前、一六五ページ)。
な 泣くな口惜むな世界の者よ 今に此の世が立直り 松の神世と鳴り響く。
ら 楽に暮すも心配するも 心一つの持ち方ぞ 心の鬼を叩き出せ。
む 昔の神世が廻り来て 世に落とされし神々が 喜こび勇む頼もしさ。
う 海の底にも深山(みやま)の奥も 守護まします世界の中は 神の居まさぬ所は無い。(「筆のしづ九」旧明治三十六年八月十三日、『大本資料集成』第一巻、p.514-5)
◇ 悪の不分明性の意識
◎「七五 神は悪きもの穢れたるもの、罪深きものゝ道に逆らひたるものゝ為めに、救ひ主を下して救ひの道を宣べ伝へさせ玉ふなり」(「道の栞」第一節、同前、p.666)
「八四 人の智慧は悪より出づるもの多し、神の智慧は皆善より出でざるはなし」(同)
「一一 真の善なる行状は、人の眼より見て悪の如く見ゆるものあり。悪は却て善なる如く見ゆるものなり。」(「道の栞」第二巻中(一))
◎ 王仁三郎の懐疑心
○疑ふ事は総て神界に対し奉りて畏れ多き事なれども、蓋し事に由る也。奇怪き事柄と思ふ時は、譬へ神界の御事なりとも、何処までも考へざる可らず。只神の言なりとて前后の区別も無く、直ちに信ずる時は迷信に陥り、却つて真正の道を毀ひ破る可し。
○△△今迄は罪穢の中に彷徨(さまよ)いて、道の行程(ゆくて)に苦しみたりしが、今や天降(あも)り玉ひし瑞の御魂に依りて、正しく安すく平らかなる大道に導かれたり。我れ先ず覚り救はれたり。是より進んで其覚り得たる所を発表(あらは)し示して、以て汚れたる世を救はむと欲す。(「裏の神諭」[旧]明治三十五年一月三日、『大本資料集成』第一巻、p.492)
◎ 偽善への批判と諧謔
○神より出でたる至霊の神は宜しく敬すべし。神より出でず、罪より来たりし曲津神は、決して敬すべからず。○総て神道の教を信ずるもの、最も慎重の態度を持し、沈着にして神教の正邪を知らざる可らず。悪なるものは常に善の仮面を被りて現はれ来たり、心正しきもの、又た行ひ良きものを迷はせ、苦しめんとするものなり。(同前、pp.492-3)
◎孤独・懐疑と他罰性・自己膨張性
☆近代的な悪の意識の特徴――近代的な孤独の影
☆初期の王仁三郎の言説では、罪は善悪の不分明さや複雑な葛藤や真実の不確かさに関わる疑いと結びつけられている。
☆善悪の不分明性を認め、諧謔を好み、多元性を受け入れる側面と、ナショナリスティックで自己膨張的な側面とは王仁三郎の言説のなかにともに含まれている。
参考文献
池田昭編『大本資料集成』第一巻、三一書房、1982年
大本教学編纂所編『大本教学第19号 大本教祖伝資料(一)』大本教学編纂所、1980年
大本七十年史編纂会編『大本七十年史』上、宗教法人大本、1964年
鹿野政直「社会問題の発生と初期社会主義」橋川文三・松本三之介編『近代日本思想史大系第3巻 近代日本政治思想史Ⅰ』有斐閣、1971年
島薗進「生神思想論――新宗教による民俗〈宗教〉の止揚について」宗教社会学研究会編同 『現代宗教への視角』雄山閣出版、1978年
同 『現代救済宗教論』青弓社、1992年
同 『精神世界のゆくえ――現代世界と新霊性運動』東京堂出版、1996年
同 『現代宗教の可能性――オウム真理教と暴力』岩波書店、1997年
同 『時代のなかの新宗教――出居清太郎の世界1899-1945』弘文堂、1999年
同 『ポストモダンの新宗教――現代日本の精神状況の底流』東京堂出版、2001年
同 「国家神道とメシアニズム――「天皇の神格化」からみた大本教」安丸良夫他編『岩波講座 天皇と王権を考える4 宗教と権威』岩波書店、2002年
同 「大本教を発展させた出口王仁三郎」『朝日ビジュアルシリーズ5 司馬遼太郎街道をゆく37 洛北諸道 丹波篠山街道』朝日新聞社、2005年10月9日号、
同 「悪に向き合う宗教」島薗進編『思想の身体 悪の巻』春秋社、2006年
同 「宗教学から見た大本」(早瀬圭一氏によるインタビュー)、早瀬圭一『大本襲撃―
―出口すみとその時代』毎日新聞社、2007年
同 『スピリチュアリティの興隆――新霊性文化とその周辺』岩波書店、2007年
対馬路人・西山茂・島薗進・白水寛子「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、1979年
出口王仁三郎『出口王仁三郎著作集』第一巻、読売新聞社、1972年
出口和明『いり豆の花』八幡書店、1995年
出口すみ子『幼ながたり』天声社、1995年
出口ナオ・村上重良校注『大本神諭 天の巻』平凡社、1979年
松本健一『出口王仁三郎』リブロポート、1986年
安丸良夫『出口なお』朝日新聞社、1977年
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study577:130304〕
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