テント日誌3/6日経産省前テントひろば543日目「福島月間の渦中にて」
- 2013年 3月 8日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
昨日は啓蟄だった。いくらか春めいてきた気候の中で何とはなしに気分もうかれ気味にはなるが、それでももう一つ陰鬱な気持も支配している。政治的な動向がやはり「いやな感じ」というのを実感させはじめているからだ。世界的な金融緩和政策(国家による金のばら撒き)による世界同時株高が演出され、マスメディアは安倍をオオバケする政治家もしれないと持ち上げている。が、化けているのはボケはじめているメディアの頭である。こうして表層の気分は世の中に浸透して行くものだが、地金というか強権的な政治動向も見える部分には見えていて鬱鬱とした気分にもなるのだ。「侍ジャパン」が勝った、負けたと騒いでいる向こうでどこか欝なる気分も感じている人の方が真ともなのである。
これというニュースもあまりない中でこれはと思ったのは吹雪の中で父親が娘を抱き温めながら自分は凍死した事件だった。痛ましい事件に違いないが、命をかけて娘を守ったこの父親の行為に僕は涙した。子供に対するこの父親の
行為に素直に感動した人は多いと思うが、この父親と同じように僕らは福島の子供たちの現在と未来を憂えているのだろうか。それとこれとは別だという声も聞こえてきそうであるが、僕には別のこととは思えない。再稼働を福島第一原発事故後の重要戦略としてきた経産省や原子力ムラは事件をなるべく小さくみせるため本当のことを隠蔽してきた。事故の現実とそのもたらしているものも隠し放射能安全神話などで覆ってきた。発見された子供の甲状腺ガンだって因果関係を否定する始末だ。放射能汚染の現実を明瞭に突き出し、そこから子供たちを守るという一番優先さるべき事からも目をそらしてきたのだ。原発を再稼働し、原発保持を優先させる経産省と原子力ムラ、それに業界、また自民党などの与党に対して揺るぎのない視線で持って対決しなければならない。彼らの野望は血も涙もない所業だということを見なければならない。福島の子供たちのことを心配することは放射能への過剰反応ではない。現実に目を開くかどうかである。経産省前テントひろばは「福島月間」を提起しているが、何よりも私たちがまず目を開かねばならぬことである。
むかしの運動関係者《1960年安保闘争時の全学連主流派や反主流派の活動家たち》の合同した集まりがあり、その末尾にあった私も顔を出した。高齢者になった面々だが、原発問題に関わっている人も多く心強かった。テントに向かったのはそれで遅くなったが、テントは変わらぬ光景の中にある。脱原発の運動が持久戦の様相の中にあり、テントも持続も大変だが多くの人もたゆまぬ力で保持されている。朝方の方まで不寝番をしたが、この間の続いていて仕事の疲れもあってうとうととしていた。3月8日・9日・10日・11日と連続した行動がテントの周辺で予定されており、テントも賑やかになるだろう。下にあるのは3月3日の集会の模様の動画である。(M/O)
以下は今すぐ見られる動画です、まだの方は是非ご覧願います。
第1部(2時間弱)http://www.youtube.com/watch?v=l48ZY0ExYR4
第2部(1時間半)http://www.youtube.com/watch?v=VFmgKsS9kzc
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