ドイツ人ジャーナリストが見たフクシマ第一原発の現状
- 2013年 3月 22日
- 時代をみる
- グローガー理恵ドイツ人ジャーナリスト福島第一原発
2012年12月18日、西ドイツ放送(WDR、Westdeutscher Rundfunk)のジャーナリスト、ユルゲン・ドゥーシュナー氏はフクシマ第一原発を訪れました。
ご紹介させて戴きます記事は簡単に申し上げますと、「ドゥーシュナーさんのフクシマ・インプレッション」となると思います。ドゥーシュナー氏は、ご自分がフクシマ現場で目撃したこと、体験したことを詳しく報道されています。また、ドゥーシュナー氏が描く現場で働く作業員達の姿は、彼が、そこで働く人々に対してエンパシーを抱いていることを感じさせます。ドゥーシュナー氏は、作業員の方々が如何に尊い貴重な存在であるかということを、もう一度私達に気づかせてくれているようです。
最後に、この記事の件でドゥーシュナー氏にコンタクトしましたところ、記事を翻訳をしてもよいとの許可を頂きましたことをお伝えさせて戴きます。
ただ一つ、ドゥーシュナー氏からのリクエストがあります。-この記事に関して日本の方々からのフィードバックを頂きたい。-とのことです。どなたでも結構です。一言でも結構です。コメントを下さればドゥーシュナー氏にお伝えしますので、是非よろしくお願い申し上げます。
原文へのリンクです。:http://www.tagesschau.de/ausland/fukushima720.html
フクシマ想定可能超大規模の事故から2年
ARD(ドイツ公共放送連盟)オンラインニュース(2013年1月11日付)
筆者:ユルゲン・ドゥーシュナー(Jürgen Döschner)-西ドイツ放送(WDR)ジャーナリスト -(日本語訳:グローガー理恵)
非常事態が正常の常態に
フクシマ・トリプル・メルトダウン原発事故からもうすぐ2年、原発災害はメディアのヘッドラインから姿を消してしまっている。その理由は恐らく、経営会社である東電が常に、フクシマの状態は制御下にあるというような印象を与えていることにあるのだろう。そうした中、フクシマにおいては、非常事態がノーマルで正常な常態となっている。
通行止めの柵、飛行禁止、運転停止された線路区、防護服と防護マスクを身につけた作業員、見捨てられた家々、学校、ショッピングセンター、-フクシマ、第一原発そして、それを周り囲む20キ ロ圏内ゾーン: 非常事態が永続し、公共から厳重に閉鎖され遮断された区域。ここで何が起こるのか、誰がここへ来ることを許されるのか、何を観て、何を耳 にすることができるか、全ての事項は東電によって独自に決定される。ジャーナリストにしても、政治家もしくは国際原子力機関(IAEA)からの高位の代表者にしても、である。: 東電からの「許可‐OK」なしでは、誰も来れないし、原子炉の廃墟を視界にすることさえも許されない。この事だけでも既に、フクシマが、あらゆる正常常態から遠くかけ離れてしまったものであることが明らかである。
Jヴィレッジ(写真:Jürgen Döschner)
所謂「Jヴィレッジ」はフクシマ原発から約20キロ離れたところにある。: 「Jヴィレッジ」は、原発敷地に踏み入りたいとする全ての者にとって、一番最初のステーションとなる。嘗ては日本サッカーチームのトレーニングセンターであったが、今は、「フクシマ・オペレーション」の理想的な橋頭堡として新たに機能している。ここは凡そ2万人の作業員、技師、建造者のためのベースキャンプとなっている。彼等は原発現場で毎日毎日、廃墟を片付けたり、古い建物を取り壊したり、新しい建物を建造したり、配管や配線をしたり、ポンプを設置したり、汚水を集め除染したり、タンクや排水設備をつくったり、もっともっと様々な作業に従事する。
未だに応急施設
事故後の最初の数ヶ月にあった混乱状態は、そうこうするうちに、納まってきている。何百人もの作業員が中央建物のロビーや廊下で寝ることはもうなく、彼等はメーンスタジアムの芝生の上に設けられたコンテナ仮住宅で寝泊りする。
地面上には、何枚もの鉄鋼版が置かれてある。これは長雨で、数え切れないほどある建設車両が泥濘にはまり込まないようにと配慮され敷かれたものである。巨大なテントの中には作業員や訪問者の被曝量をチェックするために、何ダースものホールボディー・カウンター(全身・放射線測定器)が据えられてある。
しかし、廊下に置き去りにされたケーブル、防護服やゴムの手袋が入った箱や躓きそうになる障害物、そして十分な照明が取り付けられていないことが、実際にはJヴィレジが全く別の目的のために設計されたものであり、Jヴィレジは依然として当座しのぎの臨時の施設であることを証明している。
最初に、防護服や防護マスクの取り扱い方、東電従業員との接し方(「常に彼等の指示に従うこと....」)、リポーターの所持品/装備品を確実に密封すること(放射性粒子による汚染を防ぐため)、用意された個人用のガイガカウンターについての指示があった後、バスで原発の廃墟へ向かう。
ゴーストタウン(写真:Jürgen Döschner)
バスは、殆ど人のいない区域を走り抜けていく。東電のスポークスパーソンが、我々がバスで通り抜けていく、それぞれのゴーストタウンでの現下放射線測定値を告知する。ある場所においては放射線量が非常に低いので、そこの住民は少なくとも時間制で帰宅することが許されていると謂うが、人っ子一人見あたらない...。チェルノブイリの記憶が甦ってくる。
バスのスピーカーを通して聞こえてくる東電のスポークスパーソンの声が、帰還計画、家や道路の除染について、そして耕地、森、野原の除染については、もっとも未だ解決策が見つかっていないことを語る。バスドライブは30分かかる。-気の重くなる憂鬱な30分間である。
それから、我々はフクシマ原発に辿り着いた。
致死的被曝量
一番最初の停留場所は、視察することが義務となっている緊急制御センターで、建物は耐震性建築されている。この堅牢な建物は発電所より高い位置にあって、2011年3.11大災害の半年前に建てられたばかりである。ここには現在、中央コントロール室が設けられていて、そこから廃墟となった一号機から4号機までの原子炉や閉鎖されている5号機および6号機の原子炉をモニターするようになっている。24人ぐらいの男性がモニター画面とコンピューターに向かって座り、原子炉内の温度を監視し、放射線値、水位をチェックしている。
中央コントロール室(写真:Jürgen Döschner)
今日に至っても、第3号機の原子炉格納容器内の水位に関するデーターのように、データによっては入手不可能なものもある。幾つかのモニター画面に映し出された巨大な建築工事用クレーンの間に見える破壊された建物や原子炉の廃墟ばかりではなく、其々の原子炉で放射線量測定器が表示する現下放射線量を一瞥して、戦慄を覚えることも-(3号機原子炉における線量【3.5シーベルト/時】=この時間内で致死的な被曝量)-、如何にフクシマ現場が正常常態から遠く隔たってしまっているのかを明示している。
このような段階を経て来ているので、視察者達は次の段階において、極度に驚かされるようなことはない。: 防護服を着付けること-即ち: 靴とソックスを脱いで、その代わりに東電から与えられたソックスを2足、重ねる。それから、オーバーオールを身につけ、布製の手袋を一組、その上に2組のゴム手袋を重ねる。袖口と手袋の裾口の間を接着テープで封する。頭には布製の頭巾を被り、その上から全面マスクを被る。これらは全て反放射線として役に立つのではないが、放射性粒子を吸入することや、服や体に危険な「思い出の品」を付着させて帰宅することを避けるようにするためである。
水が問題をはらんだケースに
こうして身をすっぽり包んで、それから、バスに乗っての原発敷地一周がスタートする。-ねじ曲がった送電鉄塔、裂けてぼろぼろの管、幾台もの建設用クレーン、破壊された建物のそばを通り過ぎ、網状のもの-いや、むしろ管の迷路のようだ-、それからホース、ポンプのそばを通り過ぎる。
そして、殆ど果てしなく続く無数の巨大なタンクの群れを目にしながら、バスは進んでいく。途轍もない量の放射能汚染水が、これらのタンクの中に貯蔵されてあるのだ。貯蔵された汚染水の量は、これまでのところで、【250,000m³】。それから更に毎日、【800m³】の汚染水が加えられる。原発の裏にある丘陵からの流出水が日々、【400m³】ほど流れ落ちてきて、その水は破壊された原子炉建屋に流れ込み、そこで放射能汚染されていく。それに加えて毎日毎日、【400m³】の水がメルトダウンした炉心を冷却するために、1号機から3号機の原子炉内に注入される。
汚染水は部分的に除染される。しかし、とりわけトリチウムはフィルターを通しても除去することが出来ない。東電からの公式随行員でさえも、途方もなく莫大な量の放射能汚染水は、フクシマにおいて現在、格闘対処していかねばならない最も重大な難題の一つであることを認めている。少なくともエンジニア達は、今年中に大規模な排水設備をつくりあげて、丘陵からの水の流入を止めたい。しかし、それを成し遂げることができるかどうか確かではない。
汚染水の入ったタンクの群れ-2012年12月18日の時点での水量:250,000m³ (写真:Jürgen Döschner)
第2番目の問題は4号機原子炉である。2011年3月11日、大震災があった時、4号機は点検のために稼動が停止中であった。炉心にあった燃料棒は原子炉から取り出されてあり、核燃料集合体は原子炉建屋内の4階にある使用済み燃料プールに中間貯蔵されている。そして多くの専門家の査定によれば、まさしく、この燃料プールこそが、原子力災害を新たに悪化させるべき最大の危機をもたらす起因となる。
1500本以上の燃料棒が、巨大なプールに貯蔵されてある。その後、プールは鋼材支柱とコンクリート壁の追加によって応急的に安定化された。誇らしげに人が、視察者たちを4号機原子炉建屋の屋上に導き、作業がどれだけ捗っているか~【プールの上部にあった瓦礫や建物の破片は既に運び去られている。】~を見せるために案内する。
しかし、例えば、新たに激震が発生したとしたら、全ての構造が崩壊してしまうか、燃料プールが漏れ出してしまう可能性もある。そのため東電は、プールから燃料棒を取り出すことに全力を挙げている。
その事を為し遂げるためには、原子炉の傍に、高度で精巧なクレーン・システムと安全システムが付いた特別な建物を新たに建設しなければならない。建物の最初の柱は既に立てられてある。しかし、果たして、地下基盤が十分にしっかりと安定しているのか、懸念がある。その上、2011年3月の爆発で金属の断片が燃料プールに落ちている。これらの断片が燃料棒を損傷してしまった可能性もあるので、燃料棒は最大の注意と努力を払って、取り出されなければならないことになる。
4号機原子炉の屋上から眺めると、第三番目の大きな難題がはっきりと見えてくる。: 3号機原子炉の廃墟である。遠くから、屋上に捻じ曲がった鋼桁が縺れ合った糸玉のようになっているのをはっきりと見極めることが出来る。その下には、使用済み燃料が同様に、屋根なしの燃料プールの中に貯蔵されている。ここのプールにもまた、瓦礫・破片が落ちてきている。12月末に、リモートコントロールのクレーンで最初の鋼鉄の断片が取り出された。
3号機における最大の危険性は、そのもっと下にある原子炉容器内自体にある。溶融した炉心が非常に高い放射線を発するようになったため、原子炉で作業が出来ないのである。誰ひとりとして、炉心の状態や炉心がどこにあるのか正確な位置を知らない。また原子炉容器内の水位も測定不可能な状態にある。後に、我々がバスで3号機原子炉の傍を通り過ぎるとき、バス運転手はアクセルを踏んでスピードを出した。-高い放射線のためである。
潜んだリスク
これらの原子炉(複数)における問題、危険、リスクの全てが、覆いなく可視的なものであるとは限らない。例えば、第1号機は数ヶ月前から、鋼鉄‐プラスティック製の建造物で周りを囲まれ覆われている。*それを外から見ると、外観はこざっばりとしている。しかし、その被覆の中には同様に、原子炉の廃墟が潜んでいるのだ。廃墟には、スクラップや燃料プール内に入った多数の核燃料集合体があり、原子炉内には淡水で持続的に冷却され続けていかねばならないメルトダウンした炉心がある。
それから、2号機の原子炉建屋は外見上、損傷がないような様相を保ってきた。ここでは水素爆発はなかった。しかし2011年3月、2号機においてもメルトダウンが起こり、原子炉は持続的に冷却されていかねばならない。
フクシマの大惨害が終息したとは、とても謂えない。そして、新たに激化された危険を回避したとも、とうてい謂えない。惨害の影響を受けたのは周辺の放射能汚染された地帯だけではない。フクシマ原発自体にも惨害の影響が及んだ。-凡そ20,000人の作業員が未だに、瓦礫・破片を片付けて除去するために、原子炉(複数)の安定状態を保つために、そしてこれ以上の災難を避けるために、毎日毎日、働いている。
にもかかわらず、もし再び激震が発生し、津波が再来したとしたら...、これらの作業員の懸命な努力を打ち砕いてしまうのに、もう十分なのである。そして、フクシマ原発の災害レベルが新たに上昇する結果を及ぼすことになる。フクシマは正常常態であると、東電や日本当局は外部へ伝えたがっているが、そんなことはあり得ない。
何故なら、フクシマでは非常事態が正常常態なのだから。
1時間半の原発敷地視察を終えた時点で、ユルゲン・ドゥーシュナー氏のガイガ・カウンターは0.084mSVを表示(年間被曝基準量が1mSVだから、理論上は、あと10回フクシマ原発訪問ができる、とは、ドゥーシュナー氏の言葉)(写真:Jürgen Döschner)
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(注)*それを外から見ると、外観はこざっばりとしている。:この言葉には皮肉が含まれています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔eye2219:20130322〕
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