青山森人の東チモールだより 第229号(2013年3月21日)
- 2013年 3月 26日
- 評論・紹介・意見
- 国連撤退東チモール青山森人
国連が去った東チモール
外国人がめっきり減った首都
贅肉がとれてスッキリしたともいえるし、ひっそりとして寂しくなったともいえなくもない。
国連と国際治安部隊(オーストラリア兵士と若干のニュージーランド兵士の混成部隊)が去年で活動を終えたいま、首都デリ(Dili、ディリ)では外国人がめっきりと減ってしまいました。そして外国人の存在とは、かれらの顔にあるのではなく、かれらの乗りまわす車にあったことが今はっきりとわかります。「UN」と書かれた国連車が路上からほとんど姿を消したことで首都の交通量が激減したのです。
国連の車は完全になくなったわけではなく、国連の事務所もひっそりと残っています。2006年のいわゆる「東チモール危機」から展開が開始された国際治安部隊も終了しましたが、オーストラリア人の軍服姿が完全に姿を消したわけではありません。東チモールの国防軍と訓練関連の仕事をするオーストラリア軍の姿を、オーストラリア大使館前やくだもの市場でちらほらと見かけます。
元の広い敷地から近くにある建物一軒ほどの狭い敷地の前に移されたUNMIT(国連東チモール統合派遣団)の立て看板。後始末業務を行っている。2013年3月16日、カイコリ地区にて。ⒸAoyama Morito
交通量が激減したことから、この国が独立してもなおいかに国際社会に依存してきたか実感できます。そして国際社会の存在とは、国際社会から派遣された人員一人ひとりの人間性にあったのではなく、実は車輌に代表される装置にあったのだと虚しくも実感せざるをえません。これらの実感は世界のいたるところに展開されている国連という巨大な官僚機構の役割を考えるとき、わたしにとって大切な参考となることでしょう。
道路の写真を撮ると、去年までは四輪駆動の国連車が幅をきかせていたものだが、いまはタクシーの黄色が一番に飛び込んでくる。2013年3月16日、ベコラにて。ⒸAoyama Morito
変化すべき風景はそのまんま
これまで外国人を主要な客にしていた東チモール人の商売人(カフェテリアやレストランの経営者)は客が激減したことで大きな打撃を受けているが、もともと地元住民を相手に商売している東チモール人にとっては変わりなし……と小さな店を営む東チモール人たちは語ります。わたしの元の下宿先であるビラベルデのロザさんの家族が営む小さな店は近所の住民を相手にする商売なので国連が去った経済影響を被る余地はありません。首都に金を落してくれる外国人の数が激減したのですから、商売を営む以上いくばくかの間接的な影響を受けているかもしれませんが、1999年から2012年まで歴代の国連組織の本部となっていた敷地は、これからは政府が使用することになるそうですが、その入り口付近に店を開けるようにロザさんは政府と交渉しているというから、逆に正の影響があるかもしれません。
今日の東チモール経済を考えるとき、もはや国連などの国際社会の駐留は必要ではなく東チモール自身による経済成長こそが鍵となる時代に入りました。2000年から2012年までの東チモールにおける国民総収入(Gross National Income)は365%に成長したといわれますが、その成長とは外部要因・石油・ガス関連に依存した成長です。貧困状態にある人びとへの社会保障をどうするのか、いかにして貧富の格差は是正されるのか……将来の東チモール社会の礎はまさにこれから築かれようとしています。
国連や国際治安部隊が去っても、変わらない風景があります。変わってほしいがなかなかしぶとく変わらない風景です。それはゴミ集積場とその周辺の不衛生な風景です。ゴミが収集される前も直後でも、ゴミは散らばり、蚊がたかり、いかにも病気の温床となりそうな場所が首都のいたるところで存在したままです。住民一人ひとりの心がけで、めざましい進歩をお金をかけずして遂げることができる分野はまだ放置されたままです。こういう分野を辛抱強く変えることができるとしたら国連も人の顔をもつ人間らしい血のかよった組織だと評価できるのですが、多国籍官僚機構には無理だったようです。
~次号へ続く~
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訂正:『東チモールだより第227号』で「ラオ ハムトゥク」(共に歩む)と書いたのは「ルタ ハムトゥク」(共に闘う)の間違いでした。お詫びして訂正させていただきます。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1212:130326〕
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