青山森人の東チモールだより 第231号(2013年3月30日)
- 2013年 4月 2日
- 評論・紹介・意見
- バチカン法王ファースト・レディ中国人東チモール青山森人
“外国人”に土地を買われる東チモール
浸み込んでいる中国人の経済力
国連と国際部隊が去って外国人の数が激減する東チモールで生じうる変化と予想していたことが外れました。国連と国際部隊に勤務する外国人が去れば、そのぶん居残る外国人が相対的に目立つ存在になる、そしてそれは中国人である。しかしそれほどそうはなりませんでした。
2008年に劇的な治安回復を果たしてから中国人がとりわけ大道を闊歩しはじめ、まるで飛ぶ鳥おとす勢いで中国人が増えてきました。日本高度経済成長期の農村からの東京への出稼ぎ労働者を想起させる中国人労働者の木訥な顔つきが東チモール移民局にあふれていたのは興味深かったことです。それは2~3年前でした。いまは、そのころのようにこのまま中国人が増え続けたら一体どうなるのだろうと心配するほどの勢いはありません。そして中国人の増数の勢いは、国連と国際部隊に勤務する外国人の数の減り具合にさほど反発することなく大人しくなったようです。
しかし木訥な顔つきの中国人労働者の存在が目立たなくなっただけで、あくまでも表向きのことかもしれません。町に建ち並ぶ新しい商店を見れば、金持ちの中国人による商業活動の影響力が増大していることは明らかです。
東チモールでは外国人は土地を買うことは法律上できませんが、新聞『スアラ=チモール=ロロサエ』(2013年3月28日)によれば、外国人(この場合、中国人とインドネシア人)が東チモール人と結婚し、法の網をくぐって土地を買って東チモール人商人を追い出していると国会で野党フレテリンの議員が問題提起しています。被占領時代の後遺症によって土地所有をめぐる住民同士の争いが絶えないことから土地不動産にかんする法律の早急な整備が待ち望まれていますが、新たに外国人による“合法的な”土地購入が懸念されるいま、法整備の要求がより一層高まっています。ただしいうまでもなく外国人が東チモール人と結婚して東チモール人国籍を取得する行為は合法的であり、精確にいうと法律上の外国人が土地を買っているわけではありません。土地法の整備が未熟な東チモールは中国人の経済力に“合法的に”つけ込まれている可能性があります。
写真1
去年までオーストラリア軍が駐留していた「キャンプ フェニックス」。今はもぬけの殻。
2013年3月22日、カイコリにて。ⒸAoyama Morito
新法王就任ミサに参列した大統領夫妻
バチカンで新しい法王・フランシスコⅠ世の就任ミサが3月19日、数万人のカトリック信者が出席するなか世界130の国や地域の要人も参列し行われましたが、東チモールの要人もその中に含まれます。タウル=マタン=ルアク大統領夫妻が、カトリック信者が大半を占める東チモールを代表して参列しました。タウル大統領にとって去年のモザンビーク訪問に続く、二度目の海外訪問です。3月16日に出発し、22日に帰国しました。
大統領のバチカン訪問について国会議員から国会への事前説明が不十分だという声が一部あがりました。この指摘にかんし大統領は帰国時の記者会見で、ラサマ副首相からバチカン訪問の許可を得た海外訪問であり、本来の予定に組み込まれていなかった訪問であったことを認めました。
東チモールTV局により新法王と対面する大統領夫妻の画面も東チモールで放映され、テレビのインタビューにも応えていまいた。一般的には大統領のバチカン訪問を批判する声はほとんど聞こえてきません。タウル大統領は新法王を東チモールに招待したと報じられました。
去年ポルトガルで出版されたタウル=マタン=ルアク大統領の半生をまとめた『タウル=マタン=ルアク 独立への人生』の表紙。マリア=アンジェラ=カラスカラン(東チモールで有名なカラスカラン家の娘)が大統領のインタビューや発言をまとめている。600頁近い分厚い本である。「きのう」・「きょう」・「あした」の三部構成となっていて、「きのう」はゲリラ時代を、「きょう」は1999年の住民投票から2006年の「東チモール危機」を経て、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領とシャナナ首相が誕生したとき(これはちょうどわたしが拙著『東チモール 未完の肖像』で書いた時代だ)を描き、そして「あした」では経済や石油・ガス開発について述べ、1975年に本格的開始された民族解放闘争の指導者たちから新しい世代への引継ぎを最後の話題としている。間接的に耳にした話だが、重要な部分が省かれタウル大統領はこの本についてちょっと残念がっているという。わたしにとって残念なのはポルトガル語の本なので一般の東チモール人の手元に言葉の問題と高額であることからゆき渡りにくい本であることだ。しかし貴重な本であることは確かである。
護衛抜きのファースト・レディが治安の良さを物語る
3月30日、復活祭休暇のなかで東チモールの時間がゆるやかに流れる午後、わたしの滞在するジョゼ=ベロ君の家に大統領夫人イザベルさんが訪ねてきました。昼寝をしていたわたしはジョゼ君に「イザベルさんが来たぞ」と起こされました。この国の、いわゆるファースト・レディになってからイザベルさんとちゃんと会うのは考えてみれば初めてのことです。ファースト・レディになったイザベルさんがなんとなく人当たりが良くなり気品が出てきたと思うのは、たぶんこちらの勝手な思い込みでしょう。わたしは挨拶しながら「あれっ、大統領は?」というと、イザベルさんが「おうちですよ」といい、「かれはいま畑仕事をしています」といいます。
イザベルさんはバチカンからのお土産(フランシスコ1世のプロマイド写真や念珠)をジョゼ=ベロ君の妻・マダレナさんにわざわざ持ってきてくれました。イザベルさんがファースト・レディになれたのは、なんといってもタウルさんの選挙参謀となって献身的な働きをしたジョゼ=ベロ君のお陰なので、個人としてはこれくらいのことをしても問題はないでしょう。いろいろ雑談をして1時間ほどして帰っていきました。
ファースト・レディに同行したのは車を運転する短パン・Tシャツ・サンダルの普段着の若い女性で、たぶん家族か親戚です。ちょっと昔ならばたとえ私的用事であっても外出時には軍服姿の兵士2~3名が護衛にあたったものですが、治安の良くなったいまの東チモールでは不要です。今年はまだ見かけていませんが、もう一人のファースト・レディ(大統領夫人と首相夫人、どちらがファースト・レディかな?)であるシャナナ=グズマン首相夫人(乳がんを患っている)も最近は護衛がつかず一人で車を運転しています。要人や要人の家族が狙われる雰囲気がなくなったのは、ともかく東チモールの大きな進歩といえます。
軍服姿の元ゲリラ兵士と町ですれ違いざまに手を振りながら声をかけたり、あるいは立ち話をして近況を語り合ったりするのが日常のわたしの楽しみでもありましたが、2008年以降、それは過去のこととなりました。東チモールはもはや、軍服姿が日常風景に溶け込む国でなくなりました。民族解放軍から国家軍事組織への移行は、山あり谷あり、武装反乱集団も登場するなど紆余曲折いろいろありましたが、タウル=マタン=ルアク元司令官の大統領就任が象徴するかのように、遂げえたといえます。これからは日常的に目にする武装組織とは警官がほとんどということにますますなっていくでしょう。3月27日、PNTL(東チモール国家警察)創設13周年記念を迎えました。国連警察官が傍にいなくなった環境でPNTLが質の向上を図れるかが治安維持の今後の鍵となります。
PNTL創設13周年記念を祝う看板。左端の人物がロンギニョス=モンテイロ・PNTL長官。モンテイロ長官の任期は3月27日で切れるが、後任が定まらずしばらく任期延長される運びとなった。すんなりと後任が決められないところをみると、まだPNTLに不安が残る印象をうける。2013年3月22日、政府庁舎前の海辺の広場にて。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
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