チトーのマイナス・イメージ──米英軍大空襲と二つの解放軍
- 2013年 4月 15日
- 評論・紹介・意見
- コソヴォセルビア岩田昌征
故チトー大統領に対してセルビア人労働者がポジティヴな感情をいだいていることを「ちきゅう座」で2回ほど紹介した。それでは、今日の中国において大衆的デモにおいて毛沢東の肖像が出現する事が権力者達に有する政治心理的効果を発揮する程に、チトーの肖像画の労働者集会における登場がセルビアの権力者達に政治心理的効果を有するか否か、疑問である。
チトーには別のネガティヴなイメージもまた存在するからだ。
『ポリティカ』紙(2013年4月7日、8日)の連載記事、「セルビア人諸都市の破壊を要請した者は誰か」と「爆弾には『復活祭おめでとう』と書いてあった」を要約紹介しよう。
問題は第二次大戦中における米英軍によるセルビア諸都市空襲の背後にある秘密にかかわる。ナチス・ドイツ軍、ハンガリー軍、ブルガリア軍、イタリア軍によって占領、解体、分割されたユーゴスラヴィア王国のセルビア人にとって、米国と英国はもっとも頼りにしていた救援軍であった。王国亡命政府はロンドンに置かれていた。もともと、ナチス・ドイツ軍によってベオグラードが大空襲され占領されたのも、セルビア人が立ち上がって三国同盟条約を放棄したからであった。それなのに、それなのに、何故我々を!
記事によれば、米英軍の空襲は、1943年10月20日にはじまり、1944年9月18日に終了する。セルビアとモンテネグロのすべての主要都市が爆撃され、住民の殺傷、文化財の消滅などセルビア人の物心両面に多大のショックを与えた。しかし占領ドイツ軍に殆ど目立った損害を与えることが出来なかった。ベオグラードの空襲11回、ニシ15回、クラリェヴォ6回、ポトゴリツァ4回、ノヴィサド3回、……
1944年4月16日の大空襲ではベオグラード市の行政施設、鉄道、橋、病院、工場、文化施設、工学部、学生寮、……が破壊され、市民多数が死傷した。不発弾に「大文字のキリル文字で『復活祭おめでとう』と大書されていた。ベオグラード市民は絶句した。」空爆によるドイツ軍の損害はセルビア市民の百分の一であった。
セルビアとモンテネグロの歴史上最大である諸都市破壊を提案した者、そして承認したものは誰か。セルビア現代史上の最大の秘密であり、タブーであった。当時、ボスニアにあったチトーは、1944年2月5日、セルビアにいた同志達に電報を送信した。その電報の内容は、チトーと彼の参謀本部が米英軍の空爆と全く無関係であったと言う説を否定する。エドヴァルド・カルデリ(ユーゴスラヴィア共産党の№2、後の副大統領:岩田)は、1944年6月29日にスロヴェニア共産党中央委員会にあてた手紙で、「リュブリャナ(ユーゴ北部のスロヴェニア地方の中心都市、後にスロヴェニア共和国の首都:岩田)空爆を提案するどんな必要があるのか。そんなことをすれば、疑いもなく数千人の我々の市民が殺され、敵のほうは殆ど傷つかないであろう。そんなことはユーゴスラヴィア全体(つまり、セルビアとモンテネグロ:岩田)の経験でわかっていることだ。」と書いていた。
記事の言わんとする所は、米英軍のセルビア都市爆撃の要請者、かつ承認者としてチトー指導部を批判する所にある。かかる主張が事実であるとすれば、セルビア常民のチトー・イメージを大きく低下させる。日本の共産主義者も敗戦後、連合軍・アメリカ軍を解放軍と規定して、万歳でむかえた事がある。だからと言って、大日本帝国の崩壊を狙って、東京大空襲を要請するようなことはなかったし、考えもしなかったであろう。
チトーはクロアチア人とスロヴェニア人の子供であり、カルデリはスロヴェニア人であるから、セルビア常民を犠牲にするような作戦を求めたり、同意する事が出来たのだ。これが記事の筆者の言わんとする所だ。しかしながら、このような事例は、ユーゴスラビア人民解放軍に限ったことではない。1999年のNATO軍によるセルビアとコソヴォの空爆も同様の質を持っていた。コソヴォ解放軍はNATO軍の出動を求めていたし、空爆開始を歓迎した。コソヴォ地域住民の85パーセントがコソヴォ・アルバニア人であって、空爆の直接的被害者は、コソヴォ地域に展開するセルビア軍よりも同族のアルバニア人常民である事が100パーセント予測されたにしても、である。戦略的に政略的に最終勝利がそれによって保証されるからである。チトー(ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国大統領)の人民解放軍もタチ(独立コソヴォ共和国首相)のコソヴォ解放軍も同じ戦略をとったとしても、不思議はない。そして、目的達成の後の社会で、大空襲の被害者さえもその事実に沈黙し、ナチス・ドイツ軍やセルビア軍の残虐さだけが語られるのも、不思議ではない。
社会主義体制が崩壊した後で、かかるチトーの裏面が発表される。タチの独立コソヴォ共和国の将来においても同じことが起きるだろう。
歴史とはつめたいものである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1246:130415〕
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