なにが障害か -日中韓三国首脳会談の延期
- 2013年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- 尖閣問題田畑光永
管見中国(44)
5月下旬にソウルで開かれると予想されていた日中韓三国首脳会談が、尖閣諸島問題を背景に中国が応じない構えを見せているために開催が困難になったと、4月18日の各紙に一斉に報じられた。これで当分、安倍・李克強両首相の顔合わせは実現しないことになった。その直前には中国国防部が発表した国防白書では「釣魚島問題で一方的にことを起こしている」と、わが国だけが名前を挙げて非難の対象となっていた。
私は4月9日の本ブログに「会談の機は熟した―尖閣を机上に載せよ」と題する一文を書いて、尖閣諸島について中国との交渉に入るべきだと提言した。その趣旨は、中国も昨年秋の「強制外交」(軍事力以外のあらゆる手段を動員して圧力をかける)で日本に譲歩を迫った当時とはだいぶ態度が変わってきたので、こちらも「尖閣に領有権問題はない」という頑なな態度を改めるべきだ、というものであった。
事態は私の論旨と逆の方向に進んでいるように見えるかもしれない。私の判断の誤りとすれば、自らの不明を恥じるのみであるが、私自身は判断ミスを犯しているとは考えていない。そこであらためて私の現状判断を聞いてもらって、今後の推移を注目していきたいと思う。
9日の文章で私は中国側の態度の変化を示す事例として、3月10日の劉源上将の軽々しく戦争を口にするのを戒める発言、同22日の李源潮国家副主席の張富士夫(トヨタ自動車会長)、米倉弘昌(経団連会長)両氏への発言を紹介した。
このうち李副主席の発言は「対話を重ね、ともに努力し、交渉で衝突を回避し、問題を解決できる道があるはずだと信じている」というものであった。私はこの中の「交渉で衝突を回避し」とあるのに注目し、これは「領有権問題はない」と主張している日本側を交渉のテーブルに誘うための配慮と受け取った。
その後、4月16日にはやはり新任の汪洋副首相が国際貿易促進協会の会長として訪中した河野洋平元衆院議長と会談し、さらに積極的な関係改善論を述べた。その内容は「今の中国の発展は日本や日本の経済界や企業の協力があればこそだ。協力すればウインウインに、戦えば共倒れになる」、「経済大国の両国は、どんなことがあっても経済関係を深めるべきだ」というものであり、ひと頃よく聞こえた「日本は経済力で中国に追い越されたのだから、道を譲るべきだ」式の「大国風」とは著しく趣を異にする。中国は対日方針を少なくとも政権中枢においては明白に切り替えたのである。
尖閣については、汪副首相は「(日本側の)政治家の正しくない選択で経済発展に影響を与えるべきでない」と、日本政府による尖閣諸島買い上げを批判しつつも、それと経済関係を切り離す姿勢を明らかにした。これはこれまで日本側が言ってきた「尖閣諸島で対立があっても、それをほかの分野での交流に影響させるべきではない」という態度とぴたりと重なる。
これらの引用はいずれも会談翌日の『日経』によるが、李副主席の発言が中国側では報道されなかったのを奇異に思っていたら、汪副首相の場合は中国メディアに会談の取材を認めなかったと『日経』は書いているので、李副主席の場合もおそらく同様の措置が取られたものと推察される。
つまり半分は国内向け宣伝のような原則論はこの際無益と割り切って、両氏は日本側に本音で語りかけてきたと解すべきであろう。それにしては日本のメディアでの両氏の発言の扱いは小さかった。中には無視した新聞もあった。中国の首脳と言えば、習近平主席か李克強首相でなければ・・・という思い込みがそうさせたのであろうが、この両氏は今回の新体制の「新」を象徴するような人物であり、李氏62歳、汪氏58歳という年齢から見て、両氏とも少なくとも今後10年は中国政治の中枢を占めることは間違いない。その人たちからの発信が少なくともメディアでは正当に扱われなかったのは残念なことであった。
しかし、肝腎なことは日本政府がこれらの発言をどう受け止めているかである。安倍首相の尖閣についての直近の発言としては、4月15日に米ケリー国務長官と会談した際に「尖閣については譲歩しないが、こちらの窓は常にオープンだ」と述べたと伝えられる(4月18日『毎日』)。
ここで安倍首相の言う「譲歩」の意味が問題である。現場の海域ではすでに日常化した中国政府の公船による巡視活動と日本の海上保安庁の巡視船の舷々相摩さんばかりの緊張状態が続いている。李副主席は「衝突を回避するために対話を重ねよう」と呼びかけているわけだが、安倍首相の辞書では衝突回避のための対話も「譲歩」ということになるのであろうか。中國側が一方的に船を増やして現状を作り出したのだから、それを前提に話はできないということなのか。
その理屈を貫けば、日本側としては、中国側が自主的に船の派遣をやめれば、「それで事態は解決する、別に話し合う必要はない」ということになるのだろうが、それは現実の政治をあつかう人間の態度としては小児病的と言わざるをえない。小児病的形式論理を振り回すことが「毅然」とした姿勢であると誤解しているとすれば、政治家の器としてはあまりにも小さい。
私は前段で「中国は対日方針を政権中枢においては明白に切り替えた」と書いた。しかし、現在の中国の政治はかつてのように権威ある指導者が方針を決めれば国が動かせた(そのおかげで日中国交回復ができた)時代とは違う。選挙というともかく民意を数字で示すメカニズムを持たないだけに、行政責任者(あえて「権力者」とは言わない)はかえって国民内部のさまざまな思いや思惑に気を使わなければならなくなっている。
したがって李、汪両氏の発言は政権中枢の現在の方針を反映するものではあっても、現段階でそれを社会一般に公表してそれに従わせようなどとはとてもできるものではあるまい。だから李発言も汪発言も中国のメディアには載せなかったのだ。おとなしくなったとはいえ、軍内にはまだ主戦論は生きているだろうし、社会には火をつければまだ炎が上がるだけ反日のエネルギーは残っているずだ。
とすれば、日本側は今こそ中枢部からの発信にすばやく応えて、対話のメカニズムを作り、問題をその中に封じ込めるべきなのだ。それを中国側が国内向けに「日本の譲歩」と宣伝しようとかまわないではないか。両国関係に安定を回復することがわが国にとっても国益ではないのか。
ところが、日中韓首脳会談延期にまつわる報道の中にちらつく日本政府の態度はなんとも度量が小さい。「こちらから頭を下げる必要はない。ボールは中国側にある」(日本政府関係者・『毎日』)、「こちらは常に扉を開いているが、首脳会談実現のために中国が何か条件をつけてきても応じるつもりはない」(外務省幹部・『日経』)という具合である。これらの発言が事実とすれば、そこには日中関係の大局よりも、自分たちのメンツや溜飲にこだわる姿勢しか見えない。中国が首脳会談に応じられない理由はそこにある、と私は見る。
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