狡猾と鉄面皮―靖国参拝「批判」を「脅し」と断じた安倍答弁
- 2013年 4月 26日
- 時代をみる
- 安倍内閣歴史問題田畑光永
暴論珍説メモ(124)
円が下がって、株が上がって、安倍首相の頭の中のネジが1本緩んでしまったのではないだろうか。小泉元首相流の「高姿勢とごまかし」答弁が突然再登場した。元首相にあった一種の愛嬌が欠けているのが違いだが・・・。
北朝鮮の「脅迫」にどう対処するかで、中国、韓国と緊密な連携を維持しなければならないはずなのに、麻生太郎(副総理・財務相)、新藤義孝(総務相)、古谷圭司(国家公安委員長)の3閣僚、それに「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の面々168人が、4月20日からの靖国神社の春の例大祭に参拝したことへの、中韓両国、とくに韓国が見せた反発に対する安倍首相の開き直りである。
舞台は22日から始まった参議院予算員会の今年度予算案についての基本的質疑。村山談話の見直し、靖国参拝、尖閣などについての質疑に対する答弁で、安倍首相は狡猾かつ鉄面皮に薄っぺらな形式論理を振り回して、歴代内閣がまがりなりにも築き上げてきた、戦争の歴史についてアジア諸国が受け入れられる日本の「立場」を弊履の如く捨て去った。
まず村山談話について。「安倍内閣としてそのまま踏襲しているわけではない」と言明して、「継承する」と言ってきたこれまでの態度を変えた。しかし、そう言うなら、どこを踏襲し、どこを踏襲しないかを明示しなければ発言は完結しない。ところが質問者(民主党・白真勲議員)の突っ込み不足もあって、その点は明らかにしないままに終わった。狡猾というのはそういうところである。
同様の手法は「侵略」についての質問への答弁(23日)でも使われた。ここで安倍首相はまず「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と言いきった。本当にそうか。かりに定まっていない部分があるとするなら、そこを明示しなければやはり発言は完結しない。それをしないまま、その後にこう続けた。「国と国との関係でどちらから見るかにおいて違う」。これは話が違うだろう。現実の国家関係で一つの事象について見解が対立するのは珍しくないが、それは定義の多様性の例示にはならない。こんな子供だましであたかも自説を証明したかの如くに装う。
昭和20年にいたる日本の中国に対する軍事行動が「侵略」でないと言いたいなら、どういう定義に基づいて侵略でないと判定するのかをはっきりさせなければならないはずだ。
本音はその後の最後の部分だ。「アカデミックな議論を学者どうしが学識をかけて議論すべきだ」という結論である。つまるところ学者を使って「甲論乙駁」の結果として「結論なし」に持ち込みたい、つまり「侵略とは言えない」という形にしたい、という思惑が見え見えだ。(この部分の引用は『毎日』4・23夕刊による)
こんなロジックが通用すると思うところが鉄面皮だ。
もっとも首相も首相なら副首相も副首相で、麻生大臣は政府代表として2月25日に韓国のパク・クネ大統領の就任式に参列し、その後、同大統領と会談した際、「日韓関係は歴史を直視して」と釘を刺された際に、米国の南北戦争の例を挙げて、南と北では歴史の見方が違うと言い返したという。反論するなら、きちんと反論すべきだ。日本は朝鮮を植民地にしたわけではないと言いたいならそう言うべきだし、日本統治にもいい点があったと言いたいならそう言うべきだ。その勇気がないから、白黒をつけずに「歴史にはいろいろな見方がある」でお茶を濁そうとする。その見え透いた狡猾さには顔から火が出る思いだ。
そして靖国参拝。「国のために尊い命を捧げた英霊の御魂に追悼の誠を捧げる」というのが、政治家が靖国神社参拝の目的に掲げる決まり文句だ。しかし、靖国神社がかつての日本軍国主義の象徴であったことはぬぐいようのない事実である。無辜の民を動員して戦地に送り、その命を捨てさせるための壮大な仕掛けが靖国神社であった。しかも、敗戦後、その戦争を指導し、自らは「尊い命を捧げることなく生き残った」人たちまでが、死後に「英霊」になりすましてあそこには合祀されている。靖国神社にどう向き合うかは、その人間の歴史に対する姿勢そのものと言っていい。
政治家ともあろうものが靖国神社のもつこの大きな矛盾をどう考えるかを明らかにせず、わざとらしい一言で参拝するから、その下心がかえって見えてしまうのだ。「追悼の誠」を隠れ蓑にして歴史を書き変えようとしている、と。
追悼の誠を捧げる、というのは内的行動である。いつでも、どこでも、やろうと思えばできることである。それは例大祭だの、終戦記念日だのに、わざわざ特定の場所に出かけなければ果たせないわけではない。したがって、出かけていくのは心的行動とは別のデモンストレーションである。オレはこうして追悼の誠を捧げているのだぞ、と他人に見せるための。
ただ小泉首相まではこうした矛盾を指摘されても、ひたすら「追悼の誠」の隠れ蓑の背後に身を置いてほかのことは言わなかった。せいぜい今回も麻生大臣が言った「外国では戦没者に政府が敬意を捧げるのを禁じている国はない」式の、外国の例を持ち出して参拝を正当化したくらいであった。それが安倍首相では変わった。
24日の参院予算委員会で安倍首相は、「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と答弁した。さらに野党に対して「(外国からの)批判に痛痒を感じず、おかしいと思わない方がおかしい」と反撃した。
中国、韓国からの批判を「脅し」と決めつけた。「脅し」を何とも思わない野党のほうがおかしいと断じた。「脅し」なら、無視するか、脅し返すしかない。まともに受け止めるのは「脅し」に屈したことになる。だから相手の態度を「脅し」と切り捨てることは喧嘩しようという宣言である。わが国の首相はこんな宣言をしてしまった。
私はなんでも中国、韓国の言うことを聞け、などと言うつもりはない。竹島や尖閣諸島に「歴史」を持ち出すのは大人の態度とは思えないし、問題に対する彼らの論理の弱さを示すものだと考えている。
しかし、歴史となれば、わが国は村山談話を出した。世界に向かって出したものをなし崩しにするようなことは言うべきでないし、するべきでない。いったん謝罪した以上は、それを貫かなければ国としての品格が失われる。相手が歴史を持ち出して来れば、何度でも同じ態度で応えなければならない。
同時に歴史と目の前の問題の処理とは別次元であると、そこをはっきり区別すればいい。尖閣は確かに明治政府の野心による領有であったことは否定できないが、しかし、日本敗戦後、中国(中華民国)は理由はどうあれ、当時、日本領であった同諸島の返還を要求しなかった。その状態は20年以上続いた。日本の領有を認めていたと言われても仕方がないはずだ。
韓国は日露戦争に勝利した日本がその余勢をかって、韓国(大韓帝国)に第二次日韓協約を押し付けて外交権を奪った1905年に、日本政府は竹島を島根県に組み入れたのだから、侵略の一部だと主張するが、組み入れはまだ「奉天大会戦」前の2月、議定書は11月だから直接の関連はない。もっとも第一次(1904年)から第三次(1907年)の日韓協約が結ばれる途中で、竹島の編入がおこなわれたことは事実である。しかし、それが直接に結びつくかどうかは議論のあるところであろう。
いずれにしろ、とにかく日本は昔、悪いことをしたのだから、その罪滅ぼしに尖閣も竹島も譲り渡せというような中国、韓国の要求は筋が通らない。しかし、日本の主張を通すためにも、歴史に対する姿勢がぶれてはいけない。
都合の悪い歴史を改変しようとしていると思われたら、国際社会はかえって歴史と結びつけて尖閣、竹島の領有を主張する中国、韓国の言い分に理があると考えるだろう。安倍首相は自分こそ国益を守る志士のつもりで、「毅然」を演じているであろうが、それが長期的にどれほどの国益を損じるか計り知れない。「ナショナリズムは愚者の楽園」と昔から言うが。
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