新たに見つかった旧ソ連粛清犠牲者「ニシデ・キンサク」「オンドー・モサブロー」「トミカワ・ケイゾー」「前島武夫」「ダテ・ユーサク」について、情報をお寄せ下さい!
- 2013年 5月 2日
- 時代をみる
- 伊藤律加藤哲郎原子力憲法
◆2013.5.1 寂しいメーデーです。日比谷公園に全労協、代々木公園に全労連が集まっているようですが、メインの連合中央メーデーは4月27日に4万人で終了、かつて1952年に皇居前で「血のメーデー」事件があり、1956年には神宮外苑に50万人が集まり「憲法改悪阻止、お手盛り小選挙区粉砕、すべての国の原水爆反対、原子力の平和利用の促進」を決議して日本における原発導入の出発点になったような勢いはありません。レイバーネットによると5月3日に恵比寿公園で「持たざる者のメーデー」があるとか。こちらの方が「プロレタリアート」の精神を受け継いでいるように見えます。4月28日の「主権回復の日」もそうでした。政府主催の憲政記念館では、国会議員も都道府県知事も半数程度、天皇・皇后臨席を政治利用し「天皇陛下万歳」を三唱、沖縄宜野湾海浜公園での「屈辱の日」の迎えかたと対照を成しました。無論、韓国からみれば「強制的に他国を植民地にし、侵略したことについては『どちらから見るかで違う』と言いながら、自身の主権回復は祝う姿は非常に理解しがたい」と政府が抗議、当然です。安倍首相は国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べましたが、アメリカのワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズも直ちに批判、韓国与党が「日本の“歴史歪曲非難”の決議を国連に求める」と中国で報道される始末。無論、学界にも国連にも立派な「侵略の定義」があり、安倍首相の無知蒙昧か、中国・韓国への北朝鮮風挑発か、いずれにしても危険きわまりない状況で、5月3日の日本国憲法施行記念日を迎えます。7月参院選前に96条改憲が急浮上、自民党は選挙公約に、産経新聞試算では政権与党の公明党が反対しても改憲勢力3分の2結集が可能とか、事態は深刻です。
◆歴史に対する無知は、世界から軽蔑されます。首相や東京都知事の発言は、すぐに外交問題になります。ただ逆に、閣僚の靖国神社参拝を韓国・中国の批判との関係だけで報じるマスコミも、問題の所在を隠しています。靖国神社の問題は、もともと憲法裁判にもなったすぐれて国内政治の争点、私たち自身の歴史認識の問題なのですから。4月19日号の『週刊ポスト』「松本清張の名作ノンフィクション『日本の黒い霧』が読めなくなる!?」で、「『スパイとされた男』の遺族が新資料の後押しで文藝春秋に抗議」を支援してきたボランティア活動は、松本清張によって「革命を売る男」とされてきた占領期の日本共産党幹部伊藤律が、ゾルゲ事件の尾崎秀実を「売って」事件発覚の端緒になったり、戦後もGHQの「スパイ」であったと書いた清張の告発の叙述が、特高警察のシナリオとGHQ・G2ウィロビー将軍の共産党攪乱策に沿った誤りで、文藝春秋社もそれを認め、ご遺族の抗議に応えて、出版社としての訂正釈明文を文庫本他『日本の黒い霧』に加えることになりました。東京新聞の4月21日一面記事が意を尽くしていますが、NHKニュースでも2度報道され、時事、共同、朝日他マスコミも大きく報じました。私の研究も多少は役立ちましたが、何よりも大作家のロングセラーで「スパイの子」とされてきたご遺族の決断と勇気が、結果を生み出したことを喜びたいと思います。一件資料はpdfにして保存します。松本清張の「黒い霧」史観のノンフィクションは、何でもGHQ諜報機関の陰謀・謀略にしがちな一面的なものであり、当時の中国革命・朝鮮戦争の国際情勢、アメリカ国内でのマッカーシズムの進行、それにソ連側の諜報活動や日本国内での社会主義・共産主義勢力内部の矛盾の歴史的検証抜きに、限られた資料から「推理」されています。今日読む読者は、要注意。
◆「名誉回復」については、久方ぶりの情報収集センター(国際歴史探偵)「尋ね人」欄の改訂です。5月22日まで早稲田大学演劇博物館では、1937年にソ連からスターリン粛清で国外追放になり日本に帰ることなく「メキシコ演劇の父」となった『佐野碩と世界演劇—日本・ロシア・メキシコ “芸術は民衆のものだ”—』展が開かれています。先日、「アメ亡組」の一人で1942年に旧ソ連強制収容所内で死亡した健物貞一のロシア人孫姉妹が、祖父の墓参がてら来日して、サクラと共に佐野碩展を見ていきました。そこに、モスクワから、新たな日本人粛清犠牲者判明の報道です。4月18日の産経新聞モスクワ支局の調査報道で、ロシアの歴史探究NGO「メモリアル」に私も協力して、「スターリン大粛清、新たに日本人4人の銃殺判明、犠牲者26人に 欠席裁判 スパイ容疑…格好の標的」という大きな記事が配信されました。新たに発見された粛清犠牲者5人の、新聞記事より詳しい情報は以下の通りです。これに伴い、「旧ソ連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」データベースも改訂しました。
▽ニシデ・キンサク 1896年生まれ/ハバロフスク居住/商店主/1937年7月6日/刑法58−1a、2、8、9、11により検挙/1938年4月7日判決/1938年4月7日銃殺(ハバロフスク)/1993年10月7日名誉回復
▽オンドー・モサブロー 1898年生まれ/カヌム(市)出身/アムール州居住/理髪師/1937年7月26日逮捕/刑法58−1a、2、8、11により検挙/1938年4月7日判決/1938年4月7日銃殺(ハバロフスク)/極東管区軍検察により名誉回復
▽トミカワ・ケイゾー (この人物はトミカワ・ケイゾーである) 生年不明/千葉県出身/政治亡命者/極東国立大学の日本語教師/1937年逮捕/1938年4月7日銃殺
▽前島武夫 別名カンジョ(ブダエフ・ノルバ/マヤ(エ?)シマ・タケオ/ツルオカ)1910年生まれ/共産党員候補/モスクワ居住/民族・植民地問題に関する学術研究協会の学生/1937年6月8日逮捕/スパイ・テロ活動/1937年11月28日判決/1937年11月28日銃殺(モスクワ)/1991年12月名誉回復
▽ダテ・ユーサク 1881年生まれ/長崎出身/ノボシビルスク居住/鉱山機械工場の警備人/1937年8月3日逮捕/罪状 日本の諜報と反ソ扇動への関与(刑法58−2、58−6の1、58−8、58−11)/1938年6月4日判決(自由剥奪25年)/1939年11月19日死亡(服役地にて)/1971年10月15日名誉回復/ノボシビルスクの追悼記録より
◆ このうち「前島武夫」は、以前から本サイトで「逮捕後行方不明」としてリストに挙げていましたが、銃殺死で処刑日が判明しました。他の4人は、まったくノーマークだった地方での粛清です。「オンドー」は近藤・安藤や恩田などロシア語表記の誤りの可能性大です。記事の画像はこちら。きっと日本にご親族がおられるでしょう。何か手がかりがありましたら、 katote@ff.iij4u.or.jp まで情報をお寄せください。3月末に出た加藤哲郎・井川充雄編『原子力と冷戦ーー日本とアジアの原発導入』(花伝社)では、米国国立公文書館文書「MIS中曽根康弘ファイル」にもとづき、1954−56年「日本における『原子力の平和利用』の出発」における中曽根康弘の役割を論じましたが、5月25日(土)午後1時から、明治大学リバティタワー1103号で、第275回現代史研究会「原発問題を考える―『原子力平和利用』と科学者の責任」が開かれ、講演します。『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社)を出された宗教学者島薗進さんとのジョイントで、これまで明治大学で行った「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」「反原爆と反原発の間」とは趣向を変えて、「原子爆弾」の命名者H・G・ウェルズの原子力観、ウェルズとレーニン、トロツキー、レオ・シラードとの関係を踏まえて、仁科芳雄・武谷三男・湯川秀樹らに始まる日本の原子力研究の問題を、「SF(サイエンス・フィクション)としての『原子力平和利用』」として話す予定です。ご関心の向きはどうぞ。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔eye2253:130502〕
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