小沢一郎政治裁判はまだ現在の政治的事件である(三)
- 2013年 5月 3日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
4月28日に開かれた政府の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」は奇妙なものだった。アメリカ軍の占領に終止符を打ち、戦後の日本が独立を達成した記念日としたいとする趣旨であると思われるが、安倍首相はサンフランシスコ条約で承認された戦後体制の打破を政治的主張として掲げているからである。東京裁判史観の打破とか戦後憲法の改定とかは、日本の主権が回復していないことの証として主張してきたからだ。もっともこれは右翼の発言であって、戦後の保守は建前としてはそれを認めたにしても別の考えに基づいてあったといわれるかもしれない。だが、保守派の中で本流と言われたリベラル派が退潮し右翼と保守の境界線がみえなくなってきている今、この見解は通用しない。安倍首相の言動にみんなそれを感じているのだからである。
これはアメリカや韓国や中国に向けて日本は国際的にはサンフランシスコ条約に基づいた戦後体制を保持しますというメッセージなのか。安倍の言動が外国で批判され、戦後体制への挑戦と見られることを幾分でも和らげようとしているのか。安倍政権の言動に対するアメリカや韓国等の批判に対して戦後体制を守ることを宣言したかったのだろうか。だが、誰もがこの式典が国内向けのものであり、国民に対して占領下からの脱却と日本の独立を主張したいがためのものであることはよく知っている。占領下の政治を批判し、戦後体制打破とつなげたいのである。これは憲法改正と結び付いている。ある自民党の重鎮が語ったとされる「独立した段階で憲法を改正し、国防軍を創出すべきであったという」のに連なっている。これには二重の欺瞞がある。一つは占領下の政治体制が戦争を推進した戦前―戦中の体制や権力への批判を含んでいたことの歴史性を認めないことからくるものである。戦前―戦中への反動的回帰につながるものであり、独立後の自民党が掲げた自主憲法制定が国民的に否定されてたことを無視するのだ。もう一つは戦後の保守政治は天皇も含めて日米同盟という名のアメリカ支配を受け入れてきたのであり、そのことを覆い隠す欺瞞である、沖縄がこの日を「屈辱の日」とするのは当然である。戦後の日本が主権を回復しておらず、名目上の日米関係を対等としながら、アメリカ支配を国内的にも受け入れているのは誰もが知っている。憲法改正をいう前にこの構造を変えるべきであり、それをせずに戦後体制打破をいうのは欺瞞である。アメリカやそれと組んだ日本の権力の小沢の政治排除で僕らはそれを見てきた。安倍の欺瞞的な政治劇がこの式典であったが、奇妙であったのもそのためである。
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〔opinion1279:130503〕
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