今の平和憲法を守るのが現実的だ -2013年憲法記念日と大手紙社説-
- 2013年 5月 4日
- 時代をみる
- 安原和雄憲法社説
安倍政権の右傾化は、平和憲法に対するメディアの姿勢にどう影響しているか。メディア、特に新聞の役割は本来、権力批判にあるはずだが、安倍政権の登場とともに大きな変化をみせている。特に大手紙では平和憲法について堅持派、条件付き擁護派、改定派の三つに分けることができる。
私(安原)の主張、立場は堅持派である。主見出しの「今の平和憲法を守るのが現実的だ」は堅持派の東京新聞社説の中から汲み上げた。言い換えれば、軍事力の強化によって国民の安全・暮らしを守ることはできないと考える。安倍政権の右傾化は国の在り方をも危うくするだろう。(2013年5月4日掲載)
▽憲法記念日と大手紙社説
2013年5月3日の憲法記念日に大手紙社説はどう論じたか。
大手5紙の社説見出しはつぎの通り。
*東京新聞=憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖
*朝日新聞=憲法を考える 変えていいこと、ならぬこと
*毎日新聞=憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する
*讀賣新聞=各党は参院選へ具体策を競え 改正論議の高まりを生かしたい
*日本経済新聞=改憲論議で忘れてはならないもの
なお毎日新聞は5月4日付社説で「憲法と国会 違憲の府を再生しよう」という見出しで、論じているが、これは論評しない。
昨年と違って今年は改憲派の安倍政権下にあるだけに新聞社説も改憲の流れと無関係ではない。そういう悪しき潮流の中で護憲派の立場を堅持する姿勢を見せているのが、上記の大手紙のなかでは東京新聞である。その主張の大要は後述する。
さて朝日社説は「憲法には、決して変えてはならないことがある」としてつぎの諸点を挙げている。
・近代の歴史が築いた国民主権や基本的人権の尊重、平和主義などがそうだ。こうした普遍の原理は守り続けねばならない。
・安倍首相が憲法改正を主張している。96条の改正手続きを改め、個々の条項を変えやすくする。日本では両院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票での過半数の承認が必要だ。自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げる。これでは一般の法改正と同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。朝日新聞としては96条改正には反対する。
毎日社説も「96条の改正に反対する」という大見出しでつぎのように指摘している。
・その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法であり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。
・健全な民主主義は、権力者が「多数の暴政」(フランス人思想家トクビル)に陥りがちな危険を常に意識することで成り立つ。改憲にあたって、国論を分裂させかねない「51対49」ではなく、あえて「3分の2」以上の多数が発議の条件になっている重みを、改めてかみしめたい。
<安原の感想> 平和共存こそ追求するとき
憲法擁護派の朝日、毎日と違って、讀賣と日経は現行憲法批判の視点から平和憲法に風穴を開けようと考えているらしい。いうまでもなく「言論、思想の自由」は日本国憲法で保障されているのだから軍事力増強論を唱えることも自由ではあるだろう。しかし日本国憲法の前文の次の一節をいま一度玩味したい。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と。
つまり対立・抗争ではなく、平和共存こそ追求すべき「崇高な理想」であると同時に現実的な目標でもあるだろう。それに背を向けるかのように、安倍政権の登場とともに「力への依存症」が強まりつつあるのは危険というほかない。
▽ 平和憲法を守る方が現実的
東京新聞社説(5月3日付)の大意を以下に紹介する。
憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、9条を変えることでしょう。国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。平和憲法を守る方が現実的です。
選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。多数決で法律をつくる、これも民主的です。権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら・・・。
*「権力を縛る鎖」という知恵
日本国憲法の役目は、むろん「権力を縛る鎖」です。立憲主義と呼ばれます。大日本帝国憲法でも、伊藤博文が「君権を制限し、臣民の権利を保障すること」と述べたことは有名です。
たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛ってあるのです。
憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。
「国民主権といえども、服さねばならない何かがある、それが憲法の中核です。例えば13条の『個人の尊重』などは人類普遍の原理です。近代デモクラシーでは、立憲主義を用い、単純多数決では変えられない約束事をいくつも定めているのです」(樋口さん)
自民党の憲法改正草案は、専門家から「非立憲主義的だ」と批判が上がっています。国民の権利に後ろ向きで、国民の義務が大幅に拡大しているからです。前文では抽象的な表現ながら、国を守ることを国民の義務とし、9条で国防軍の保持を明記しています。
*9条改正の必要はない
しかし、元防衛官僚の柳沢協二さんは「9条改正も集団的自衛権を認める必要性も、現在の日本には存在しません」と語ります。旧防衛庁の官房長や防衛研究所所長、内閣官房の副長官補として、安全保障を担当した人です。
「情勢の変化といえば、北朝鮮のミサイルと中国の海洋進出でしょう。いずれも個別的自衛権の問題で、たとえ尖閣諸島で摩擦が起きても、外交努力によって解決すべき事柄です」
9条を変えないと国が守れないという現実自体がないのです。米国の最大の経済相手国は、中国です。日中間の戦争など望むはずがありません。
「米国は武力が主な手段ではなくなっている時代だと認識しています。冷戦時代は『脅威と抑止』論でしたが、今は『共存』と『摩擦』がテーマの時代です。必要なのは勇ましい議論ではなく、むしろブレーキです」
安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。でも、憲法施行から66年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。
<安原の感想> 安倍首相の思考は時代錯誤
岸信介元首相の「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」という認識はいかにも彼らしいが、孫の安倍首相を理解するのに「なるほど、この祖父にして、この孫あり」とうなずくほかない。だからこそ安倍首相は戦後の民主主義的なるものをことごとく葬り去ろうとしているのではないか。祖父・岸信介の暗黙の遺言なのかも知れないが、時代錯誤の思考というほかない。
東京新聞社説のように<憲法施行から66年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか>と疑問を提起したくなるのは当然であろう。
ここで元防衛官僚3人組の「志」に注目したい。その3人とは、防衛省元幹部の箕輪登政務次官(1924年生まれ)、竹岡勝美官房長(1923年生まれ)、小池清彦教育訓練局長(1937年生まれ)で、共著『我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る ― 防衛省元幹部3人の志』(かもがわ出版、2007年3月刊)が知られる。
著作中の小見出しを紹介すると、「もう一つの疑義 米国追随」、「アジア・中東覇権のための米軍基地」、「安保条約を友好条約へ」、「平和な日本が続くことを願って」、「イラク派兵は戦争参加そのもの」、「自衛官は海外で戦争するために志願したのではない」、「過去の戦争を繰り返さぬために新憲法ができた」、「反対意見に耳を傾けたら戦争は起きない」、「戦争は惨めだ 軍事国家になってはならない」などが並んでいる。
平和憲法支持の観点からの反戦思想そのものとはいえないか。安倍首相の時代錯誤の思考とは180度異質である。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(13年5月4日掲載)より許可を得て転載
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