青山森人の東チモールだより 第237号(2013年5月14日)
- 2013年 5月 18日
- 評論・紹介・意見
- 東チモール青山森人
警察内部から送付された嘆願書
3Dの封切り映画を鑑賞
東チモールの一大ショッピングセンター「チモール プラザ」に、去年12月、別館として新たに映画館が完成しました。入り口が一つでも、中に入れば複数の映画館がある型の映画館です。映画館の存在がまだ一般の人に認知されないから観客数は伸び悩んでいると経営者が語っています(週刊『ビジネス チモール』紙(2013年4月15日)。映画館での映画鑑賞という娯楽が東チモール人に定着するにはまだまだ時間がかかることでしょう。
この映画館のなかには二会場ありますが、毎日4作品が上映されています。インドネシア語の字幕付ですので、たぶん、インドネシア経由で作品が東チモールにやってくるものと思われます。月曜日から木曜日は3ドル、金・土・日曜日は5ドルです。待ち合いロビーにはこれから来る新作の宣伝が壁掛け液晶画面に流れています。日本の人気ホラー映画の新作は日本語そのままに流れていました。映画館に入ると、日本でもそうですが東チモールでも、日常から非日常の世界に突然変わる快感を覚えることができます。
わたしは先週の金曜日(10日)3D版の『アイアンマン3』を観ました。3D用のめがねは場内で無料貸し出し、日本のように追加料金はありません。場内に入って正直驚きました。オーストラリア・ダーウィンの映画館並みにゆとりのある座席の配置です。少なくとも弘前市の映画館内よりも広く、ゆったりとした座席です。う~む、東チモールに負けた。負け惜しみですが、デジタルサウンドの質は日本の勝ちかな。このときの観客数は6~7人、平日の映画観客数にかんしては、日本(弘前)と東チモール、引き分けといったところか。
東チモールでの映画、今昔
インドネシア占領時代にもデリ市内に映画館はありましたが、残虐な軍軍事支配下で東チモール人が映画館での映画鑑賞という娯楽を身につけるわけもありません。しかしある活動家は、インドネシアのテレビ局が放映する映画は自分と世界をつなげる貴重な橋だったとわたしに述べていたことが印象に残っています。この意見は世界からの孤立を強いられた東チモール人の共通の想いではなかったかとわたしは思います。
1998年、わたしがタウル=マタン=ルアク参謀長と隠れ家に潜み、テレビ放映される映画を一緒に楽しんでいたとき、インドネシア人の軍人がその家を訪ねてきたので、わたしたちは急いで隠れ部屋に移動しました。そのインドネシア人が帰ると、わたしたちは隠れ部屋から出て、どれどれ……と続きを見ました。なにも危険を冒してまで映画をみることもなかろうと思われるかもしれませんが、闘うゲリラ参謀長だからこそ映画は無くてはならない娯楽だったのです。いまにしてみれば懐かしい思い出です。
インドネシア軍が撤退し、国連統治下になると、インドネシア軍によって全壊・半壊させられた家々のなかで、テレビ放映で、あるいはCDそしてDVDの媒介をとおして映画をみることは当時の東チモールでは唯一ともいえる娯楽でした。誰かが映画をみているとテレビ画面の周りには必ず5~6人は集まったものです。当時は、ボリーウッド映画、いわゆる歌って踊るインド映画が東チモールを席巻していました。
独立後、治安が安定し、人びとの生活も落ち着いてくるにつれ、テレビ画面による映画の鑑賞はそれほど貴重ではなくなってきました。インドネシアからのテレビ番組がDVDなどの媒介をとおした映画鑑賞よりも普及してきました。その証拠に、東チモールではいまでも海賊版の映画DVDが堂々と売られているのですが、その映画DVD屋さんはかつて飛ぶ鳥をおとす勢いがあるほどデリ市内に多数あったのが、いまではめっきり少なくなってしまったのです。
そして去年の12月、いよいよ東チモールに映画館が登場し、映画館での映画を鑑賞する醍醐味を体験できるようになりました。庶民の生活からかけ離れ、裕福層と外国人に照準を合わせているショッピングセンターをわたしは好きではありませんが、大勢の東チモール人が映画館で人生を変える映画にめぐり逢ってほしいし、そして近い将来、東チモール人監督による映画を鑑賞できることを首を長くして待ち望みたいと思います。
「チモールプラザ」の別館として去年12月にオープンした映画館。複数の作品が上映。3Dの映画も楽しめる。わたしがここで映画を観た日、私立の小学校だと思うが、小学生の一団がパンダの活躍するアニメを見に来ていた。無駄な公共事業に費やす金があったら、政府は公立小学生の子どもたちにも映画をみてもらうたにそのお金を使ったほうがよっぽどマシだ。2013年5月9日。ⒸAoyama Morito
祝賀ムード、去年と比べれば地味なのは仕方ない
来週の20日(月)に東チモールは独立11周年記念日を迎えます(東チモールでは正式には「独立回復の日」と呼ぶ)。去年は、インドネシアのユドヨノ大統領そしてポルトガルからカバコ=シルバ大統領と、旧支配国から大統領を迎え(3年半の軍事占領をした日本の首相が出席しなかったのは日本政府の勉強不足)、そしてタウル新大統領の就任式を兼ねた独立10周年記念式典はおのずと大掛かりになり、そして盛り上がりました。必然的に、去年との比較において、そして国連と国際治安部隊が撤退したことも相まって、今年の祝賀の雰囲気は地味そのものです。とくに国連組織が撤退したことで町並みの飾りつけが相当質素になった気がします。
これはフレテリン政権下でも体験したことです。国連PKOが撤退し、「国連東チモール事務所」という縮小された国連組織になった当時2005年の停滞ムードあるいは沈滞ムードは、結局、不幸にも2006年の「危機」勃発へとつながってしまいました。
華やかさから一転して質素となって、それが沈滞ムードになり、社会の不安要素が蠢くことが、今回も起こるのか? 少し不安にならないわけでもありません。なにせ先月4月末には、PNTL(東チモール国家警察)から嘆願書を送った集団の問題が浮上してきたことも、2006年の悪夢を思い起こさせますから。2006年の「危機」は、F-FDTL(国防軍)の一部兵士が待遇改善を求める嘆願をして兵舎を出たことをきっかけに起こりました。
PNTL版の嘆願部隊?
PNTLの嘆願問題は、最初、『テンポ セマナル』の電子版(www.temposemanal.com)だけが報じていましたが、国防軍のレレ=アナン=チムール司令官のコメントを『インデペンデンテ』(2013年5月9日)が、ロンギニョス=モンテイロPNTL長官のコメントを『チモールポスト』(2013年5月13日)がそれぞれとりあげました。
PNTLの嘆願問題とは、昇進選考に不満を持つ警官たちが不満を訴える手紙・嘆願書を首相や大統領などの政府要人に送ったというものです。嘆願書に署名したのは一説では800名といわれますが、いくらなんでもこの数字は大きすぎます。いまのところどの新聞も嘆願書に書名した人数を発表していません。
レレ司令官は、自分は軍人なので警察組織に何かをいう権限はないが、嘆願書を政府要人に送って問題を解決しようとする方法は正しくない、裁判など正規の手続きに従うべきだとコメントしています。モンテイロPNTL長官は「コメントしたくない」というコメントをしただけです。
「危機」は再来するか?
PNTLは軍並みの武器を装備する組織です。この問題をなめてかからないことが大切です。『テンポ セマナル』電子版は「2013年PNTL嘆願部隊が発生する可能性?」という見出しをつけています。しかし、フレテリン政権時代と現在の社会状況はまるで違うので、PNTLから嘆願集団が街頭に出たとしても、2006年のような「危機」にはつながらないとわたしは考えます。その理由は、当時フレテリン政権を率いたマリ=アルカテリ首相はフレテリン支持者以外からともかく嫌われていた政治家でしたが、いまのシャナナ首相は批判はされるが嫌われ者ではないし、依然として東チモールの英雄であるからです。PNTLの不満分子をシャナナ政権転覆に利用せんとする輩の企てがあったとしても失敗することでしょう。そして当時のように首相と大統領が対立状態にはなく、いまの首相と大統領は(実際の仲がどうかは知らないが)いざとなっても適切な対応をして最悪の事態は回避できる力量があるからです。
そしてこれが一番大きな理由ですが、東チモール人は昔のように指導者たちの言動や巷での暴力事件にいちいち一喜一憂する国民ではなくなっているからです。2006年は、ちょっとした暴力的な脅しに右往左往する東チモール人の心の状態が「危機」の火に油を注ぎました。その心の状態とはインドネシア軍の暴力による心の傷からくるものです。暴徒らは一般市民のそうした心の状態を利用しました。東チモール人の心の傷が治癒したとはいえませんが、心の傷の症状は時間とともに変化しています。一般市民にいまはそんな脅しは利かないでしょう。たとえあっちで“ドンパチ”があっても、「チモールプラザ」で無線LANによる無料インターネットを利用する若者たちはパソコンをいじるのに忙しくてそれどころではないかもしれないし、家でご飯の仕度をする者たちは「こっちはそんなのにかまっていられない。自分の生活で精一杯だ」、このような“無関心さ”とたくましさがいまの東チモール人には備わっています。2006年の要素だけではいまの東チモールには「危機」は成立しません。
路上で売られている旗のおかげで町が飾りつけをされているようなもの。「5月20日」が近づいてくるにつけ、もうちょっと賑やかな雰囲気になることでしょう。
2013年5月13日、マンダリン地区。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
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