原発の倫理性について ―脱原発と社会・文化・歴史研究―
- 2013年 5月 22日
- スタディルーム
- 原発の倫理性島薗進現代史研究会
*これは5月25日に行われる現代史研究会(テーマ:「原発問題を考える―「原子力平和利用」と科学者の責任」)用のレジュメです。この島薗さんのレジュメの他に加藤哲郎さんのレジュメもありますので、順次掲載したいと思います。(編集部)
現代史研究会
2013年5月25日 島薗 進
0)原発の倫理性という問い
◇原発とそれが引き起こした問題を、人文社会科学はどのように問うのか?
①哲学的・思想的次元
②人文社会科学的次元
③短期的な関心から長期的な関心へ
①原発は私たちに大きな問いを投げかけている。
◎原発から脱却すべきなのかどうか?脱却すべきだとすればなぜなのか?
◎「なぜ?」という問いは、脱却すべきかどうかを考える理由・素材を示すことでもある。
◎それはかなりの程度、価値判断、あるいは倫理の問題に関わる。原発の是非、今後の展開についての政策的な問いは倫理的な観点からの考察と判断を抜きにしては行えない。
②日本の国や原発推進の担い手たちが、倫理的に妥当でない道を歩んできたのだとしたら、
◎歴史的な問いとしては、原発はいかにして倫理的な問題を抱え込み、増幅していくようになったのか、という問いが重要になってくる。
◎この問いを明確にしておくことが、今後の方策を考える際にも討議の基盤となる。
③原発の倫理性は、事故後時間を経てから、本来的な問題として主題化されるようになる。
◎短期的な関心から長期的な関心へ。事故調報告書は短期的関心が支配的。
◎事故後のひどい被害が強く意識されており、多くの人が怒っている時期には、原発推進者たちが犯した過ちは自明であるように見えた。
◎しかし、その後、転換は経済成長の停滞などのマイナス効果をもたらすのではという警戒心から(政権転換が作用し、政府・電力会社・財界側の戦略的な世論誘導が多大な効果)、脱原発を躊躇する声が高まるようになる。
◎原発推進のどこが悪かったのかという居直り、巻き返しが強まる。
◎ここでこそ、どこがどう過ちであり、不適切だったのかを明らかにしていく必要がある。
◇従来の注目点
◎原発導入の経緯
☆「核の平和利用」の国際的キャンペーン
◎責任低下をもたらすムラ的構造や責任移譲システムの形成
☆電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法)(1974年)
☆原賠法(原子力損害の賠償に関する法律、原子力損害賠償法)(1961年)
☆科学技術庁、原子力工学、放射線健康影響学の閉鎖性。原子力関係の研究組織や放影研・放医研は政府や国際的な核管理体制の影響下にある。それはどのような経過を経てそうなっているのか、研究は不十分?
◎いかにして、安全を軽視するシステムが形成されたか?
☆高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』岩波新書、2000年
☆吉岡斉『原子力の社会史』朝日新聞出版、1999、2011年
☆事故調報告書は?――柴田鉄治、横山裕道、堤佳辰、高木靭生編『4つの「原発事故調」を比較・検証する――福島原発事故 13のなぜ? 』水曜社、2012年
◎安全神話・安全宣伝のシステム
☆教育――例)後藤忍『みんなで学ぶ放射線副読本: 科学的・倫理的態度と論理を理解する』合同出版、2013年
☆メディア――例)上丸洋一『原発とメディア』朝日新聞出版、2012年
☆裁判――例)海渡雄一『原発裁判』岩波新書、2011年、磯村健太郎・山口栄二『原発と裁判官』朝日新聞出版、2013年
◎科学の歪み
☆原子力工学
☆放射線影響学・核医学――例)島薗進『つくられた放射線「安全」論』河出書房新社、2013年
☆関連領域
◎複合的・総合的な視点はまだ提示されていない。
1)とりあえずの方法
◇この報告では、そもそも原発の倫理的な問題性とは何かということについて、俯瞰的・総合的な視点による試論を提示したい。
◇ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」報告書「ドイツのエネルギー転換 未来のための共同事業」2011年5月、吉田文和暫定訳http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/3rd/3-82.pdf
◇全日本仏教会・宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」2011年12月1日
http://www.jbf.ne.jp/news/newsrelease/170.html
真宗大谷派「すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力発電に依存しない社会の実現を求める決議」2012年2月28日http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20120301/1330573337
立正佼成会・声明 「真に豊かな社会をめざして――原発を超えて」2012年6月18日 http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_46.html
以下、原発が抱える4つの倫理的欠陥をあげる(2~5)。
2)特定の人のいのちを傷つけることを織り込まざるをえない科学技術
◇安全性に疑いが多い。
◎原理的に人間の統御が困難な現象を扱わざるをえないということ。
◎安全性が適切に保持されてこなかったという歴史。
◎そのためのコスト高。先進国で増えない理由。
◇その場合、被害者となりうるのはどのような人々か?
◎「誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません」(全日仏宣言文「「原子力発電によらない生き方を求めて」2011年12月1日)――その意味は?
◇加害者と被害者の非均衡性・非対称性
◎巨大な組織・システムvs.弱い立場の人々
☆被害にあう可能性がある地域住民
しかたなく働く作業員
まだ生まれていない人々
◇福島原発事故はこのことを露わにした。
◎事故前の安全性への配慮の弱さ
◎事故後の1)作業員の健康管理、2)住民の低線量被ばくをめぐる対応のずさんさ。
3)原発を支えてきたシステムがもつ欺瞞性
◇過去の事故等の隠蔽、健康被害の隠蔽・過小評価
◎低線量放射線安全論の支配と異論の排除。
◎世界的な構造的問題――保健物理という学問、ICRPという組織、
◎日本における放射線健康影響の歪みの歴史――ABCC=放影研、放医研、電中研
◇なぜ、原発には情報の隠蔽(嘘、ごまかし)がつきものなのか?
◎巨大な組織体制の側の人々の「利権」――「いのちより金」
◎被害に合う可能性がある人々、その側に自らがいると感じる人々との対立。
◎その間の事態の認識のギャップ
☆討議の場が成り立たない。
☆公共性が成り立たない。
◎軍事技術とのつながり故に隠蔽・被害過少評価が通例化する。
☆英米仏における隠蔽の軍事的背景
☆IAEAなどの国際組織が国際軍事秩序と深い関係をもっていること。
◇福島原発事故後の情報隠蔽・被害過少評価の大量噴出
◎御用学者の大量露出。
◎メルトダウンはない報道、SPEEDI使用せず、ヨウ素剤配布せず、「100mSv以下は安全」論等々。
4) 原発が引き起こす「分断」=社会的対立
◇原発導入がもたらす分断
◎地域住民にリスクと引き替えに多額のお金をつぎ込む原発というシステム、また作業員や未来の多くの人々に巨大なリスクを及ぼしつつ巨額投資することが分断の始まりだった。1)の問題を前提に推進すること。
◎好ましいと感じていない人が多い地域住民から力づくで賛同者を増やそうとすることが、地域社会に分断を持ち込むこと。
◇原発による被害、あるいは被害の可能性がもたらす分断
◎原発事故などが起こると情報の隠蔽が疑われ、どのような対策をとるかについて分断が起こる。
◎科学的データになりにくいが、個々の人々にとってはきわめて深刻。「ヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクト伊達市小国地区聞き取り調査報告書」(2013年4月26日)
◎福島原発事故にような巨大な事故が起こった場合、そこから奉じる住民の間の分断もきわめて大きく、深刻なものになる。
◇原発依存が高まると、分断は社会全体に及び、対立は社会全体に及ぶ。ともに同じ目標をもつことができずに、争いあっていることによるロスは大きい。
5)経済成長による「財」の拡張vs.環境との調和共存や人間的交わりを尊ぶ生活
◇全日仏宣言文「「原子力発電によらない生き方を求めて」2011年12月1日
「全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら 日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。」
「私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言いたします。」
◇経済発展がないと貧困で苦しむ人が多数出てきてしまうという立場に対して、十分な反論が必要。なお、ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」が2011年5月に提出した報告書「ドイツのエネルギー転換 未来のための共同事業」では、この問題に多大な配慮が行われている。
◇また、経済成長ということで正当化しながら、実は軍事的理由(核兵器による国際的権力体制における利益の追求)が深く関わっていることについても難しい議論をしなくてはならないだろう。
5) 以上のような論点は、社会倫理や公共哲学の論題であるとともに、公共政策的な論題でもある。公共政策的な現実主義的な視点を重視する議論と、より原理的な観点からの社会倫理的、公共哲学的な議論をかみあわせていく作業も必要になる。
第275回現代史研究会
日時:5月25日(土)1:00~5:00
場所:明治大学リバティタワー1103号
テーマ:「原発問題を考える―「原子力平和利用」と科学者の責任」
講師:加藤哲郎(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)
島薗 進(東京大学名誉教授、上智大学教授)
参加費:500円
参考文献:島薗進著『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社2013)
加藤哲郎・井川充雄編『原子力と冷戦ーー日本とアジアの原発導入』(花伝社2013)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study581:130522〕
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