2013ドイツ旅日誌(その1)
- 2013年 6月 28日
- 評論・紹介・意見
- ドイツ合澤清
1.寒さに震える初夏の日々―滞在準備にかかる
すぐ近くの銀行(Volksbank)の前に据え付けられた大きなデジタル温度計を見て驚いた。何と10℃である。今朝(26日)7時半の気温だ。ここはゲッティンゲンから徒歩1時間ほどのところにあるRosdorfという小さな村である。24日の夜10時ごろ、この村に住む友人(Petraさんという50代の女性)のアパートにたどり着き、僕ら夫婦用にあてがわれた小さな部屋に落ち着いたばかりだ。24日の夜も寒かったが、それでもTシャツの上にワイシャツを着た程度で何とか過ごせた。25日は、朝から涼し過ぎる、いや少々寒いかな、と思った。女房は、今年も手袋をもってこなかったことを悔やんでいた。ドイツ生活の第一日目にあたるこの日は、朝早く近くのスーパーマーケット(この辺では7時から開店)に買い出しに行ったのだが、やはり用心のため背広の上着を着込んで出かけた。それほど外は寒かった。
この買い出しはここでの生活の第一歩となる大切なもので、これから二ヶ月間を過ごすための生活必需品を買い集めるのが目的である。あまり買い過ぎて、帰国の際に捨てていくのも癪なので、とにかく最低限の買い物にとどめることにしている。ところがこれが意外に多いのである。スーパーのレジの女性が、思わず「Wunderbar !(すごい!)」と小さく叫んだほど買いこんだのだ。日ごろ、東京では質朴な生活を心がけているつもりなのに、いつの間にか「文明の利器」に馴らされて、ひたすら「便利さ」を追い求める賤しい性が身についた結果であろうか…。反省!
しかし、それでもまだ、必要なものが皆揃ったわけではなく、今朝(26日)になってもまた大量の買い物をする始末だ。先が案じられる。そういえば、かつて芥川龍之介は、こういう「文明の利器に飼い馴らされた生活」から足を洗いたくて、「西洋皿一枚の生活」にあこがれていたようだったが、その結末はどうだったろうか。「便利は不便、不便は便利」などという、ヘラクレイトスまがいの、あるいはシェイクスピアが好みそうなアフォリズムが浮かんでくる。序でに「文明は野蛮、野蛮は文明」とでも付け加えてみたらどうだろう、少なくとも前の文句は、現実の社会にぴったり合致していそうだ。後の句は、「野蛮」を「未文明」(ルソーが言うような意味での「自然」)と解してみたら、もう少し自分のイメージに近いかな、と色々頭をひねってみるがよい考えが浮かばない。
このような他愛のない感慨にふけりながら、大きな荷物をしょって歩いていて気がついた。そういえばこの季節、ドイツの街路のあちこちで、ほのかに甘い、よい香りが時々漂ってくる。多分、リンデン(菩提樹)の花の香りではないだろうか。なんとも気持ちが落ち着くのである。ドイツの街路樹には、リンデンが多いようだ。ベルリンの有名な「ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)」通りは、道路の両側にリンデンの並木があることからつけられた名前である。もちろん、このRosdorfのような田舎では、リンデン以外にも、樫や松や唐檜(Fichte)などの木立、あるいは小川沿いには多くの柳の木(それもかなり大きく成長した木)があちらこちらに見受けられる。今の季節では、アジサイも割に多くみられる。少し話が横道にそれるが、ドイツの町は、ほとんどが周囲を大きな森で囲まれている。森の中に町があるといっても過言ではない。特にベルリンは、まさに「森の都」にふさわしい。旧東ドイツ時代につくられた「テレビ塔」の上から見たことがあるが、実に壮観である。恵まれた、うらやましい環境がつくりだされている。かつて東京は、首都建設にあたって、ベルリンをモデルにしたといわれているが、今日では彼我の差は歴然だ。
2.ドイツへの旅立ち
今回は、6月23日の午後にアパートを出発し、千葉の義姉の家に一泊、翌朝11時40分発のスカンジナビア航空(SAS)に乗り込んだ。
一度この航空会社の便を使った経験のある方は承知されているかと思うが、サービス面では大変に劣る。アルコール飲料は食事(Hauptessenは昼食)時のビールかワインのみが無料。それ以外のときではすべて有料。僕のようなアルコール好きの人間は大変困惑する。
食事の中身も決して良いとは思えない。昼食こそそこそこの分量があるが、途中で出されるサンドウィッチは小さな固まりが一つ。降りる直前の軽食は、これでよく満足できるな、という程度。これですべてである。どうしても空港(僕の場合は、コペンハーゲン乗り換えなので、コペンハーゲン空港)でのばか高い値段の食事や飲み物をとらざるをえなくなる。そうさせるための航空会社と空港会社の連係プレー(グル)ではないかと僕などはつい疑ってしまうのであるが、深読みであろうか?こんなことをぶつくさ言いながら、この数年間は専らSASを利用しているのだから、われながら笑える。
それではなぜ、そんな航空会社を使うんだ?他の会社の飛行機を使えば良いではないか、といわれそうだが、理由は二つ。先ず、格安運賃であること。また、僕が滞在するゲッティンゲンまで行くのにハノーファー経由が断然便利であること(近いし、時間的にも丁度良い)。フランクフルト経由だと、特急(ICE)でおよそ二時間かかるところ、ハノーファー経由だと、各駅停車で約一時間、しかもニーダーザクセンチケットというサービス旅券が使えるため、二人で26ユーロ(去年までは25ユーロだったのだが)で来れるのである。
お金にゆとりがあり、なおかつ目的地が僕のように決まっていないのなら、ルフトハンザで直接ドイツの目指す場所(ベルリンや、フランクフルトなど)に行く方をお勧めしたい。機内でドイツビールをふんだんに飲めるからだ。
3.旧交を温める
ゲッティンゲンの駅には、いつもは友人のユルゲン君が来てくれていたが、今年はPetraの娘が出迎えに来てくれることになった。メールでそう連絡し合っていたからだ。ところが、ホームに降り立って探しても、駅の入り口まで行って探してもそれらしい人影が見当たらない。はてどうしたものだろうか。仕方がないのでPetraの携帯に電話してみた。Petraのいつもの陽気な声が返ってきた。「ゲッティンゲンに着いたの。Prima!(素晴らしい)」「でも、彼女(Petraの娘)の姿が見えないんだけど…」と僕。「そう、じゃあ、そのままそこでしばらく待っていてよ。」
迎えに来てくれていたんじゃなかったんだ。今から来ることになっていたのか。でも、すぐ来てくれるんだろうな…、と若干の不安がよぎる。待つこと30分、まだ彼女らしい姿は見えない。本当に来てくれるんだろうか、ユルゲン君に頼んだ方が良かったのかな?と心配し始めた頃、やっと彼女が車から降りるのが見えた。これで一安心。彼女の車でPetraのアパートに着いたのは、午後10時頃だった。途中彼女との話では、Petraは23日から長期の夏休み(3週間)をとって、スペインの息子のところに出かけたとのことだ。でも、去年からの僕らとの約束では、7月の第二週に、一緒にイスタンブールへ旅行することになっていたはずだが…。如何にも「ラテン系ドイツ人」と自称するPetraらしい「所業」だなと、思い直して、イスタンブール行きはあきらめることにした。その代わり、3週間は、この部屋も、お勝手も、お風呂場も、我々専用になった。
教訓:「あんまり他人を当てにするな、泣きを見るぞ」
翌日は、朝の内の買い物と、友人への電話連絡などに追われる。ユルゲン君とは26日に会う約束をする。2時過ぎ、ゲッティンゲンの市街地まで徒歩で出かける。去年既に何度も通った道(Kiesseeという湖のほとり)を散歩がてらにぶらつきながら、市街地に入り、まず旧市庁舎に寄って、ゲッティンゲンのその月の行事表をもらう。行ってみて驚いたのは、旧市庁舎の中が修復中で雑然としていたこと、また市庁舎前に立つ、有名な「ガチョウ姫(Gaenseliesel)」の銅像周辺も、大々的に掘り起こされて工事中だったことだ。ドイツの冬は非常に寒くて、壁や道路のひび割れが激しいとは聞いていたが、今回の工事はかなり本格的なようだ。
4時頃、行きつけの居酒屋(レストラン)の「Szuelten Buerger」に入る。少し太めのウエイトレスで、顔はなんとか覚えていたが、名前を覚えていない女性に、この店の女主人(シルビア)はいますか、と尋ねると、向こうはすぐに僕の顔を想い出してくれたらしく、親しげに名前を呼びながら「久しぶりね」と言ってくれた。シルビアは厨房にいたのだが、声をかけるとすぐに飛び出してきた。早口に「いつ来たのか、元気だったのか」、などと矢継ぎ早に聞いてきた。彼女と久しぶりの挨拶をしている時に、ミランという名前の大学生(彼はこの数年間、この店でアルバイトをしていて、僕らとも旧知の仲である)が入ってきて、またまた同じ質問を浴びせられた。更に、ノラという女性も来た(彼女とは、今年ポーランドへ行く約束をしていた)が、彼女は、片足にけがをしていて、歩行困難なため、このまま休暇をとるようで、僕らのポーランド行きの夢もはかなく消え去った。
5時まではコーヒーで時間をつぶし、5時からいつもどおりにビール(0.5リットル)を飲み始める。ドイツにはかなりの数のビール醸造所がある。プリヴァート(個人的)なものまで数えると、どのくらいあるか見当もつかない。この店のビールは、「ヴァールシュタイナー」が主で、それ以外にも、ケルンのビールである「ケルシュナー」や、バイエルンのヴァイツェンビールや「ケーニッヒ…」という名前の黒ビールなどが揃えられている。日本では「生ビール」と呼んでいるが、ドイツでは「Fassbier(樽ビール)」という。味は、最高だ。
5時過ぎにこの店で働いている(というよりも、共同経営者ではないかと思うのだが)、ラルフという2m3cmもある大男が帰ってきた。「ハロー、ラルフ」と呼びかけると、「ハロー」と言って通り過ぎながら、ちょっと振り返り、僕を認めて慌てて「オオ、キヨシ」と言ってそのまま立ち止まる。久しぶりの再会の握手。それからしばらくは、僕らの席を離れずに、1,2時間話し込む。
翌日(26日)再会したユルゲンの時もそうだったが、ラルフとの話も、何パーセント解ったのか皆目自信がない。なんだか相手に申し訳ない思いがするが、仕方がない。
教訓:「解ったふりしながら苦しむか、日ごろの勉強で苦しむか、ここが問題だ」
追記:27日の朝(7時半)の外気は、12℃でした。
2013.6.27記
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