伊藤博文は何というだろうか ―安倍晋三の過半数改憲論の卑しさ―
- 2013年 7月 12日
- 時代をみる
- 半澤健市安倍政権改憲
安倍晋三の改憲発言、とくに過半数改憲論、はこのところトーンダウンしている。
世論の反発が強いからである。しかし憲法改正への執念を取り下げたのでない。安倍改定論の無理筋の理由を「大日本帝国憲法」(明治憲法)との比較で考える。意外に知られていないと思うからである。
大日本帝国憲法は「改正」要件を次のように規定していた。
第七十三条 将来此ノ憲法の条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅令ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各ゝノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員ノ三分ノ二ノ多数ヲ得ル非サレハ改定ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
第七三条に関し、初代首相で明治憲法の実務的制定者伊藤博文は逐条解説書『憲法義解』(岩波文庫)に次のように書いている(抜粋して「」に表示)。
「通常の法律案は政府より之を議会に付し、或は之を提出す。而して憲法改正の議案は必勅令を以て之を下付するは何ぞや。憲法は天皇の独り親ら定むる所足り。故に改正の権は亦天皇に属すべければなり。改定の権既に天皇に属す。而して仍之を議会に付するは何ぞや。一たび定まるの大典は臣民と倶に之を守り、王室の専意を以て之を変更するを欲せざるなり。議院に於て之を議決するに、通常過半数の議事法に依らしめずして、必三分の二の出席と及多数を望むは何ぞや。将来に向て憲法に対する鎮守の方嚮を扶持するなり」
この説明を翻訳をすれば次のようになるだろう。誤読があればご指摘乞う。
「普通の法律は政府または国会に議案提案権があるが、憲法改定は天皇だけに提案権がある。元々憲法制定が天皇の権限に発するからである(=欽定憲法)。しかし国会の議決を要するのはなぜか。ひとたび憲法が公布されれば、天皇も国民とともに憲法を護り勝手気侭に改定をすることを望まないからである。しかも議決に三分の二を要するのはなぜか。
それは将来ともに護憲の方向性を担保するためである」
ここには憲法制定権と改正提案権をもつ天皇といえども遵守の潜在的義務があることが読みとれる。また憲法改定の重要性を理由に、議院過半数議決を排して、三分の二としたことを強調している。当時の日本人として憲法を最も熟知していた伊藤の心情がほの見える切ないコンメンタールだと私は感ずる。
新旧憲法は制定の性格が全く異なる。だから改定要件の比較に意味はないという指摘を私は意識している。しかし、現行憲法は明治憲法の「改正」要件を充たす形で新憲法に変身したのである。明治憲法は、明治天皇が押しつけたものではないのか。現行憲法は、マッカーサーが押しつけたものではないのか。私たちは真の「立憲的憲法」を創ったことは一度もないのだ。
多くの論者は、改憲に要する三分の二条項は近代国家の基準になっているという。
振り返れば、明治憲法も遅れてきた近代国家に成立した最初の基幹的大系であった。三分の二は時空を超えた基準的・標準的な改定要件とみるのが常識というものであろう。
安倍晋三とそれを支持する者たちは、過半数改憲論を国民の声が聞きやすいなどと詭弁を弄している。「恥ずかしくないのか」。長州の先達伊藤博文が、今日の改憲論争を観たら、こう叫ぶだろう。歴史認識の無さ。志の低さ。思慮の浅さ。戦術の卑しさ。安倍改憲は、Made in USAの、天皇制復活という矛盾に満ちた改憲である。しかし参院選で自民、維新らが勝てば、「恥ずかしくないのか」は現実になるのである。
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