現代史研究会 北一輝と二・二六事件参加して(序・1)
- 2013年 7月 17日
- 交流の広場
- 武田明現代史研究会
みなさん、お疲れ様でした。
今回は、現代史研究会だけではなく、社会運動史研究会・同時代社の共催でした。
その分、情報も満載でした。ありがとうございました。
また、2月に続編を要望があれば開きたいとの事ですので、是非、お願いしたいと考えています。
また、是非、日本共産党研究学習会の方も現代史研究会と合体した形で、主題化して頂いたなら嬉しいと感じています。
残念なのは、反響や感想を書き込もうとする人がこの折角の「交流の広場」でも僕だけにとどまってしまうのだろうかといささかもったいない感じがしている所です。
さて、あまり僕自身も貧乏暇なしで時間が取れませんので、今回は、挨拶程度の内容にとどまってしまうのは、心苦しいのですが、少しづつ付け足していく形で、広げていく導入部をここに予告的に入れておきたいと思います。
1.226事件と貴賤論
「天皇信仰」とは何であったのか?
天皇は、象徴であったとしても現代の問題意識でもあり続けていると思います。
結論から言うと北一輝の思想は、社会主義者のそれに近いものであったことは周知されているものであったと思います。
何を・どの様に・「融合」・させようとしたのか?
それは、実は、226事件と独立した問いではなかったかと感じていました。
天皇とは、思想的に分析すると貴賤に関わる問題ではないかと感じています。
故三島由紀夫も226事件を研究していたでしょうし、文学作品もあるようです。
一度目は悲劇、二度目は喜劇とならない回避の中で「美学」は、選択されてあった、その中心にあった天皇とは何であったのか?
日本の歴史と天皇系譜の問題、日本人のアィディンティティとして、考察されなくてはならない問題として問いを現代化する前に、226事件の考古学を更に掘り下げようしたものであったので、
余談の許さない対話、意見交換を必要としていたかもしれません。
昭和、特に、昭和初期は貧しい時代でもあり、現在の様に、良くも悪くも原子力エネルギーによって西側が享受している豊穣性?自堕落性?いずれであったとしても違った視点が必要な様にも感じていました。
「天皇信仰」と三島由紀夫的「美学」ではなく、左派的視点に転換していくために、それを「貴賤論」として結び付けて基本的質問の形態を次回、時間のある時に整えておきたいと考えています。
2.さて、その日の会合だったのですが、天皇・226事件・北一輝だけにとどまる話でもなく、
『判断論』についても語られる事となりましたので、それを探しながら、コメント出来たならと思っています。
どなたか知っている方がいらっしゃいましたなら感想や批評を是非、改めてお願いしたいと思います。
3. インターネットの使い方について、マルクスについて、廣松渉の思想について、カウツキーについてもそれぞれ、主題化して語らなくてはならないものを残して おりましたが、一晩で、一気にそれを語りなおす事も不可能ですので、それぞれに分けて今後の現代史研究会で展開できていくのが良いと思っています。
ただ、マルクスの思想研究は、学生や労働者に求心力を失っているのではないかと言う事については、その本質的な問題点を性急に語っていく必要も感じています。
4.7月27日に廣松渉研究にて集まりを予定しているとの話もありましたので、僕も急きょスケジュールを変更して参加する方向にしたいと考えていますので、また、宜しくお願いします。
また、ちきゅう座での「催し物案内」の告知を心待ちとしたいと思います。
取り急ぎの乱筆失礼致しました。
(7月17日02:00現在、エキサイトブログはメンテナンス中のため、日々是革命ブログアドレスが貼れませんでした)
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