山本太郎の選挙演説を聴く ―どこまで検証が必要かという問題―
- 2013年 7月 26日
- 時代をみる
- 半澤健市山本太郎選挙
私事ながらこのところ体調不良で外出を控えていた。それでも参院選前夜に山本太郎の演説を聴いた。有料でPC配信する「デモクラTV」の座談会が山本と吉良佳子の善戦を伝えたからである。それまでの二人の健闘を私は知らなかった。
《立錐の余地なきハチ公広場》
2013年7月20日夕刻の東京渋谷は混雑していた。山本太郎のサイトは、18:15から20:00までハチ公前広場で演説すると報じていた。18時過ぎにハチ公広場へ着いたら聴衆で埋まっていた。東急の車両がある舞台の辺りで誰かが叫んでいるが近寄れないから様子が分からない。東急渋谷駅の2階に移って広場を見渡せる窓に寄ったが、今度は肝心の演説者が地下鉄駅の建物に隠れて全く見えない。仕方がないからハチ公前広場に対面する巨大スクリーンのあるビル(TSUTAYAとスターバックスがある)の前へ行った。100メートルは離れている舞台は豆粒ほどにしか見えない。それを我慢して「緑の党・比例区」の三宅洋平と「無所属・東京選挙区」の山本太郎の候補コンビの話を大きなスピーカ音で聴いた。二人は「選挙フェスタ」と称して全国でコンサート付きの選挙運動をやってきたのである。落選したが176970票を取った三宅のネット利用は、7月23日のNHK「クローズアップ現代」で大きく取り上げられたが、私は三宅が何者であるかを今も知らない。だから山本のしゃべりに絞って書く。
《現場感覚から発する現代社会論》
16歳から芸能界に居るから、スポンサーとメディア、スポンサーとタレントとの力関係はよく知っていると、38歳の候補者は語り始めた。企業に対して放送局も、新聞社も、広告会社も、タレントも何も言えないと言った。誰でも知っていることでも、業界にいる人間が体を張ってしゃべると説得力がある。3/11から脱原発運動へ「のめり込む」中で、この俳優は現代社会の政治・経済構造を現場で勉強したという。2年間、全国を回って若い母親や、仮設住宅の老人や、非正規雇用の若者と話をして日本の現実がよく分かったと言った。そして巨大企業と国家が、貧困と格差を作り出していること、人々の生命が使い捨てにされていることを知ったと言った。食品への放射能汚染の規制強化、若者の命を縮めるブラック企業の退場、を最優先すべきであると語った。「大人」の私からみると、書生論・原則論を彼は情熱的に語ったのである。
《新しい政治家の出現かも知れない》
感じたことを以下に述べる。
①真面目な青年である。その政治的関心、探求力、表現力に感心する。良い意味でのポビュリズムが私に伝わった。
②現代日本の認識は核心を突いている。ラジカルである。「山本太郎というチンピラが信用できなくても、少なくともTPPに賛成する候補者には絶対に投票しないでくれ」と叫んだ。シングルイッシューでの統一戦線の提唱といえよう。
③聴衆の多さに驚いた。1000名の何倍のオーダーで高揚した若者が集まっている。ネットを見て集まるのである。山本は、90歳を含む1200名のボランティアに助けられたと言った。ウソではあるまいと思った。
④特に印象的だったのは、ブラック企業への批判と居酒屋チェーン経営者の立候補を攻撃したときには万雷の拍手と歓声があがった。
⑤確かに何かが始まっている。新しいことが起こっている。方向は違うが、2001年に小泉純一郎が出てきたとき、あるいは1998年に中村敦夫が出てきたとき―私は応援団の最後尾にいたが―と同じような空気を感ずる。
私は、たまたま堤未果の新著『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)を読了したところだったが、日米社会に起こっていること、それへの認識と対決の方法が、山本と堤に共通していると思った。私の世代は「左右対立」、「東西冷戦」時代の尾てい骨を残している。そして若者達が「ノー天気だ」、「問題意識がない」と批判している。しかし山本太郎のケースは、私の世代には理解し難いが、旧世代を超克する「新世代」の出現ではないかと思うのである。
《山本太郎への懐疑的な言葉を知る》
山本太郎は、666684票を獲得して、東京選挙区の第4位で当選した。彼へのオマージュでこの文章を終わるつもりだったが、気になる文章に遭遇したので書き留めておく。
大学の同級生が個人コメントを発信してくる。元企業戦士として標準的な常識の持ち主である。今回、彼から来信したのは、石井孝明という人による山本太郎批判である。批判の論拠は二つあって、一つは山本の科学知識に不備・誤解が多く世間に誤った情報を撒き散らしているというのである。山本に悪しきポビュリズムを見ているのである。二つは、山本応援団に「中核派」、「北朝鮮系」の集団が潜んでいる。危険だというのである。
石井のプロフィルをみると、慶大経済卒、時事通信記者を経て現在フリージャーナリストと書いてある。これだけでは石井が信頼できるか否かは分からない。ただ、かなり口汚く罵っているという印象を与える。この種の関連情報はネット時代における言説への信頼性の問題を提起する。私は山本から得た感動を疑う気はないが、石井言説が気にならないといえばウソになる。私の知人が石井の言葉に反応して送信してきたからである。そんなことは自己責任で判断すべきだといえば問題は起こらない。しかし一人で考えるテーマでもないので敢えて書いておくのである。ネット情報解読ノウハウ総論に至る可能性もある。読者の日常の作法や考え方も是非知りたい。いささか後味の悪い山本太郎論を終わる。
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