私小説肩書
- 2013年 7月 31日
- 交流の広場
- 山端伸英
大昔だけど、既に大御所的存在でハンサムな編集者にして危険な思想家の太田昌国さんに「肩書きはどうしましょうか」と突然、聞かれたことがある。「どうでもいいです」なんて言ったら、いい加減な奴だと思われかねない、「大陸浪人」などと言えば、左翼として気取りすぎに思われるだろうなどとジロンド党的な自己動揺と民主党的節度の無さが小生の土台を福島第一並みにし「メキシコ在住でいいです」などと言って逃げたつもりが、その後何十年も小生の肩書きは「メキシコ在住」で日本では通っている。何でも大学卒業生名簿まで「メキシコ在住」だそうだ。
一度はスペイン亡命を図ったのだけど、やはり第三世界とは違うので引き返した。コムプレクスは自覚を伴っている場合にのみ非殖民地主義に連なってゆく。
メキシコ国立自治大学UNAMには政治学や国際私法などの時間講師として通算15年間いたことになっている。母親が脳出血で倒れて以降、流浪の身。現在は今日までメキシコ、サカテカス州の経済局でコンサルタントをやっていた。サカテカスはメキシコをリードする貧困州。明日からは企業通訳。
何人かに日本に帰ったらと言われるけれど、数年前、ありがたいと思って日本に帰ってデモに加わったら、若い人に神経質な声で「線に沿ってまっすぐ歩いて!」と喚かれて、メキシコに帰ってきた。デモというのはフランス・デモしかデモではない。おじさんは古くて自由なんです、ごめんなさいね。
おじさんは、前XXXX、でも元XXXX、でもありません。現役のおじさんです。将来、何の保険のお世話にもなれないおじさん。配偶者にも組織にも国家にも見放されたシステム外の惨めなおじさん。ほとんどの時間を奴隷労働に費やし、ゴミ工場や原発、製油所、米軍基地などで溶接工、横浜で介護助手。学生時代には結婚式場仕入係、バーテン、議員私設秘書、給食の資材配布など。元溶接工、元介護助手などは肩書き候補。高橋順一から言わせると「山月記」の虎。ただ読むのは好きで活字、人間を含めた動物の表情、女性のお尻の形などの「読み」を楽しんでいる。「大人」であるほど機構信仰はなく、青年ほどの理論信仰もない。システム分析が好きで政府機関から声がかかることもある。
日本企業のプラントには軍隊みたいなところがあり、軍曹みたいな人物が必ずと言っていいほどいる。彼の主観によって「働いていない」とか「勝手なことを抜かすな」ということになる。正しく現代日本を代表する彼にとって「現地人」とか「現地雇い」とかいうのは差別用語の代用品であって、しかも、それを繰り返し憎しみをこめて言うものだから、会議の後で「現地人」が「ゲンチジンってなあに?」と聞いてくるほどだ。これを今後、おじさんの肩書きに使いたいくらいだ。
つまり、こうなる。「現・現地人」
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