戦争と平和の歴史認識を、もう一度確かめる夏に!
- 2013年 8月 2日
- 時代をみる
- 加藤哲郎原発終戦記念日選挙
◆2013.8.1 参議院議員選挙の結果は、予想通り。50%そこそこの投票率で、自民・公明の圧勝、安倍内閣に3年ないし6年の、信任を与えたかたちになりました。初めてのネット選挙も、反原発若者候補の奮闘はありましたが、全体への影響はマイナーだったようです。自民党と民主党の比例代表上位当選者は、軒並み全国的圧力団体の推す組織候補、まるで20世紀への逆戻りです。いや逆戻りでないのは、「55年体制」とは違って、かつての日本社会党・総評のような反対勢力の軸がなく、野党の対決姿勢がきわめて弱いこと。民主党政権の失政の余波は、この国を、深刻な局面に追いやったようです。早速ホンネが出てきたのが、麻生副総理の憲法改正に「ナチスの手口を学んだら」発言。まともな民主主義国なら、即解任・議員辞職です。アメリカのユダヤ人団体や韓国・中国外務省の抗議を受けて、苦し紛れに撤回しましたが、その歴史認識の異様さに、唖然とします。自衛隊の国防軍への再編、集団的安全保障、沖縄・本土へのオスプレイ配備、そして中国・韓国との外交上の困難。電気料金・ガソリン代値上げに社会保障の貧困、非正規雇用と格差の拡大、そこに消費税とTPP、「アベノミクス」の神通力は、どこかで確実に効かなくなるでしょう。でも選挙結果は、あまりに長い実験可能期間を、与えてしまったようです。
◆原子力については、いっそう深刻です。原発再稼働と輸出を成長戦略の公約にかかげる唯一の政党が、国政選挙で圧勝したのですから。福島は深刻です。今頃になって汚染水の海への流入が、東電にはまかせられないと国がのりだし、ようやく原子力規制委員会の課題としました。その東電はといえば、柏崎原発再稼働の方に一所懸命という本末転倒、いったい福島県民のくらしといのちは、どうなるのでしょうか。「原子力ムラ」解体の必要性は、薬事行政のほころびからも見えてきます。新自由主義の波におされて、薬のネット販売を許可したばかりなのに、その大元の医薬品認可の臨床試験段階で、製薬会社社員が実験チームに加わり、データを改ざんしてまでシェアを広げ、大もうけしていたという話。日本の敗戦後、科学者の世界は全体として丸山眞男のいう「悔恨共同体」で戦争の反省をしたことになっていますが、ほとんど戦時軍部への戦争協力を反省せず、むしろ研究成果を今度は占領軍に売り込んで、戦犯訴追をまねがれた研究業界が、私の知る限り、二つあります。一つは、731部隊石井四郎中将の人体実験で知られる細菌学・防疫学などの医薬学界、もう一つは、仁科芳雄をはじめとして、戦時原爆製造を「原子力の平和利用」=原発エネルギーに切り替えた核物理学です。つまり「クスリ村」と「原子力村」は、日本のアカデミズムの戦争責任追究の弱さを映す鏡なのです。私は最近は、零戦開発を宇宙ロケット開発にきりかえたロケット工学も怪しいと思っています。昨夏メキシコの国際会議でご一緒した、地震学の島村英紀さんの新著『人はなぜ御用学者になるのか』(花伝社)が必読です。
◆8月のメディアは、広島・長崎や「終戦記念日」周辺に、力作がならびます。昨年8・15放映のNHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」は、1945年5月のスイス・ベルンやポルトガル・リスボンからのソ連参戦情報を、日本政府・軍指導部は生かせず、8月ヒロシマ・ナガサキの原爆投下、ソ連参戦まで、どうして敗戦を引き延ばしたのかを問う力作でした。ただ、なぜそこにストックホルムの陸軍武官小野寺信が発したヤルタ協定直後のソ連参戦密約情報が出てこないのかと、不思議に思っていたのですが、1年後に、番組制作に関わった吉見直人『終戦史』(NHK出版)が400頁の大著になり、その理由がわかりました。時間の限られた番組では使えなかった資料と、制作過程の裏話が、記録になったからです。それによると、NHK取材班がイギリス国立公文書館にでかけたのも、もともと小野寺信のヤルタ密約情報を求めてでしたが、問題の1945年2月小野寺電は、かつて私や小野寺家ご遺族、産経岡部記者が世界の文書館を捜してもみつからなかったように、みつかりませんでした。その代わりに、別のいくつかの小野寺電や、ベルン、リスボンからのソ連参戦切迫情報がみつかり、それら周辺資料と当時の日本軍内部の動きから総合的に判断して、小野寺の送ったヤルタ密約電報は、ドイツ降伏「3か月後参戦」ではなく「参戦準備に3か月」であったために、参謀本部にちゃんと届いていたけれども、切迫したものとは受け止められなかった、したがって、参謀本部内で瀬島龍三らが小野寺情報を握りつぶしたわけではなかった、という解釈になったため、番組では小野寺電を使わず、それでも「6月終戦はありえた」と放映したというのです。確かに周辺資料収集はしっかりしていて、資料の典拠も明示され、なるほどと思わせる面もあります。ただし、この辺の歴史は、私もかつて小野寺電についてコメントしたことがあるように、旧ソ連を始め関係各国の該当史資料とつきあわせて、ウラをとる必要があります。テレビ番組を放映しただけで済ませず、その後の反響や補足資料を含め書物にしたことは、大変いいことです。キャッチコピーの「指導者たちは本当にソ連参戦を知らなかったのか」「すべて陸軍が悪かったのか」を、このような歴史認識も可能だという一例と受け止め、今年も、自分の歴史認識をつくるために、夏は半分海外です。8月はアメリカ、9月は中国で、次回更新予定の15日はまだアメリカ滞在中ですので、IT環境によっては、更新が遅れる可能性がありますが、どうかご容赦ください。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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