麻生副総理の「ナチスの手口」発言及び批判論の無知
- 2013年 8月 2日
- 交流の広場
- とら猫イーチ
麻生副総理が講演で行った発言で、憲法の改正に当たり「ナチスの手口」を学べば良い、との発言が物議を醸しています。 また、この発言を批判される側も「ナチス」の語に対しての反発が強烈なだけで、具体性に欠けるのは如何なものでしょうか。 そもそも、麻生氏の発言には、歴史的事実の誤認が多くて、一体何を云っておられるのかが判然としません。
ナチスの政権獲得に至る過程は、まず、ナチスは、1932年の二度の国会選挙で最大の得票を得ましたが、単独では過半数を獲得することはできませんでした。 選挙結果では、議会で安定多数を占める政党が不在のまま、憲法の規定に基づき同1933年1月30日、ヒトラーはヒンデンブルク大統領に首相に任命されて政権を獲得しました。 即ち、国民に依り選出された訳ではありませんでした。
ヒトラーは組閣後ただちに総選挙を行いましたが、2月27日にドイツ国会議事堂放火事件が発生し、彼は、これを口実に二つの緊急大統領令を発布させました。即ち、ひとつ目は、「民族と国家防衛のための緊急令」であり、二つ目は「民族への裏切りと国家反逆の策謀防止のための特別緊急令」です。
これ等に依り行政権限を掌握したヒトラーは、反対勢力、中でも共産党を徹底的に弾圧しました。 既に、この時期には、強制収容所が設置され広範な反対者を収容していた事実にも注目しなければなりません。 こうしてナチスは、反対勢力を一掃した後に、悪名高き「全権委任法」を制定して、総統に依る独裁体制を確立したのです。 「一つの民族、一つの国家、一人の総統」と。 権力を目指す飽くなき欲望と暴力を背景にして。
この過程を一瞥しますと、ナチスの政権獲得は、何も、麻生財務相が言われるような静かに憲法を改正したものでは無いことが分かります。 剥き出しの暴力を行使して反対者を弾圧し、デッチ挙げ事件(国家議事堂放火事件はナチスに依るものと推定されています)を利用して勢力を拡大し、ならず者に依る実力支配を確立したのです。 第一、ナチスは、憲法等は、眼中に無かったのです。 ワイマール憲法は、事実、第二次大戦後まで改正もされず、効力を停止した状態のままでした。 また、反対諸勢力を一掃する中では、ナチス自体からも粛清される者が多く出ました。 レームを指導者とする「突撃隊」でした。 彼等は、ナチスが政権を獲得するまでは、反対者や、ユダヤ人へのテロを常習とした犯罪者集団の中の暴力集団でしたが、独逸軍部との軋轢に依り粛清されたのです。 法的手続も何も無く、唯、単に、暗殺されたのです。
第二次大戦の発端から敗戦の過程でも、ナチスには、法や正義等は無縁でした。 国際法に定められた「宣戦布告」は殆どしていないのです。 戦時捕虜の扱いも残酷に過ぎました。 第一、旧ソ連との戦争では、殆ど捕虜にせず、捕虜にしても過酷な扱いで殺していたのです。 彼等の独自の人種差別主義では、旧ソ連に居る多くの民族は家畜以下だったのです。 米英人の捕虜でも殺傷した事例は多くあり、戦後は、ニュールンベルグ裁判で裁かれました。
このようなナチスの所業を真似る自民党なら、巷に多い似非右翼に煽られて排外主義的政策を法制化し、尖閣諸島の有事に名を借りて、治安立法を企てて、国民の諸権利を制限し、日本民族の血を守るために不義の国を撃つことは日程に上がって当然でしょう。 政治家の失言、で済ませられることではありません。 9.11後の米国を観れば歴然です。 彼の国では、「テロ防止」が口実の「米国愛国者法」でしたが、日本では、「秘密保全」が口実になるのですか。
麻生副首相は、根が正直なのでしょうね。 つい本音が出るのでしょうか。
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