ミャンマーでの民主化運動とは何か
- 2013年 8月 6日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー岡本磐男民主化
私はミャンマーの社会、政治や経済の現況について本格的に調査、研究したことは一度もない。それでもここ数年のミャンマーの社会情勢については少なからず関心を抱いてきた。それというのも新聞等のマスコミの報道によれば、この国を支配する権力者は軍事独裁政権に依拠しており、他方で民主化運動を行ってきたアウンサンスーチー氏は抑圧を受けて軟禁されているとの記事をしばしば目にしてきたからである。だがマスコミの報道は大むね表面的なものが多く深くこの国の社会の実相を知らせるものとはいい難いものであった。それは多分社会認識に関する記者の能力の限界によるものであろう。その一端は、今年初頃にアウンサンスーチー氏が軟禁状態をとかれ国会議員となったことによってミャンマーはすぐに明るい自由な民主的国家に変わるかの如き楽観的な記事が書かれるようになったことを想起するだけでよい。かねてから疑念を抱いていた私のようなしろうとでも感想を書いてもよいのでは、との考えをもったゆえんである。
ミャンマーは第一に仏教国であり、第二には多民族国家である。この国の経済を考えるにさいして、仏教国という側面をとりあげるなら、それは決して経済を発展させる要因とはなりえない。仏教を伝道する僧侶が人口に占める比重がかなり多いと聞くが、こうした僧侶は経済学的見地からいえば富を生産する生産的労働の人口には含まれないからである。また次に多民族国家という側面をとり上げるなら、民族間の紛争が絶えなかったようであるが、この要因も経済を発展させるという点ではマイナス要因となったであろう。
今日に至るまでの長期にわたって統治者であった軍事独裁政権が、容易に経済の成長や改革を実現できずに、大衆を貧困状態に放置してきたのも、この二要因が大きく関連していたといってよいのかもしれぬ。
だがそればかりではない。軍事独裁政権は第二次大戦後のアジアにおいて先進資本主義国からの植民地独立をかちとったいくつかの国々と同様に、資本主義化ではなく、むしろ社会主義化をめざしたようである。例えば、カンボジア、ラオス、ベトナムのような国々と同様である。このうち、カンボジアでは周知のようにポルポト政権のような非道で残虐な政権が出現したことの結果、社会主義化は転覆してしまったが、残す二つの国々はいまだ社会主義の路線を捨てたわけではない。ミャンマーの軍事独裁政権も多分社会主義をめざして計画化を実現しようと努力したのであろうが、残念ながらこの問題について情報を与えるような資料は殆ど入手できないのである。ただ私見を述べるならば、徹頭徹尾発達し、成熟した資本主義を経験した国でなければ、社会主義を成立させることは無理であろうということである。(現在大国化した中国がその実例を提供しつつあるように思われる。)それは一言にしていえば、烈しい競争関係を強制されない社会主義では、生産力が上がらないためである。
それ故にミャンマーでは、市民、大衆は軍事独裁体制によって抑圧的な体制のもとにおかれていたのかもしれぬ。それは、言論、出版の自由や表現の自由に制約があったとも想像できる。だからこそ、市民、大衆は民主化運動の指導者に期待していたのであろう。日本のメディアにおいては、アウンサンスーチー氏について、父親が民主的政治家であったこと、彼女はイギリスで学問を修め、帰国後は民主化運動を推進する政治家となったこと、最終的には大統領の地位につくことまでめざしていること等は伝えているが、彼女がどのような社会の創造を望んでいるかまでは論及していない。だが現時点にたってみると、彼女がめざしてきた民主化運動とは、資本主義化の推進であり、外国資本のミャンマーへの自由な流入であったといえるのではなかろうか。現在、その結果として生じてきた貧困、失業の増大に対してスーチー氏は現在、その対策に苦慮していると聞く。
ミャンマーは資源が豊富な国である反面、労働者の賃金水準は低い国であるといわれている。資本主義にとってこのような好条件の国の存在を諸外国の巨大資本が黙って見逃しているはずはなかろう。最近におけるミャンマーの資本流入の自由化の進展に伴って、まず欧米の大資本がこの国へ流入し、次には中国の資本も流入し、日本の資本も現在流入しはじめているのではなかろうか。低賃金の労働者は、かつては軍事独裁政権によって搾取されていたのであろうが、現在は巨大外国資本によって搾取されるようになったのではあるまいか。もしこうした見方が当たっているとするならば、スーチー氏による民主化運動によって、国民大衆は言論の自由のような市民的自由はある程度確保したかもしれないが、以前と同様に貧困な生活を強いられ、生活の向上は当分望めないのではなかろうか。
すなわち、本稿でいいたかったことは、日本のメディアが伝えているように、ミャンマーが民主的国家になりつつあるからといって、すぐに国民大衆が眞に困難な生活環境から解放され幸福になりつつあるとみるのは余りに楽観的であり、利益としての利潤を得るのは、むしろ海外の巨大資本(企業)の方であろうということである。もっとも民主化し開放された国になることは望ましく、その意味ではスーチー氏の功績は評価されるべきではあるが、国民大衆が眞に豊かな生活を享受するようになるためにはまだ10年から数10年に及ぶ時間を必要とするように感じられるのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion1397:130806〕
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