何故、従業員は朝礼の唱和を拒否しないのか?(続)
- 2013年 8月 8日
- 交流の広場
- とら猫イーチ
前稿で「東京大学の教授方へは、大学当局から何等の人権侵害は為されていないのでしょうが」と書きましたが、環境保護関連では、元東京大学に居られた御二人の先生方が、末長く「万年助手」に留め置かれたことを書き損じましたので蛇足ながら付け加えたいと思います。 その御二人とは、故宇井純先生と中西準子先生です。
故宇井純先生は、公開自主講座「公害原論」が名高い存在で、その講義録は、環境問題を研究する者にとってはバイブルとも云えるものでした。 また、中西準子先生は、国家政策である大規模流域下水道建設と下水処理の在り方に鋭い異論を唱えられ、これまた、著書である「都市の再生と下水道」は、当時の建設省がゼネコンと一体化して進めるバラマキ政策の矛盾を是とするか否かを問わず、関連の職場に働く者に必読とされたものでした。 両著ともに激しく同意をした私は、その時点で勤務先の某官庁にとっては、要注意人物化したのでした(笑)。
宇井純先生について
「1956年に東京大学工学部応用化学科卒業。日本ゼオンに勤務した後、1959年に東京大学大学院工学系研究科に戻り、応用化学科、土木工学科に所属し、1965年に新設の都市工学科(衛生工学コース)助手(実験担当)となる。専門は下水道。 -中略‐ 招来を嘱望されていたが、助手就任の1965年に新潟水俣病が発生し、実名での水俣病告発を開始したため東大での出世の道は閉ざされ、「万年助手」に据え置かれた。」
「1970年より、公害の研究・調査結果を市民に直接伝え、また全国の公害問題の報告を現場から聞く場として公開自主講座「公害原論」を東京大学工学部82番教室にて夜間に開講。 以後15年にわたって講座を続け、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。こうした活動は大学当局にとっては非公認の活動であったが、外部からは、同時期に都市工学科の助手だった中西準子とともに「東大都市工学科の良心」とみなされることもあった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BA%95%E7%B4%94
宇井純 Wikipedia
中西準子先生について
「61年、横浜国立大学工学部工業化学科卒業。67年、東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻博士課程修了。東京大学工学部都市工学科(衛生工学コース)助手となり汚水処理、下水道計画を研究。国の当時の下水道行政の誤りを厳しく指摘し、その後の行政にも影響を与えたが、都市工学科内では疎外され助手の地位にとどめられる(同じ時期、宇井純も都市工学科の万年助手であった)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E6%BA%96%E5%AD%90
中西準子 Wikipedia
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