地下水の連想
- 2013年 8月 12日
- 交流の広場
- 山端伸英
よくわからないのだけど、福島の地下水は、そんなに浅いところに流れているのだろうか。 30メートル、50メートルの地中には地下水はないのだろうか。その地下水の汚染こそ問題ではないのだろうか。
日本の反動的コースについて、1930年代との「類似」は1970年代から言われている。そもそも三島氏の動きはそれそのものだった。僕は剣道で東調布警察で彼にあだ名で呼ばれていたことがあるが、彼の持っている人間関係への憧れみたいなものはやはり時代掛かっていた。
久野収さんは朝日の論壇時評の会合で、突然、朝日の記者に不愉快そうに発言したことがある。「僕のほうに来週天皇が君の会社の築地新社屋を事前に訪問するという話がある。君は知っているのか。」「たとえ、上層部がそうだとしても、では、僕らの仕事は一体なんなんですか?、、、まあ、これだけは言っておきたかったんでね。」
もちろん、天皇ヒロヒトは事前訪問だけで、築地ビル開所式のごたごたには参加しなかった。久野氏の当時の論説には、その意味で危機感が満ちている。
日本はバブル期から人間の質が大きく変わった。あるいは人間の質を大きく変えた。三里塚という御料地にかかわった宇沢氏も天皇の勲章を受けるらしい。
しかし、わたくしは信じている。組織やメディアの反動化の下でも、「疎外」は常に新しい形で地下に水脈を生み出していくと、わたくしは信じている。
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