玉音放送の日に石川逸子の詩を読む ―「戦後レジーム」を忘れないために―
- 2013年 8月 15日
- 評論・紹介・意見
- 『石川逸子詩集 増補千鳥ヶ淵へ行きましたか』半澤健市石川逸子詩
3 特攻 ゛
まっさらな きりきりとひたぶるに純粋な
青うい
十代の あなた方の心を てもなく操り
死へ ひたすら死へ 駆りたてた
男たちが憎い
葡萄のように真盛りの生を
一挙に断ち切るしかなかった あなた方
(ひたすら逐われたのだ)
だれからも離れ まっさおな空に孤りで
(たった一人の男のために)
でも 還れない出立の前に
ふるさとの母へ向けて まっしぐらに飛んでいった 若い心よ
5 母恋うる歌
「母上の御手の霜焼いかならんと見上げる空に春の動けり」
村川弘さん 神風特別攻撃隊第二御楯隊指揮官
昭和二十年二月二十一日 硫黄島周辺で特攻戦死
あなたのお骨は この地下にいますか
弓野滋さん たった十九歳
昭和十八年三月八日 駆逐艦「峯雲」砲術手としてソロモン海域で
戦死
「熱みると我がぬかの上に手をおきし土あれのみ手肥(こえ)のにほひす」
ソロモン諸島の戦死者は 八万八千二百人
茨城で田を打つ あなたのお母さんが聞いたこととてなかった
遠うい南の海の底に きっとあなたは沈んだまま
陸軍特別攻撃隊第五十一振武隊の
光山文博さん
あなたの骨はどこですか
「たらちねの母のみもとぞしのばるる弥生の空の春霞かな」
朝鮮慶昌南道にうまれた あなたの
本名はなんといったろう
あなたの骨が この地下で
「天皇陛下御下賜の陶壺」に入れられていら
あなたの歯がみする怨みが
ぞおっと聞こえてくる 千鳥ヶ淵
6 石の碑
大きな石の碑が建っていました
「過まてる国の政策のため
無惨な骨となりし人たち ここに眠る
ああ永久(とわ)に戦争許すまじ」
と刻まれているだろうか
天皇の歌でした
「くにのためいのちささげしひとびとの
ことをおもへばむねせまりくる」
ほかでもない あなたに
捧げられた 夥しい いのち
「大君の醜の御楯と身をなさば雲染む屍何か惜しまん」
牛久保博一 東京医科大学出身
「戦友(とも)は征く我も又征く大君の御楯とならん生きて還らじ」
小野正明 十九歳
「大君のみことしあれば天地(あめつち)のきはみの果も行き行き果てむ」
大森重徳 トラック諸島方面にて死す
あなたに捧げつつ
なお断腸の思いで母を偲んだ
二度と生きられない命を思った
死の前夜 若者たちの胸に溢れた涙を
あなたは知っているか
「告げもせで帰る戎衣※のわが肩にもろ手をかけて笑ます母かも」
知覧から飛び立っていった鷲尾克己よ
「送りくれし数々の文見つめつつ別れし去年(こぞ)の母が眼を恋う」
敗戦五日前に回天に搭乗していった永井淑夫よ
二度と還らない人たちのために
せめて 一片のうたではなく
僧となって彼らの後世を弔いつつ
隠れ住んでほしかった あなたには
■出典 『石川逸子詩集 増補千鳥ヶ淵へ行きましたか』(花神社、1993年刊)
※(じゅうい)=軍服のこと。
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