同胞団弾圧に軍事裁判も動員
- 2013年 9月 7日
- 評論・紹介・意見
- エジプト坂井定雄
―クーデター後のエジプト(7)
クーデターで打倒されたモルシ政権の与党ムスリム同胞団と支持者への、エジプト軍と治安警察、暫定政権の徹底的な弾圧が続いている。非常事態下の軍事法廷は3日、スエズ市でのデモ・座り込みを8月14日に強制排除した軍に抵抗し、逮捕されたモルシ支持派の人々に、終身刑1人、5-15年の投獄刑48人、釈放12人の判決を下した。
同じ14日、カイロでは2か所のモルシ支持派の座り込みを治安警察が強制排除、800人以上の支持派の人々が死亡、数千人が負傷し、少なくとも千人以上が逮捕された。スエズでは、軍がデモと座り込みを強制排除、逮捕者を軍事裁判にかけ、わずか3週間で61人に判決を下したのだ。非常事態下では、軍と警察は令状なしに一般市民を逮捕でき、軍事裁判にかけられる。軍や警察にとって、クーデター・非常事態発令の大きな利点のひとつだ。
クーデター後の1か月間に、軍と警察に逮捕された、同胞団員と支持者は数千人にのぼり、検察当局が裁判所への起訴手続を開始しているが、軍事法廷の裁判は、手続きが簡素で、起訴から判決までほぼ即決、しかも控訴が事実上できない。デモ参加者への軍事法廷での裁判は、30年間続いたムバラク独裁政権が発足以来維持していた非常事態下でも限られていた。
モルシ大統領以下の政権幹部、イスラム同胞団の最高指導者バディウはじめ中央、地方組織の主要幹部が根こそぎ逮捕されたが、軍や警察の鎮圧行動の際に、手あたり次第捕まえられた同胞団員と支持者も多数いて、女性も多い。
検察当局は1日、モルシを同胞団幹部14人とともに、殺人扇動などの罪でカイロ刑事裁判所に起訴した。昨年12月、大統領官邸前に集まった反大統領派のデモに対し、同胞団員らを扇動して暴力を行使させ、少なくとも7人を死に至らしめたという容疑である。
1952年の民族主義革命以来、ナセル、サダト、ムバラク3代60年間の軍人大統領の独裁政権では、54年にナセルがムスリム同胞団を非合法化し、弾圧したが、それ以来、歴代大統領は、同胞団の福祉活動や宣教活動をあまり規制せず、サダト時代は協調的、ムバラク時代には、国会選挙に同胞団の名前とスローガンをださせずに無所属で立候補を認め、この同胞団系が議席の4分の1を占めたこともあった(2005年)。2011年の「1月25日革命」後の軍政下、同胞団は正式に団体登録し、自由公正党を政党登録している。
最近、暫定政権のベブラウィ首相も閣僚も、同胞団の再非合法化と解散の意図を公言し、アレキサンドリアでの裁判で同胞団員の被告の弁護人になった、リベラル派の女性弁護士を「同胞団に加入した」という理由で逮捕するなど、実質的な非合法化が始まっている。
暫定政権のマンスール大統領は4日、初めてのテレビ・インタビューに応じ「警察国家が戻ってくることはない」と強調した。しかし現実は、クーデター後のエジプトで、ムバラク独裁政権もやらなかった同胞団弾圧が行われている。
9月3日の軍事裁判判決を、最も早く、正確に報道したニューヨーク・タイムズ電子版は次のように書いているー
「2か月が経過したエジプト暫定政権は3日、その地位を追われた大統領、モルシのイスラム主義支持者たちを裁くため、素早い軍事裁判の利用を推し進めた。アルジャジーラ(カタールの国際衛星テレビ)のエジプト局を含む、モルシに同情的な衛星ネットワーク4局の禁止を行政裁判所が命じたのとともに」「軍事裁判は素早い判決ができるため、ムバラク前大統領のお好みの道具だった。しかし彼は、現暫定政権が2か月間にやったほど多くのイスラム主義者を投獄したり、殺したりは決してしなかったが」(了)
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