【俳文】札幌便り(11)
- 2013年 9月 29日
- 評論・紹介・意見
- 俳文木村洋平
誰もいない秋夕焼の広場かな
雑木林の向こうは色に染まって。この秋は空から降りてくる、だんだんに。
数えればひふみよいくつ星月夜
なんの日か秋桜みんな咲いている
都会の夜空は星も見つからないようでいて、探せば増える。「今日はなんの日」と唱えたくなるような、群生。
月はまだ半分にてもなかなかや
爽やかに珈琲の香も漂い来
中秋の名月を待ちながら、夜の道を歩く。上弦の月。近所の珈琲屋からは風向きで離れていてもふと焙煎の香ばしさが漂う。
陰る日の陰り方さえ秋めきて
空き家にもおとなうものぞ蔦の壁
雲の向こうに隠れる日もゆかしく。「おとなうもの」(訪れる者)は秋。今年の札幌は中秋の名月をくっきりと見られた。
この道に空き地ができて小望月(こもちづき)
名月や梢の先に登りたし
名月を北国の子も見上げてる
人の背丈の二倍はあるだろう、木の枝の先ならばもっとよく見えるだろうか。鳥か童のように腰掛けて。ところで、名月と北国の取り合わせは不思議なものに思える。芭蕉は中秋の名月を見に鹿島詣をしたが、江戸の俳人の誰も北海道の月は詠まなかったろう。
十六夜に札幌の雲かかりけり
だから、月と北国の取り合わせだけで新鮮に感じてしまう。
居待月空紺色に晴れ渡り(いまちづき)
なんの趣向もないようでもある。北国の空は、以前にも書いたが色が薄い。真っ暗になれば黒一色と思われるかも知れないが、そうでもない透けるような紺色が残る。今年の月はよかった。
真鰈のさばけた笑顔北の人
札幌の人は移住者に対して分け隔てがないと言われる。その態度には救われる。「さばけた」は掛詞。
秋晴れやいずれの国の境まで
拳法の指先に来る蜻蛉かな
公園で太極拳をしていると、ゆらゆら蜻蛉が寄ってきて指先に止まった。そのまましばらくくっついている。手の向きを変えると、それに合わせて上に来る。いっそ散歩をしようかと思ったら飛び去った。
誰よりも早く染まるや七竈(ななかまど)
紅葉。「誰よりも遅くて蝦夷の桜かな」(拙句、既出)と呼応させた。
色変えぬ松にとどまる池の水
草の実や鳥になりたき心地して
子ひとりを置いてけぼりや鱗雲
へびいちごかなにかを見つけた。置いて行かれた子供のようなさみしさを覚えるのは秋が深まるからか。それとも病のせいだろうか。
眠らずに過ごす昼なし花梨の実(かりん)
夕方に目覚めれば「きたあかり」(じゃがいもの品種)のポタージュを作る。
じゃがいもの国のじゃがいも甘いこと
北海道の街灯はオレンジがかっている。雪降るなかでも道を照らすためだろう。春や夏には気がつかない。
オレンジの灯ぞやわらかき冬隣
初出:ブログ【珈琲ブレイク】http://idea-writer.blogspot.jp/2013/09/blog-post_27.html より許可を得て転載。
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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