10/10中野アソシエ、育鵬社教科書は「日本の敗戦」をどのように歴史偽造するか?
- 2013年 10月 8日
- 催し物案内
- 増田都子
皆様
こんばんは。犯罪都教委&1悪都議(2悪はすでに消滅)と断固、闘う増田です! これはBCCでお知らせしています。重複、長文、ご容赦を。
毎月第2木曜日、「育鵬社『歴史偽造』中学歴史教科書を読みながら、真実は何か?」を考える近現代史講座です。10月は以下の内容で行います。
*日時:10月10日(木)19:00〜21:00
*場所:東京中野・協同センターアソシエ
東京都中野区中野2-23-1 ニューグリ-ンビル301号
中野駅南改札口 徒歩2分 電話 03-5342-1395
*参加費:1000円
*テーマ「日本とドイツの敗戦」
*内容
育鵬社教科書は、沖縄戦については「米軍の猛攻で逃げ場を失い、集団自決する人もいました」などと、あまりにも見え透いた歴史「偽造」を行っています。第一次安倍内閣の時に、文科省が「日本軍に強制された集団死」という趣旨の記述を削除させた事がありました。これに対し、沖縄において、「島ぐるみ」と言われた全県的批判が湧き起こり、当該記述の再修正を文科省も承認せざるを得ませんでした。それにもかかわらず、「集団自決」の原因は「米軍の猛攻」だったなどと・・・
しかし、このテーマの記述でもっとも重大な歴史偽造は、昭和天皇は「ポツダム宣言を受諾するという外務大臣の意見を支持しました。それにより内閣は、受諾を決定しました。」と、淡々と歴史事実を記述しているように巧妙に見せかけながら、その真横に青色背景の目立つ囲みコラムで下村海南の『終戦記』をあげ、その理由は、昭和天皇が「私は自分がどうなろうとも国民の命を助けたい」と考えたからだと、思い込ませるようにしているところでしょう。これは、もちろん、多くの日本国民は信じ込まされていることなのですけど・・・
もし、本当に、昭和天皇が「私は自分がどうなろうとも国民の命を助けたい」と考えていたのなら、どうして、その半年前に、近衛が「革命が起こるよりマシだから、終戦を」という趣旨のことを上奏したのに、聞く耳をお持ち遊ばされなかったのでしょう? 歴史のifは無意味とはいえ・・・もし、この時点で降伏していたら、どれほどの「国民の命を助け」ることができていたでしょうか?
さらに、この教科書は、数々の証拠から、あの、もう捏造であることが明らかな「敗戦当日の皇居前」、つまり8月15日に皇居前に多くの人々が土下座している写真を載せ、「多くの人々が、戦争に敗れたことを天皇におわびしている。」というキャプションをつけています。
天皇の側近中の側近だった木戸幸一は手記(東京大学出版会)の中で「八月十五日、御放送のあった後、続々と宮城前広場に続と集まった群衆の中から、万歳万歳という声が屡々聞かれた。これを役所の事務室で聞いて居ると敗戦と云ふのに何だか奇妙な感じを受け」と書いています・・・広い皇居の「役所の事務室」の中にいる人にまでハッキリと聞こえたのですから、「多くの人々が、戦争に敗れたことを天皇におわび」どころか、「多くの人々が、戦争に敗れ」て戦争が終わったことを、大喜びして大歓声を上げていた!
ま、木戸は続けて「その反面、楠公銅像の前で割腹する人があると云った異常な風景であった。」とは書いてますけど、しかし、「多くの人々が、戦争に敗れたことを天皇におわびしている。」という事実があったとは、全く書いていない!
さて、真実はいかに? 昭和天皇は、本当に「自分がどうなろうとも国民の命を助けたい」と考えていたのでしょうか? 数多くの証拠資料を見ながら考えていきましょう!
御都合のつく方は、ぜひ、御参加ください!
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。