二千数百年前のヘイトスピーチ罪
- 2013年 10月 9日
- 評論・紹介・意見
- ヘイトスピーチ岩田昌征
『朝日新聞』(平成25年10月7日、夕刊)第一面に「ヘイトスピーチは差別」の大文字が踊っていた。
東京都新大久保における他民族に対する憎悪言論示威行動と憎悪言論粉砕行動のニュースが私達を驚かせてから久しい。憎悪言論の内容たるや、近代人権思想侵犯を云々する以前に、私たち日本民族の伝統的和の感性を逆撫でする。新「日本人」が局所的に誕生してしまったのかとさえ思われる。
旧ユーゴスラヴィア多民族戦争の最中においてさえ、「良いクロアチア人(セルビア人、ムスリム人)でも悪いクロアチア人(セルビア人、ムスリム人)でも、クロアチア人なら殺せ!」などと叫んでデモをするなんてことはなかった。我が日本において平和な時代にこんな異常事態が起ってしまった。国辱という言葉がぴったりする。
流石、和文明伝統の地、京都地裁は、ヘイトスピーチを「著しく侮辱的、差別的で人種差別に該当し、名誉を毀損する。」と1226万円の賠償を命じた。
私達東洋世界の文明の中に「言葉の暴力」に罰金を科す法制が二千数百年昔に厳存していた。古代印度の古典『カウティリア 実利論──古代インドの帝王学(上)』(岩波文庫)にそれを読むことが出来る。以下に引用する。
「言葉の暴力とは、侮辱と罵倒と恐喝である。身体・性格・学問・職業・出身地、隻眼、跛などの肉体を侮辱したりした場合、真実なら3パナの罰金を、虚偽の侮辱なら6パナの罰金を科す。」(p. 307 太字は岩田)
「隻眼や跛の人などに対して『美しい眼をしている』などと誉めて難ずる場合には、12パナの罰金を科す」(p. 307)
「彼が敵意を持ち、害を加える能力がある場合、彼は(裁判官の前で、被害者に対して)終生(の安全を)保証しなければならない。」(p. 308)
現代日本社会は、平成25年10月7日の京都地裁判決のおかげで、二千数百年昔の古代印度のレベルに達した訳である。
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〔opinion4639:131009〕
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