半沢直樹のいないみずほ銀行 ―「元金融機関勤務」者の感想―
- 2013年 10月 14日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市組織銀行
金融機関に40年勤めた私は退職してすでに18年経った。現場を離れるとカンが鈍るのはどの商売も同じである。倍返しドラマは一回しか見ていない。むしろ一般人の感覚で感想を書いておく。
半沢直樹がいない三つの理由
だれもが半沢直樹になりたい。しかしだれも半沢直樹になれない。これが銀行内部の実態である。現に事実がそうなっている。バブル期前後に活躍した第一勧銀の革新四人組は、作家高杉良が「金融腐食列島」の主役に描き、迫力ある面白い映画にもなった。四人組の背後には無名匿名の支持者が多かった筈である。作家江上剛は四人組の一人だった。しかし彼らが活躍しても第一勧業銀行―業界では「一勧」「DKB」時に「デクノボウ」と呼ぶ―の闇はなくならなかった。半沢直樹の証券会社出向と江上の作家転職は同じ構図である。彼らは敗北したのである。なぜこういう結末になるのか。高偏差値集団でなぜこういうことが起こるのか。理由を考えてみた。
一つは組織の論理である。
二つは金融マンのカルチュアである。
三つは日本人の特性である。
まことに平凡である。
組織の論理は個人を越える
組織の論理について次の考察がある。
「現代の第一流の国家の組織や、第一流の企業の組織が独立した生命を持つようになったのは商業や政治の分野において科学、即ち分析と能率判断と効果の集中とから生まれた自由競争の中に放たれた近代科学の方法の当然の結果である」、「一旦確立されたその種の組織の中では、それにはめこまれた人間は、ほとんど創意を発揮することなく、機械的に一部署を受け持つことによって、小企業の責任者が全力を注いで得る能率以上の仕事をすることはができる」、「どんなに多く、私たちは〈僕個人としてはそうは思わないが〉というこの種の組織の奴隷と化してしまった人々の発言を聞くことだろう。そしてまた、私たちは、どんなにしばしば、知人のコンミュニストたちの顔に、〈僕個人としては言いたいことはあるが、しかし党というものに従わねばならないから〉という苦しい表情を見ることであろう」。
これを書いたのは作家伊藤整。60年前の文章である。(「組織と人間」―人間の自由について」、月刊誌『改造』1953年12月号)。伊藤は文学者の運命を描くなかで「組織と人間」の原理論に踏み込んだのである。この考察は古くない。伊藤は「組織の論理」を資本主義社会の「資本の論理」と同一視しない。前衛党を含むあらゆる組織を横断する論理として捉えている。私は自分の経験に照らして伊藤理論に付記するものを認めない。
金融マンのカルチュアギャップ
金融マンのカルチュアというとき「みずほ」の場合は三母体のカルチュアギャップの問題である。興銀は法人を顧客にして国家的プロジェクトを語る論客の多い銀行であった。中山素平はその一例である。資金吸収の苦労も少なかった。その興銀も資金過剰に足を掬われた。今でいう投資銀行への転換を模索する中でバブルに遭遇し料理屋の女将に大金を詐取された。第一勧銀はすでに第一と勧銀の合体である。富士銀行は旧安田財閥の末裔である。いずれも古い歴史がある「立派な」金融機関である。しかし重厚長大型企業の高度成長期には三菱、住友、三井の各集団ほどのワンセット性には欠けた。三母体の内部で上記の「組織の論理」が働くとどうなるか。各母体内の結束強化と母体間権力闘争―他者を無視した相対的独自経営への指向―へと展開するであろう。三社のカルチュアギャップは三種類のエリート意識の混濁した闘争となりマイナスに働いた可能性がある。暴力団融資発覚後の記者会見を見ても一目瞭然だ。
ミッドウェイ海戦で空母4隻を失ったことを海軍は隠していて首相東条英機も知らなかったという。これでまともな戦術がたてられるわけがない。「みずほ」も同じのようである。
私が勤めた信託銀行は大手証券一社と都市銀行二社で1960年に設立された。社内抗争がなかったといえばウソになるが、銀行と証券のカルチュアの違いがプラスに働いた面もあり、何よりも右肩上がりの経済下で大ゲンカをする余裕がなかった。上位同業者への追いつき追い越しが至上命題であった。「みずほ」の場合はデフレ下で投資機会が少なく企業間競争のモーティベーションが少ないこともマイナス要因であったろう。
日本人の特性といいたくないが
日本人の特性論で事柄は何でも説明できる。あまり言いたくない。
「みんながそう言っている」、「みんなが言っていることが正しい」、「みんなの言っていないことをいう人間はおかしい」、「おかしい奴は国賊・非国民である」。大きな飛躍を含む物言いである。しかし企業社会でも―少なくとも私が現役の頃は―この観察と定式は常識であった。学者のいう「集団指向」である。しかし「みんな」の中で最初に言い出す人間がいるはずである。それは誰なのか。しかし私の経験した上級管理職の会議でも「最初」の人は分からなかった。多くの会議は政策決定の会議ではなく―政策は会議の外で決まる―情報交換であったが、結局は、「みんな」は何を考えているのか。「みんな」は何をしているのか。それが何となく分かるような分からないような議事進行であった。会議で一番偉い人間の結論は、常に「慎重にやれ」「大胆にやれ」「情勢をよくみてやれ」「しっかりやれ」「他社の動きをよくみてやれ」「大蔵省の意向をよくみろ」というものであった。役人の書いた施政方針演説のようであるが、これは私の見た真実である。
日本の経営では「理念」や「哲学」が意識され討議されることはほとんどない。戦略・戦術は、だから、理念や哲学がつくるのではなくて「状況」と「みんな」がつくるのである。
お前のいた企業はそんな会社だったのか。日本企業の例外ではないのか。そう思う読者がいるであろう。しかし私のいた企業は5000人の従業員、国内50店、海外にも10店を越えるオフィスをもつ一部上場企業であった。「みずほ」に劣る企業だとは思わない。
わたしのいた企業が例外だという読者はどうか、あなたの会社でどんな理念や哲学が論じられていたか具体的に教えて頂きたい。
みずほ事件の再発可能性は無限大
どう考えても勝てない戦争に突入した「大日本帝国」、「想定内」であるべきリスクを「想定外」として54器の原発を作った「原発マフイア」、役員会で説明があり頭取も知っていたのに知らなかったという社長の記者会見。共通した病原がある。「みずほ銀行」事件は誰にも分かり易い形で日本企業の実態を露呈している。仕方がないと私はいうのではない。しかしすでに述べたように理念と現実の両面に大きな欠落が存在する。それを一つ一つ潰していかない限り「みずほ事件」は、形を変え、時期を変え、至る処に、起こり続けるだろうと思う。
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