自分は騙せない
- 2013年 10月 23日
- 評論・紹介・意見
- 働く藤澤 豊
機械の修理で米国北東部の町工場に出張していた。気のいい保全担当者が手伝ってくれた。よく気の回る人で、こっちがしようとしていることを察して、そんな工具もあったのかと驚く、あったら便利という工具類まで持ってきてくれた。一日中つきっきりで助けてくれた。
昼時になって、彼は機械の横で持ってきたサンドイッチのようなもの食べた。経験した限りだが、米国の工場には一般的にロッカールームも食堂もない。工場で働いている人達には弁当持参が多い。機械の修理に来た東洋系に昼飯の心配をしてくれることはまずない。彼は、食べ始める前に、このあたりにはたいした店はない。ないけどと言いながら、地図を描いてこっちに行けばイタリアンのデリが、こっちに行けば、うまかないけどダイナーがある。。。と教えてくれた。
午後早い時間には修理の目処がたってきた。このままゆけば今夕、たいして遅くない時間までには終われそうだ。作業をしながら、カバー類の水漏れを防ぐコーキング剤にどのようなものを使うか考えていた。いざとなればちょっと走って近くのハードウェア屋で買ってくるかと思っていた。彼も同じように考えていたのだろう、ちょっとツールクリブ(tool crib、消耗品や保守部品の倉庫)に一緒に行って、何かいいコーキング材を探してみようと言い出した。
ツールクリブの親父さんと世間話をしながらコーキング材を。。。で、使用目的に応じた性能のコーキング材が数種類でてきた。これだと思うものをいくつか持って作業場に戻った。戻る途中、といっても機械を修理しているところからちょっと行ったとこの角を曲がったところで彼のダチが仕事をしていた。今、何をしているかをダチに、なんだか自慢げに話ししている。何が自慢なのかと思って聞いていると、最先端の制御技術を搭載した日本製の機械の修理を手伝ってる。手伝えば、色々勉強になる、分かるか?って。
機械に戻ってきた時は三人になっていた。話を聞いたダチが仕事そっちのけで俺にも見せろとついてきた。手伝ってくれいた小柄のアメリカ人に、ダチのいかにもアメリカ人という大男がああだのこうだの言いながら、その横に貧相な日本人の三人が修理中の機械に向かって歩いていった。歩いていたら、色々なお達しのような紙が貼ってある壁に典型的なアメリカの一コママンガ(cartoon)、大きなポスターのようなのがあった。まるで一緒にいるチビとデカのアメリカ人と同じような二人がマンガのなかにいる。Cartoonには何を意味しているのか分からなくても、見るだけでなんとなく楽しめるものがある。
チビがデカにCartoonを見ろと目配せした。デカがちょっとみて、これなんなんだ、よく分からないというようなことを言った。なんだろうと思って改めて読んでみた。絵のなかでチビがデカに真面目くさった顔をして言っている。言われたデカは居心地悪そうな顔をして聞いていた。そこには、日本語で言えばおおよそ次のようなことが書いてあった。「ここで一所懸命働いて汗をかくというのは、丁度黒いズボンを穿いて小便たれるようなもんだ。誰も気がつきゃしない、でも自分は騙せない。」Cartoonの前に立って、チビがデカに書いてあることが、道徳的なことでいう前置きをしながら説明した。分かり易い説明だったが、デカの表情にはピンときた様子はなかった。まるでCartoonに描かれているのと同じような、いいコンビだった。
人間誰しも、何時も何時も死ぬほど、限界まで頑張れる訳じゃない。精神的にも肉体的にもそんなことしようがない。なかには、それをし続けることが出来る(と言う)人もいるかもしれないが、それこそフツーじゃない。フツーの人達は、どんなに頑張ったとしても出来る範囲のことを、出来るだけのことを一所懸命やるまでしかできない。もっと、ああしたら、こうしたらというのは必ず残る。残ったとしても、自分としてはここまでしかできない、あるいはやったという気持ち、極端に言えば、自己満足に過ぎないかもしれないが、そこまでしかない。その結果が、あるいは結果に至る経過がどうであれ、自分が出来る範囲で最善を尽くしたという気持ちしかない。この努力と気持を周囲の人達が正当に評価してくれれば、それはありがたい。ありがたいが、周囲の人達に評価して頂くのを目的として頑張っている訳じゃないはずだし、本当にどこまで頑張っているのかは頑張っている本人にしか分からない。
もし、仮に、周囲からはこれ以上は頑張れないところまで頑張っていると評価されたとしても、自分ではそこまでやっちゃいない、上手に手を抜いて(効率的というかもしれないが)、周囲には頑張っているように見えるようにしているとしたらどうだろう。周囲の評価がどうであれ、自分は自分が限界まで頑張っているのか、手を抜いて悪く言えばズルしているのかを知っている。
どう評価されようが、できることには最善を尽くす。尽くした結果が期待した結果でなかったとしても、できることは最善を尽くす、努力する以外にできることがあるとは思えない。周りを見回せば、最善を尽くせない、尽くすことの意義を疑う状況や手を抜くことを当然としかねない条件がいくらでもある。でも、それを理由か言い訳に手を抜けば、自分で自分を腐らせる。自分で自分を貧しい人間にしてゆくことになる。たとえ、周囲に自己満足に過ぎないじゃないかと揶揄されようがバカにされようが、自分が自分として生きるには、できることは最善を尽くそうと努力するだけしかない。
Private homepage “My commonsense” ( http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion4655:131023〕
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