タイタニック号上のノーベル経済学 ―政治経済学は何処へいったのか―
- 2013年 10月 24日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市経済学
盛田常夫氏の『アベノミックスは「天動説」』(ちきゅう座編集部注:http://chikyuza.net/archives/39526)に触発されて感想を書く。
難解な部分もあったが盛田考察は「現代経済学は本質追究を放棄し、現象―それは数理経済学が良く表現する―のみを追いかけ、実体を離れて舞い上がった観念のみによって形成されている」と論じている。私はそう理解した。
《中山伊知郎と宇野弘蔵》
60年前の学生時代に、中山伊知郎と宇野弘蔵の経済原論を聴いた。中山のキーワードは「経済の進歩と安定」であり、宇野のそれは「労働力の商品化」「経済学は金儲けの学問ではない」であった。近経の中山は中労委会長であり厳しい労使交渉を知っていたから現実を認識していたと思う。日銀政策委員でもあった中山に、宇野は言及して「日銀券の発行額は何を基準に決めるのでしょうね。委員がタバコを吸いお茶を飲みながら決めるのですかね」と皮肉った。金本位制を離れた経済学をマル経から批判したのである。 以後40年間、私は実務家だったから、盛田氏のいう経済学の発展―または退廃―の推移を知るところは少ない。
《金儲けに有用なシラーとファーマ》
資産価格はどう決まるのか。その実証分析でロバート・シラーとユージン・ファーマは2013年のノーベル経済学賞をとった。日経社説(10月16日)によれば、二人の資産価格決定論は大きく異なる。シラーは投資家心理が一方向に傾くことで資産価格が合理的に説明できない水準になりうることを立証し、ファーマは投資家の情報取得は常に迅速に取得されるので適正な資産価格が決まるという。私の実務経験は、短期的にはシラーが、長期的にはファーマが正しいと告げている。その当然のことを実務で何度も経験した。近くはシラーの住宅指数はリーマン恐慌分析に有益であったし、古くはファーマ理論がポートフォリオ選択に結実して営業に活用された。しかし問題はそういうミクロな話ではない。エリザベス女王の「経済学はどうなっているのですか」と同じ問いをしたい。
《ノーベル受賞者はタイタニック号上の演奏家》
需給ギャップを埋めるために財政出動する。国債バブルが発生する。財政危機から国債格下げと国際金融危機が発生する。再び金融緩和と返済猶予で財政危機を救済する。各国経済も世界経済もこれの連続である。危機は累積している。
かつて経済学は「政治経済学」であった。スミス、マルクス、ケインズは「本質と現実」をトータルに観察し分析し対応を提示した。結論の当否や好みは別として、ダイナミックで全体性をもつ言説である。シラーやファーマの鉄砲がいかに有益であっても、その基盤たる世界経済自体が沈没の危機にあるのだ。映画『タイタニック』では沈没直前まで優雅な演奏を続けたカルテットのエピソードが描かれていた。ノーベル経済学受賞者はタイタニック号のカルテットに似ていないだろうか。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4657:131024〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。