偽ビール
- 2013年 10月 24日
- 評論・紹介・意見
- 日本文化藤澤 豊
日本には出張で何度も来ていたので、駐在になっても大きな戸惑いはなかった。それでも出張で一週間やそこらホテルに泊まって帰るのと住んでいるのとでは、遭遇することにも見えてくるものにも違いがある。その一つにビールもどきがある。
ヨーロッパにはそれぞれ独特のというのか、日本人好みの言い方で言えば個性豊ないろいろなビールがある。それにひきかえ日本のビールは個性と呼べるような個性が希薄で、主張を感じない。どれもこれも基本的に求めるものが同じ一つの点にあるような造り方をしているように思えてならない。限られた狭い枠のなかでの微妙な違いに鎬を削っているような感じがする。
そこには、日本人が昔から脈々を受け継いできた価値観というか文化のようなものまでがが絡んでいるような気がする。何をするにも、ある一つの到達目標点をしっかり決めて、その目標点に近づくためにストイックなまでの努力を惜しまない。多分、日本人には、到達目標点、あるべき姿というのか価値が、それも互いに相容れないものがいくつもあることは受け入れられないのだろう。もし、右と左のどちらにも同じ価値のある目標点があったりしたら、いったいどっちに進まなければならないのかという、道徳論まで持ちだした価値論の騒ぎになりかねない。ヨーロッパのように、あまりに違いのありすぎる、いくつもの個性豊なビールがなんの抵抗もなく受け入れていることが日本人にとっては、楽しむという立場ではなく造る側に立った時、釈然としないんじゃないかな。そのためだろうが、日本のビールは、違いがないことはないが、どれを飲んでも似たりよったりで、ヨーロパで味わえる広さはない。
この間の週末に、スーパーで安いビール(と思った)を見つけて喜んで買ってきた。一口飲んでたまげた。ビール?じゃない。絶対違う。目標点を厳しく定めてそこに到達することに全身全霊を注ぎ込む日本人がこんなハズレたビールは作りっこない。で、月曜に、その缶を一つ事務所に持って行って、日本人従業員に聞いて驚いた。これはリキュール類っていうビールに似せて作った、言ってみれば偽ビールだという。
偽ビール?なんのこっちゃって思って缶を回して見たが、誰がどう見たって、缶ビールにしか見えない。ましてオレのような日本語の分からない外人には区別なんかつきっこない。まるで騙しにあったような気がして、仲のいい同僚に聞いてみた。きちんと整理立てて説明のできる切れるヤツだ。ヤツが言うには、ビール会社が思い思いの商品名をつけていて、それがビールなのか、ビールもどきのリキュールなのかは、日本人でも缶上の表記を注意してみないと分からないそうだ。
そりゃないだろうって、ヤツに頼んで夕方ちょっと早く引けて、二人でスーパーに行って、一つひとつ、これは本物のビール、こっちはビールもどきの偽物って教えて貰った。デジカメまで持って行って写真を撮ってきた。ビールもどきの多さに驚いた。それ以上の驚いたのが、そのビールもどきを作ってるのがビール会社だというから、たまげた。ビール会社がビールを作るだけじゃ事足らず、ビールもどきまで、それも何種類も一所懸命造ってる。日本のアルコールに対する税金のせいだってヤツが言ってたけど、なんか変じゃないか?
ビールを作ってない会社がビール市場に参入するために、ビールじゃなくてビールに似た、ビールみたいなものを作ってるというのならまだ分かる。ビールもどきが売れれば売れるほど本物のビールの売れ行きは落ちると思うんだけど。日本じゃ、ビールもどきが売れればビールも売れるってんかね?そんなことありっこないよな。ビールもどきが伸びれば、必ずビールの消費が減る。本業のビールを圧迫するビールもどきの製品開発と販売に血眼になってるビール会社っていったいなんなんだ?ヨーロッパだったら、ビールもどきなんてのは売れっこないし、ビールもどきを作るような会社のビールなんかみんなが信用しなくなる。
ヤツに教えてもらってからテレビのコマーシャルも見方が変わった。これはビールの宣伝か、それともビールもどきの宣伝かって。宣伝見る限りじゃ、誰がどう見たって、ビールもどきをあたかも本物のビールに思わせようとしているとか思えない。みんながビールとビールもどきを間違えるようにネーミングして宣伝している。オレが間違えるのも当たり前だ。誰だって間違える。商品名ではなく、値段を見て、これはビール、これはビールもどきって判断するしかない。
テレビも含めてビールもどきのコマーシャルがものすごく多い。ビール会社がビールもどきで、ちょっと考えられないほどの競争をしている。日本人のことだから、ある理想的な一点を目標地点(本来あるべき本物のビールの味)に定めて、ビール会社がビールもどきの製品の開発や改善に心血を注いでいるのだろう。でも、なんか変じゃないか?もし、ビールもどきがどんどんビールらしくなっていったら、そしてちょっと酔っ払ったらしにゃビールと区別がつかないほどにまでなったら、いったい本物のビールはどうなるんだろう?
でも、ビール会社もそこまでバカじゃないだろう。もどきはあくまでももどきに留めて、本物ともどきの両方でもっと売ろうとしているだけだと思う。それでも、厳しい競争がその手加減を狂わせてビールもどきがもどきの線を超えちゃうってことだって起きるかもしれない。
もどきの線を超えるかどうかは別としても、オレには、どう見てもビール会社が自社のビールと間違わせるビールもどきを開発して販売競争しているようにしか見えない。そこにはビールでもない、焼酎でもない、ましてホッピーなんてんじゃない、今までになかった新しい個性のあるアルコール飲料、新しい酒のジャンルを思い描く能力を持ったVisionaryが日本にはいないということを自ら証明しちゃってるんじゃないかと思う。今までなかった、考えたこともなかった新しい理想とし得る到達点を考えだす能力が日本人にはないんじゃないかとすら思える。あるいは考えだして、失敗するかもしれないチャレンジをする、そのチャレンジすることを支持する文化がないということかもしれない。外人の戯言、余計なお節介かもしれないけど、もし、そうだとしたら、ことはビール会社が偽ビールってような話じゃすまなくなる。日本が日本であり続けるための日本の個性とかアイデンティティの問題になる。
今、既にあるものを理想的な到達点、(本物)を見本として、その見本にできるだけ近い模造品を作って、その模造品を改善してよくしていって、努力の末に理想的な到達点に達して、目標とした本物と遜色のない模造品ができあがる。そして、どっちも本物(オリジナルの舶来品と国産品というような)ということでやってきた、そのための努力が上手になってしまった日本の文化?が象徴的に発現したのがビールもどきじゃないか?
独自の理想的モデルとか到達点を自分では考えられなくて誰かに用意してもらわないと、どうしていいのか分からないという文化と言ったら言い過ぎかもしれないけど、どこか日本の受験勉強に似た所があるような気までしてくる。自分でどうしたいってのがない、自分で、自分の、これがオレだっていうような主張のある目標地点を規定できないとしたら、世界じゃ、もう誰も一人前の大人として扱ってくれない。まさか日本人の精神構造の大事な部分に幼児性障害のようなものがあるってわけじゃないと思うんだけど。
こんなたわいのないこと思いながらも、つい値段に負けて偽ビールを買ってきちゃう。そして飲む度に安い味に順応していきそうな自分が怖い。早くなんとかしてくれ。名前や缶のデザインだけじゃなくて、中身もどっちがどっちだか分からない、これぞ世界に誇る(偽)モノ造りジャパンが創りあげた自慢の偽ビールというのを早く創ってくれ。
Private homepage “My commonsense” ( http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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