「ニュー・レフト・アイ」は「総天然色・近視眼・視野の狭さ」が救いで、「小学生の夢」が付録です
- 2010年 10月 23日
- 交流の広場
- 海の大人
4日前に左目白内障の手術をした。まだ入院中である。左目は常に眼帯をしており、しかし、眼帯の中から外が見え、右目との違いがおもしろいので、後に続く者あるを信じて報告しておく。
私は、小学生の頃は、左右の目とも視力1.2であった。それが中学2年生の時から近視になり始め、高校入学の時には0,2程度、30歳の頃には左目が0.02,右目が0.01という視力になっていた。0.5や0.3などと言うのと違って、0.02や0.01というのは視力検査表が全く見えないのであって、これで、人生を過ごすという事は極めて大きな人格的傷を残す。
要するに人から挨拶をされても、その人が見えないのだから、通り一遍の会釈しか返せない。それが10メートル先の人からなされれば、まず、見えないから気がつかない。会釈すら当然しない。ひたすら、対人恐怖に陥る。メガネを買って矯正をすれば良いというのが正解だろうが、電車賃にも困るプロレタリアにそうそうメガネが買える物ではない。常に、合わない眼鏡を掛けるというのは、還暦までの習性と為る。
対人恐怖を克服しようとすれば、対人関係は瑣事だ、俗事にかまけて身を縮こまらせても意味はない、と超俗的構えで生きる他はない。人は見えないから見ない、見ないのだから覚えない、覚えていないのだから知らない、知っている人間を大切にする。知らない人も人間だと言われても、「あっ、そう」と天皇のごとく答える他はない。近代ヒューマニズムよりは、共同体主義のあれこれに自然と関心が向く。
個人としての他人に関心は持てないが、類としての人間はどのように存在しうるのか、その中で、「私のインサイダー」はどのように守れるのか。市民として自己主張する人間は、「どうぞ、ご自由に」と言うだけの事だが、自己主張できない人間で、ただ、頼ってくる人間は身内とする以外ない。偉そうな構えでしか、生きる構えが出来ない。
そんな私が、昨年12月、左目に紗が懸かっているのを意識して毎日を過ごしている事に気付いたのだ。強度の近眼の上に景色の色は薄く、ハレーションを起こし、且つ、50歳代になってからの乱視で物は複数に見える。もちろん活字を読む気力も続かない。あれよあれよという間に、白内障は悪化する。9月からは右目も白内障を実感し始めた。
そしての入院手術だ。部分麻酔というが、麻酔の実感は全くない。痛くないだけで、先生と話しながらの手術だ。ただ、目に光を当てられている強烈さには、網膜のレーザー治療と同じような辛さがある。麻酔が切れかけたのか、最後の角膜縫合の際だけは、血圧が150を超える程度に痛かった。
翌日はひたすらに寝た。翌々日もかなり寝た。そして、主治医の術後検診を受け続けている。外来患者を診る前と後、2人ないし3人の医師から必ず検診されている。自分の事より、医師の忙しさ、ハードワークに改めて感心する。術後経過は順調のようだ。私より若い医師、看護師諸兄姉に、立派だという感慨を持つ。
そこで、術後の左目ガーゼを外した最初の景色が、暗室での検査機械を挟んでの主治医補佐の女医の顔だったのだ。ほの暗い中での40センチほど離れた距離での女の人の顔がはっきり見えたのには驚いた。感激した。40年以上、人の顔が輪郭まではっきりと見えた事はなかったのだ。まさに、総天然色の目の玉である。中学生の頃初めて一人で映画館へ行って観た中村錦之助主演『宮本武蔵』のおつうさんか朱美を観るようなものである。
その後、総天然色にも慣れてきて、すでに感激も薄れつつあるが、しかし、感激は事実だったとして、記しておきたい。感激の次は少しの失望だ。てっきり、映画のように色鮮やかな景色は近くも遠くもはっきり見えるのかと密かに期待したのだが、事前に医師と相談した焦点距離30センチは本当だった。現在の右目の焦点距離は8センチだから、ダブルスタンダードで、室内ならメガネは不要になっている。これも裸眼で打っているのだ。しかも、怖さという点では手術前とは比較にならないくらい小さい。
ただ、メガネの使用が当分の間、おそらくは、1ヶ月から3ヶ月の間は出来ないというのは社会生活を送る上で、決定的に辛い。眼内レンズと眼球の収まりまではメガネの処方は出来ないというが、眼鏡屋は今度は処方箋がないと作らない、と言っていた。車の運転はするなと言う事だろう。しかも、私の場合は右の目の手術もそう遠くないはずなのだ。
さらに気がついたのは、焦点距離30センチの視野の狭さだ、ピントが合っているのは直径5センチから7センチぐらいではないか。これは慣れでかなり克服できるだろうが、やはり、人工物を埋め込んだのだという実感はする。
全体として、手術は確立された技術でもあり、手練れの主治医が実施したと言う事もあって、成功したのだと思う。予後の経過に気をつけるという事がこれからの課題だろう。
最後に付け加える事は二つ、一つは、毎日夢を見るようになったのだが、これが、皆子供っぽいものばかりなのだ。夢の中身は覚えていないが、今日は夢の中で唾を吐いた。怒る夢を見た事は若い頃多かったが、唾を吐く夢などというのは初めてだ。驚いて起きて、眠れず、これを深夜書き始めたのだ。
もう一つは、物がやたらと大きく見える事。500ミリリットルのペットボトルが、とてつもない印象で迫ってくるのだ。こんな大きな物を飲んでいたのかと感心してばかりだ。食器も大きい。この伝で行けば、1合の酒で酔えるのではないかとさえ思ってしまう。しかし、これは「虚」なのだ、「実」は、見た目であるはずはないと言い聞かせているが、これは正しいのだろうか。「実」は先日までの、強度の近視、乱視、白内障で見えていた物こそが「虚」で、酔って初めて酒だったと解るはずだから、両方とも「虚」なのだろうか。私は私の「インサイダー」に尊大に経験を教え、「事物の虚実」については謙虚に教えを請いたいと思う。(終わり)
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