荊州だより―気ままな写真日記(1)
- 2010年 10月 24日
- 評論・紹介・意見
- 土肥誠荊州
ひょんなことから、中国は湖北省にある長江大学というところへ赴任し、日本語の講義をすることになった。中国語を全く話せないが大丈夫かと確認すると、大丈夫だという。それなら、ということでお世話になることにした。
そんなわけで、今年、2010年の秋から私は湖北省の荊州市という街で生活をしている。荊州市というところは、かの「三国志」の舞台になった歴史あるところである。古戦場や赤壁などの歴史的な見どころが満載という土地なのだが、実は私はいまだどこにも訪れてはいない。まだ土地にじゅうぶん慣れていないということと、言葉の壁がまだ完全に払しょくできていないことが大きな理由である。
「三国志」に関する薀蓄は歴史好きの諸賢にお任せするとして、浅学菲才の身は、ここ荊州での生活や街の様子、私が折に触れて感じたことなど、いわば日々雑感を気ままに書き連ねることにする。請うご期待!…というほど達意の文章が書けるわけはないのだが、気ままかつ不定期に、言い換えれば気が向いたときに投稿したいと思っている。
<長江大学へ>
赴任早々、日中関係がギクシャクしてしまった。尖閣諸島での中国籍の漁船の拿捕が発端となり、中国で一気に反日感情が高まった。これについては、「ちきゅう座」でも多くの論者が様々な議論を展開しているので、皆さんご存知のとおりであろう。こちらでは北京や上海、成都などで反日デモが起こり、ついには荊州の隣の武漢でも反日デモが発生。いつこちらに飛び火してくるか、気が気ではなかった。中国ではちょうど中秋節の連休、続く国慶節の連休と連休が2つ重なるときであり、この機会にちょっと近場を探検でもしてみようかと思っていた矢先であったが、大学からは不要不急の外出は控えるよう連絡が来た。仕方がないので、せっかくの連休ではあったが宿舎にこもることとし、インスタントラーメンをしこたま買い込んで空腹をしのいだ。にもかかわらず、荊州は大都市ではないためか、実にのんびりとしたものである。すくなくとも、私の周りに限れば、身の危険を感じるということはなかった。とりあえず、注意を喚起してくれた大学と同僚の先生には感謝したい。
さて、このへんで荊州市について簡単なご紹介をしておこう。荊州市は、湖北省の都市で、湖北省の省都である武漢市のとなりにあり、蛇行する長江(揚子江)に沿うようにある。北緯30度20分に位置し、日本の屋久島とほぼ同じ緯度だそうである。荊州市人民政府のHPによると、市の人口は647万人だそうで、長江を利用した港湾都市なのだそうである。ただし、中国語の不確かな私がいうことはあまり信用せず、実際に下記のHPをあたっていただきたい。南京、重慶、武漢は「中国の三大かまど」と呼ばれており、夏は蒸し暑い。武漢では、暑いときは気温が40度を超えることもあるそうである。湿度も相当なものだそうで、夏は辛いらしい。冬は冬で底冷えがして、0度を下回ることもあるらしい。ということは、隣の荊州でもこの気候はそんなに変わらないだろうから、荊州もやはり夏は暑く冬は寒いのであろう。いまから冬が思いやられる。ちなみに、荊州市は武漢市からだいたい200kmぐらいの距離である。車で高速道路を使って、2時間ぐらいといったところである。
・荊州市人民政府のHP→http://www.jingzhou.gov.cn/
(このページの左側中ごろの「荊州概況」に説明がある。ただし、中国語である。)
長江大学は、湖北省荊州市にある省の重点大学のひとつだそうである。長江大学HPによると、全部で123万平方メートルあまりのキャンパスを有し、3200人を超えるスタッフと2000人を超える専任教員がいるとのことである。2003年に荊州市にあったいくつかの大学が合併して長江大学となったらしく、キャンパスは荊州市内の方々に点在している。
・長江大学のHP→http://www.yangtzeu.edu.cn/
(中国語である。)
ところで、上の長江大学HPを見てもらうとわかるのだが、長江は中国語で“Changjiang:チャンジャン”といい、長江大学は“Changjiang daxue (University)”という。ところが 、英文では“Yangzi University”、すなわち「揚子大学」となっている。これは人から聞いた話であるが、欧米では揚子江にある大学というイメージが強いため、英語では“Yangzi University”と表記するようになったとのことで、だとするならば中国語表記と英語表記が異なっている珍しい大学であるといえよう。いわば、上智大学を“Sophia University”と、桃山学院大学を“St. Andrew’s University”というのと同じようなものだろうか。
私の所属する文理学院は、三国志の舞台として有名な荊州城址の中にあり、なかなか快適な場所である。私は、ここの外語学部の外聘講師として日本語専攻の学生に日本語を教えているのである(写真1)(写真2)。
・文理学院のHP→http://wlxy.yangtzeu.edu.cn/
(中国語。「外語学部」のサイトは、まだ工事中のようである。)
(写真1)長江大学文理学院正門
(写真2)外語学部の入る校舎
<思えば遠くへ来たもんだ>
8月の初旬であったか、長江大学に就職が決定しビザの発給等も済み、やれやれ一段落ということでゆっくりしていたら、大学から8月27日までに中国に入国し、大学まで来るようにとの連絡があった。新学期開始は9月1日からであるが、そのまえに手続等いろいろあるらしい。そこであわてて航空券を手配し、部屋の整理等を始めたのであるが、これがなかなか進まない。前日の26日は知り合いが壮行会を開いてくれるとのことだったので、ありがたく参加した。荷造りが進まない中、当日は「酒はコップ3杯だけにして、あとは荷物の整理」と堅く心に誓って参加した。しかしながら、酒を目の前にすると誓いはもろく崩れるのが悲しい人の性である。壮行会がお開きになった後、帰宅してから午前5時まで、しかも途中から私の弟を呼んで最低限の荷造りだけ終え、大急ぎで空港に向かった。この日は一睡もせず髭も剃らず、機上の人となったのであった。
当日の昼過ぎに上海、浦東空港に到着。国内線に乗り換えである。いつも思うのだが、中国の空港に降り立ったとき、決まってパクチーという香辛料のにおいがするのは、私だけであろうか。よく外国人から「日本の空港に降りたら醤油のにおいがする」という話を聞くが、おそらくそれと同じなのであろう。上海に降り立ったからには是非リニアモーターカーに乗ってみたかったのだが、残念ながら時間がなくて今回は見送るほかはなかった。残念!
国内線に乗り換えて武漢へ、武漢の天河空港で長江大学の先生と待ち合わせである。「髭も剃っていないのでまずいなぁ」と思いつつイミグレーションを通過し、ターンテーブルから荷物をとって外へ出ると、迎えに来てくれたのは日本語を教えている中国人の先生であった。「土肥先生ですか、はじめまして…」。なんと!日本語が通じるではないか…!!機内では中国語の会話ブックを見て挨拶をイメージし、いざとなったら拙い英語でコミュニケーションをとる覚悟をしていたので、私の中で一気に緊張感がほぐれた。大学に向かう途中、とりあえずの日用品等を購入し、私が住む予定の教員宿舎に案内された。この日は爆睡したことはいうまでもない。
<食を楽しむ>
中国は、旅行で何度か訪れたことはあったが、生活するというのは初めてである。しかも、荊州は歴史的な建造物はたくさんあるにも関わらず、日本人観光客などめったに来ないというところらしい。
荊州市という街は、北京や上海のような大都会ではなく、かといって全くの田舎というわけでもない一地方都市である。長江大学の文理学院キャンパス(城中区という)は、キャンパスの前に学生街が広がっており、多くの学生相手の店が軒を連ねている。たとえて言えば、早稲田大学とその周辺を想像していただければ、まあ当たらずとも遠からずといったところである。正門の周りは、安食堂やスーパー、弁当屋などがひしめきあっていて、食事時には学生であふれかえる(写真3)。
(写真3)正門前の学生街 後ろの白い建物が長江大学文理学院の学生寮。
撮影時は食事時を過ぎているので、学生であふれかえってはいない。
私が長江大学に来て最初にやったこと…、それは飯を食える場所の探索であった。腹が減っては、戦はできぬ。まずは学食を発見しなくてはならない。ラッキーなことに、学食は私の宿舎の目の前にあった。ここで、若干の説明が必要であろう。長江大学では、外国人教員には教員宿舎が無料であてがわれる。これはおそらく、中国の大学ではどこでも同様であろう。教職員宿舎や学生寮は、すべて大学のキャンパスの中に建設されている。長江大学の教員宿舎は電気、水道が無料でガスだけはプロパンガスを個人で購入することになる。ただし、私は凝った調理をしないので、ガスは使っていない。電気でお湯を沸かしたり、インスタントラーメンを作ったりするぐらいがせいぜいである。話を戻すと、私にあてがわれたキャンパスの中の宿舎は、学食へ徒歩1分以内という立地条件であった。すなわち、雨が降っても学食へはほとんど傘を濡らさずに行くことができるわけで、学食は早くも私の御用達となってしまった。私は、早速学食カードを作り、学食にて日々3度のタンパク源を摂取しているのである(写真4)。ちなみに、講義棟へも宿舎から歩いて5分程度である。
(写真4)学生食堂 私に生きる源を与えてくれる貴重な場所である。
長江大学の学食は、カフェテリア方式である。といっても、日本の大学にある学食のようなカフェテリアを想像してはいけない。学食に入ると、まずご飯コーナーで小型洗面器のような食器にご飯を盛ってくれる。この時にICチップが埋め込まれた学食カードを電子読み取り機にかざすと、ごはん代がカードから引かれる。その後おかずコーナーに行き、カフェテリアに並んでいるおかずを注文するとご飯の上に希望したおかずを盛ってくれ、カードを読み取り機にかざせば会計は終了である(写真5)。学食は、ご飯の他に麺類や点心も出しているが、人気はやはりご飯である。ちなみに、カードにはあらかじめいくらかチャージしておき、そこから引き落とされる方式である。チャージ金額が少なくなったら、またいくらかチャージしておく。ここで注意しなくてはならないのは、例えばおかずで麻婆豆腐とチンジャオロースを頼んだ場合、この二つがご飯の上に一緒に盛られるため、二つの味が混ざってしまうという難点がある。おかずの注文は、辛いものどうし、酸味のあるものどうしなど、同系統のメニューをチョイスするのが鉄則である。学食の飯は、食が進むにしたがってご飯とおかずが混ざり合い、独特な味のハーモニーを奏でる。ただし、同系統のおかずである限り、混ざり合っても味そのものは旨い。学生は質より量を重んじる傾向があるようで、男子学生も女子学生も、みんな「小型洗面器」に入った、ご飯とおかずが混然一体となった食事をペロリと平らげて学食を後にする。なんといっても、学食は安くて飯の量が多いのが魅力である(写真6)。
(写真5)長江大学の学食カード なかなかしゃれている。下の本は、日本語の教科書。
(写真6)学食の飯 2種類のおかずが盛られている。ご飯はおかずの下にある。これで2元(約25円)。
ちなみに、これはある日の私の昼食である。
学食は、安くて味もまあまあであるが、毎日学食だと何となく浮気心が出てくるものである。そんな時、私は外食と相成る。といっても、私の行くところは高級という文字とは無縁な、大学周辺の学生相手の食堂である。でなければ、弁当屋で弁当を買って持ち帰る(写真7)。
(写真7)正門前の弁当屋で購入した持ち帰り弁当。5元(約60円)。
たかが学生相手の店だろうと侮ってはいけない。これが、ちょっとした旨さなのである。さすがに4000年の歴史を持ち、世界三大料理に数えられるほどのことはある。まあ、本当の世界三大料理の一つを満喫するには高級餐庁(食堂)に行くべきなのであろうが、学生相手の店もなかなかどうして、私には旨くてしかたない。しかも、持ち帰り弁当は3~6元(約36~74円)で購入でき、食堂で食べても1食4~15元(約50~180円)ぐらいのものである。ビールもほとんどの店においてある。私はしだいに荊州での生活にも慣れ、なじみの店も数件ではあるができた。
しかし、ここ荊州に来たころは、やたらと辛い料理があるのには閉口した。日本人にとって湖北地方の料理はもともと辛めではあるが、はじめのころは半端ではなく辛い料理があった。食べ始めると舌がヒリヒリとしてくるのであり、最初の頃は汗と涙を流しながら食べていたが、今ではもう慣れた。こうしてみると、人間の環境への適応力は案外高いのかもしれない。まあ、きわめて主観的な評価ではあるが…。
こうして、私は中国で豊かな(?)食生活を満喫しているのである。
<長江大学で講義をする>
荊州に着いた次の日、8月28日であったと思う。日本語専攻の中国人の先生に呼び出され、教科書を手渡された。日本語教育は専門外であり、中国語もできない私は、てっきり「日本事情」みたいなことをやらされるのかと思っていたら、会話と聴解の授業をやってほしいという。こちらは日本にいる時に、日本の経済事情に関する本を用意したり日本の若者文化に関する資料を集めたりしていたのだが、大学は決まった教科書で教えてくれという。日本語専攻の学生なので、講義は日本語で構わないとのことであった。大学なのに教科書が決まっているのかと思ったが、考えてみれば学生はよほどのことがない限り、日本語に触れるのは大学に入ってからであろう。かくいう私も、第二外国語で履修したドイツ語は、大学に入ってからアー、ベー、ツェーを習った。語学教育の特質かもしれないが、初期のころは決まった教科書で順を追って身に着けていかないと、その習得はなかなか難しいのかもしれない。それに、当初は外国人を教えるなど想像もつかなかったから、教科書があったことは逆に私にとってはよかったのかもしれないのである。
初日の講義では自己紹介をして私が日本人であることを告げ、中国語がまだ話せないことを伝えた。そうこうしているうちに一ヵ月半が過ぎ、授業も順調に進みだしたころ、とんでもないハプニングが私を襲うことになろうとは、このときの私は夢にも思わなかったのである。
(つづく)
(写真8)長江大橋に落ちる夕日
*写真は、すべて筆者撮影である。素人ゆえ、写真撮影が下手なのはご了承願いたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion183:101024〕
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