TPPとアベノミクス~国民が豊かになるのか TPPと経済成長戦略~
- 2013年 11月 6日
- 時代をみる
- 醍醐聡
以下は「農業協同組合新聞」平成25年10月20・30日合併号(TPP特集保存版)に掲載された拙稿である。同紙編集部の了解を得て、このブログに転載することにした。ただし、標題と小見出し、末尾の関連用語解説は編集部が付けたものである。
本号には田代洋一、清水哲朗、宮本忠壽、岩月浩二、小林綏枝、郭洋春、鈴木宜宏の各氏の論稿も掲載されている。また、1面には農民作家・星寛治さんの「文化の大義は大地耕すこと」という文章が掲載され、3面にはJA全中専務理事・富士重夫氏へのインタビューが掲載されている。
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TPPとアベノミクス
国民が豊かになるのか TPPと経済成長戦略 (東京大学名誉教授・醍醐聰)
・第3の矢とTPP交渉
・交渉先読み競争力会議
・工程表なき遠大な目標
・おとぎ話の農業改革論
・経済の回復実現可能か
◆第3の矢とTPP交渉
「アベノミクス」の外見的特徴は「経済財政運営と改革の基本指針 脱デフレ・経済再生」(2013年6月14日、閣議決定)に示されている。
そこでは第3の矢と称される「民間投資を喚起する成長戦略」の解説に紙面が割かれているが、基本的なシナリオは民間投資を喚起する環境を整備することによって企業の設備投資を喚起し、それを通じて雇用の拡大と家計の所得増加につなげ、経済再生と財政健全化の好循環を生み出すというものである。
そして、民間投資を喚起する環境整備の柱として、[1]生産性の向上を生む科学技術のイノベーション、[2]新たな成長分野の開拓、[3]グローバル化を活かした成長が立てられ、[2]では世界を惹きつける地域資源などの分野には巨大な潜在的需要や市場化に伴う雇用創出が見込まれ、将来の日本の成長の中核となることが期待されると記している。また、[3]では、貿易と投資の双方の拡大を目指し、ヒト・モノ・カネが自由に行き来できる環境の整備、グローバルに稼げる分野の確保、ビジネス環境の整備などに取り組むことが重要とし、その一環としてTPP(環太平洋パートナーシップ)協定交渉に積極的に取り組むことにより、アジア太平洋地域の新たなルールを作り上げていく上で中核的役割を果たすとしている。
◆交渉先読み競争力会議
このように、「成長分野の開拓」、「グローバル化」、「雇用の創出」、「ヒト・モノ・カネの自由な行き来」といった美辞麗句が並べられると、誰しもアベノミクスに期待こそすれ、異議を差し挟む余地などないかのようなムードが醸し出される。むしろ、メディアはアベノミクス効果で株価が右肩上がりに上昇するボードを見つめてほほ笑む人々の姿を繰り返し映し出し、景気回復への期待感を膨らませるのに大いに貢献した。
しかし、アベノミクスの経済政策は、そのエンジン役として設置された産業競争力会議の協議の中身をのぞくとバラ色の外見が一変する。たとえば、医療・介護等分科会では「健康長寿産業を創り育てる」を目標に掲げ、この分野の市場規模を2020年に16兆円(現状12兆円)に拡大するというが、検討項目として挙げられているのは、保険給付対象範囲の整理(実態は縮小)と保険外併用医療の大幅拡大、公的保険外のサービス産業の活性化、医療の国際的展開の推進等である。 その具体策として、安倍政権は150万人が受給していると言われる要支援サービスを介護保険の対象から外して市町村の独自事業に移すことを予定している。医療の国際的展開とは海外の富裕層を日本に呼びこむ医療ツーリズムの推進に他ならない。こうした政策は「健康」も営利産業の成長分野と位置付け、利益の上がる分野への投資を奨励する一方、「健康と命も金次第」という医療格差、健康格差を一層助長するものに他ならない。
その際、留意しなければならないのは、こうした医療・介護の分野にも利益優先の市場原理を持ち込むアベノミクスは、TPPあるいは日米2国間協議を通じて日本の医療保険市場への進出をもくろむアメリカ企業や多国籍企業の利害と平仄を合わせているという点である。
なぜなら、わが国が医療保険の分野で公的保険の給付範囲を狭めることはそれだけ民間保険の市場を広げることにほかならないが、こうした公的医療保険外しは、日本の巨大な医療サービス分野を取り込もうとするアメリカ企業にとって願ってもない市場開放策となるからである。
◆工程表なき遠大な目標
現に、日本は日米2国間協議でかんぽ生命が独自のがん保険の商品開発を停止すること、日本郵政が米国系保険会社(アフラック)のがん保険を全国2万の郵便局等で売り出すことに合意した。
農業の分野ではどうか? 産業競争力会議の農業分科会は、今後10年間で全農地面積の8割が担い手によって利用され、産業界の努力も反映してコメの生産コストを全国平均で4割削減し、2020年には6次産業の市場規模を現在の10倍の10兆円に押し上げるとともに、10年後には農業・農村全体の所得を倍増するという夢のような戦略を策定すると謳っている。政府自身、TPPに参加すると農業生産だけで3兆円減少すると試算し、われわれ大学教員作業チームの試算では関連産業も含めた全産業で10.5兆円の生産額と190万人(うち農林水産業で約146万人)が雇用の場を失うと試算しているなかで、このような遠大な目標を達成する工程表は全く示されていない。
◆おとぎ話の農業改革論
さらに、見過ごすことができないのは農業分科会が検討項目として企業参入を加速化するための方策を挙げ、農業生産法人の出資要件や農業従事要件の見直しといった規制緩和策を策定しようとしている点である。こうした方策の行き着く先は企業による農地所有の解禁、耕作者主義の放棄に他ならない。しかし、企業による農地の直接保有を認めたら、農業の生産性の向上が見込めるのかというと逆である。地形的にスケールメリットが働きにくい農地が数多く点在するわが国で耕作者主義を放棄し、営利第一の企業に農業を委ねたら、数少ない優良農地だけをクリーム・スキミング(いいとこ取り)して、不利農地は耕作放棄地として放り出されることは明白である。農地が所在する地域に生活の場を持たず、地域経済の振興、地域財政の健全化に関心を持たない企業が利益第一で立地を選別することは、地域振興の期待を担って誘致に応じた企業が営利上メリットがないと悟るや早々に撤退して行った事実を思い興せば明らかである
しかも、工業用地と違って農地は地力維持の観点から、農業を継続する意思のある担い手によって営業され続けることが生産性の維持・向上のための不可欠の条件である。利益重視の企業に農地を解放すれば農業の生産性が向上し、日本の農業は輸出力を高めて成長産業に育つなどという「おとぎ話」に惑わされてはならないのである。
◆経済の回復実現可能か
そもそも論に立ちかえると、アベノミクスは企業の活力を刺激し、投資を誘引することが雇用の増加、家計の所得の底上げ、景気回復につながると言う好循環を描いているが、昨今の実体経済を直視すると、こうしたシナリオが実現する保証はないばかりか、むしろ実現を遠のかせる政策が目白押しである。金融を緩和して貨幣供給を増やせば設備投資が増えるかのように言うが、日銀が作成している資金循環統計を見れば、民間企業は資金超過部門であり、余剰資金が向かう先はバランスシートの資産サイドでいうと国債などの有価証券であり、負債・資本サイドでいうと労働分配の引上げではなく内部留保である。
政府自ら企業に業績向上に見合った賃上げや雇用拡大を要請しても、それは業績が上向いた一部輸出産業などに限られる。家計の可処分所得が低迷し、国内消費が伸び悩む状況を放置したまま、減税で企業に設備投資を促したり、海外からの企業進出を呼び込もうとしたりするのは「合成の誤謬」(個々に見れば一見合理的にみえても、トータルで見ると不本意な帰結が生れる状況のこと)の一種である。
世界でも例を見ないほど低い事業主の社会保険料負担や業績回復局面でも横ばいが続いた労働分配の低さなど、社会的要因に起因して270兆円(資本金1億円超の企業の合計)にも積み上がった内部留保のごく一部を社会全体に還元して格差是正、社会保障の充実策の財源として活かすには内部留保税の創設といった大胆な税制改正が必要である。逆進性の強い消費税を増税する一方で、景気回復につながる保証のない法人税減税を実施するのは無定見な企業優遇策以外の何物でもなく、財政再建を遠のかせる結果しか生まない。
アベノミクスとTPPは一見無関係に見えるが、国民の大多数を貧民化させるのと引き換えに、ごく一部の内外の企業に永続性のない利益の機会を生み出すことをよしとする反国民的な経済路線という点では軌を一にしている。
【関連用語解説】
○「経済財政運営と改革の基本指針」
経済財政諮問会議の決定を受けて今年は6月14日に閣議決定した。「骨太の方針」とも呼ばれるもので次年度予算編成の考え方も示す。2013年の同指針のサブタイトルが「脱デフレ・経済再生」。農業については「地域・農林水産業・中小企業等の再生なくして日本の再生なし」と題した章で、担い手への農地集積、6次産業化、輸出拡大、戸別所得補償制度の見直しと新たな直接支払いの創設検討などに言及している。また、総理官邸に設置されている「農林水産業・地域の活力創造本部」で具体策を早期に取りまとめるとされている。
経済財政諮問会議は平成12年に内閣府設置法に基づいて設置された。経済財政政策の重要事項を審議する。議長は総理大臣。民主党政権時代は国家戦略室が設置されたため同諮問会議は開催されなかったが、第2次安倍政権で再開された。
(現在の諮問会議議員)(敬称略)
▽安倍晋三総理(議長)
▽麻生太郎財務大臣
▽菅義偉官房長官
▽甘利明経済再生担当大臣
▽新藤義孝総務大臣
▽茂木敏充経産大臣
▽黒田東彦日銀総裁
▽伊藤元重東大教授
▽小林喜光三菱ケミカルHD社長
▽佐々木則夫東芝副会長
▽高橋進日本総研理事長
○「産業競争力会議」
安倍政権は昨年12月、「日本経済再生本部」の設置を閣議決定した。経済財政諮問会議と連携し、政府が一体となって経済対策を打ち成長戦略を実現することが目的。全閣僚がメンバーで本部長は安倍総理。その本部が今年1月設置を決めたのが「産業競争力会議」だ。法律に基づく機関ではない。
日本経済再生本部(24年12月26日に閣議決定)
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産業競争力会議
(25年1月8日日本経済再生本部が設置決定)
議長は安倍総理。議長代理の麻生副総理と副議長の甘利大臣、菅官房長官、茂木経産大臣以外の大臣と民間有識者は安倍総理が指名した。分科会は「農業」、「医療・介護等」、「雇用・人材」、成長戦略の「フォローアップ」がある。
(民間議員)(敬称略)
▽秋山咲恵・サキエコーポーレーション社長
▽岡素之・住友商事相談役(規制改革会議議長)
▽榊原定征・東レ会長
▽坂根正弘・コマツ相談役
▽竹中平蔵・慶大教授
▽新浪剛史・ローソン社長
▽橋本和仁・東大教授
▽長谷川閑史・武田薬品社長
▽増田寛也・東大客員教
▽三木谷浩史・楽天会長
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