核戦争の脅威、北朝鮮かアメリカ合衆国か?
- 2013年 11月 12日
- 時代をみる
- 松元保昭核戦争
私たちの耳も長いあいだ、「戦争の脅威」はイランだ、北朝鮮だと、慣らされてきました。
60年目になる朝鮮戦争休戦協定発効の7月27日の直前に、グローバル・リサーチ・センターの設立者、ミシェル・チョスドフスキィ氏が、「だれが核戦争の脅威なの か?」ときびしく問う論考を発表しましたので、拙訳ですが紹介させていただきます。
7月27日の記念日に、オバマ大統領は、休戦協定の 一方の当事者であることも忘れて「韓国が勝利した」などと、朝鮮民主主義人民共和国と休戦協定そのものを無視した発言をしていました。
一方、日本は朝鮮戦争「特需」を土台にその後の経済発展 を遂げたことも忘れ、米ソ冷戦下の状況のみならず、この戦争には、あらゆる資産を収奪した36年に及ぶ日本の植民地支配が深くかかわっていたことも忘れ、さらにその後の「戦争・戦後責任」も忘れて、「他人事」 のような有様です。まさに、「歴史を忘れた民族に未来は無い」(日韓戦で韓国サポーターが掲げた横断幕)。
フクシマを経て、原爆投下68年目を迎えるとき、「原爆神話」を利用したアメリカの核脅迫政策が東アジアと世界をどのように管理、演出してきたの か、考える材料にしていただきたいと思います。(2013年8月4日記)
The Threat of Nuclear War, North Korea or the United States?
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http://www.globalresearch.ca/the-threat-of-nuclear-war-north-korea-or-the-united-states/5343793
核戦争の脅威、北朝鮮かアメリカ合衆国か?
ミシェル・チョスドフスキィ教 授(松元保昭訳)
2013年7月25日
グローバル・リサーチ誌
西側メディアが北朝鮮の核兵器準 備を全世界の安全保障の脅威として描いているのに、半世紀以上ものあいだ核攻撃(戦略)で米国が北朝鮮を脅迫していることを認めよう とはしない。
2013年7月27日 の休戦記念日では、北と南の朝鮮が朝鮮戦争(1950~53)の終結を記念するだろう。1950年の朝鮮戦争の初期に、米国が北朝鮮に対する核兵器の使用 を考えていたことは、広範な大衆には知られていなかった。戦争の直後に米国は、1953年の休戦協定に違反して、朝鮮民主主義人民共和国 (DPRK)に対して先制攻撃を基本とした核兵器を韓国に配備した。
●「ヒロシマ・ドクトリン」を北朝鮮に適応
韓国に関連する米国の核ドクトリン は、大規模に民間人に向けられた1945年8月のヒロシマとナガサキへの原爆投下 に引き続き創案された。
「ヒロシマ・ドクトリ ン」の もとでは、核攻撃の戦略目標は何万もの死者をもたらすことになる「大規模な犠牲者を生 み出す出来事」を誘発することであった。その目的は、軍事的征服の期待値とし て全国民を脅えさせることであった。軍事目標は、主要な目的ではなかった:「副次的被害」の観念は、ヒロシマは「軍事基地」だっ た、したがって民間人は軍事目標ではなかったという公式の見せかけに従って、民間人の大量殺害の正当化として利用された。
ハリー・トルーマンの言葉では:
「われわれは、世界史 上もっとも恐ろしい爆弾を発見した。 この兵器は、日本に対 して使われるべきである。…[われわれは]女性や子どもたちではなく、軍事目標および兵士や船員が標的であり、そのように使いたい。 たとえジャップが、凶 暴で冷酷で残酷で狂信的であっても、公共の福利のため世界のリーダーとして古い都市、あるいは新しい都市にその恐ろしい爆弾を落とす ことは出来ない…目標は完全に軍事的なものであろ う…これまで発見されたもっとも恐ろしいものだが、それは最大限利用されるだろう。」(ハリー・S・トルーマン大統領の 日記、1945年7月25日)
「世界は、最初の原子 爆弾が軍事基地広島に落とされたことに注 目するだ ろう。というのは、われわれがこの最初の攻撃で民間人の殺害を可能な限り避けることを望んだからであった。」(ハリー・S・トルーマン大統領の 国民へのラジオ・スピーチ、1945年8月9日)
[原注:最初の原子爆弾は1945年8月6日にヒロシマに落とされた。二回目は8月9日 ナガサキで、同じ日に国民に向けてトルーマンのラジオ・スピーチがあった。]
米国政府と軍隊上層部の中では、ヒロ シマが軍事基地であったとは誰一人考えていなかったのであって、トルーマンは自身とアメリカ国民に嘘をついていたことになる。今日まで、 戦争終結をもたらし最終的には「人命救助」のための避けがたい犠牲として、日 本に対する核兵器の使用が正当化されているのだ。
●米国核兵器の韓国における備蓄と配備
朝鮮戦争が終わったわずか2,3年後に、米国は韓国における核弾頭の 配備に着手した。ウィジョンブ(議政府市)とアニャン=ニ(安養市)におけるこの配備は、1956年の早い時期に考えられていた。
韓国へ核弾頭を持ち込む米国の決定 が、相争っている両者に朝鮮(両国)への新兵器の導入を禁止した休戦協定第13項(d)に対する露骨な違反であったことは注目に値する。
(訳 者注:休戦協定第13項(d)の冒頭には、「戦闘機、装甲 車輛、兵器類、および(核兵器などの)攻撃手段を増強するような朝鮮への導入を中止すること:」とある。TEXT OF THE KOREAN WAR ARMISTICE AGREEMENT
July 27, 1953
http://news.findlaw.com/cnn/docs/korea/kwarmagr072753.html)
実際の核弾頭配備は、朝鮮戦争が終 わった4年半後の1958年1月に始まった。「オーネスト・ジョ ン地対地ミサイル、マタドール巡航ミサイル、原子爆破弾(ADM)核地雷、および280ミリ核砲弾と8インチ(203ミリ)榴弾砲:これら 5つの核兵器システムの導入によっ て。」(The nuclear information project: US Nuclear Weapons in Korea参照)
デーヴィ・クロケット発射体(初期の 戦術核兵器=訳者注)は、1962年7月と1968年6月の間に韓国に配備された。その弾頭は、選り抜きの効果を発揮 する0,25キロトンであり、発射体はたった34,5キログラムの重さであった。戦闘爆撃 機の核爆弾は、1958年3月に到着した。1960年7月と1963年9月の間に、三基の地対地ミサイル・シ ステム(ラクロース、デーヴィ・クロケット、およびサージェント)が続いた。対空・地対地の二重任務を持つナイキ・ヘラクレス・ミサイル は1961年1月に着いた。最後に、155ミリ核砲弾・ホイッツアーが1964年10月 に到着した。この増強のピークで、ほぼ950の核弾頭が韓国に配備された。
他のものでは何十年も持ちこたえる一 方で、残る4つの武器タイプだけが、わずかな期間配備された。韓国に対する米国の核兵器配備の全33年間を通じて、8インチ核砲弾・ホイッツアー、唯一その兵器だ けが、1991年後半まで持ちこたえた。最後まで持ちこたえたその他の兵器 は、空中攻撃爆弾(数種の異なる爆弾タイプがB61でその時期が終わるまで配備された)および155ミリ・ホイッツアー核発射装置であった。
公式には、韓国における米国の核兵器 配備は、33年間続いた。その配備は、中国とソ連ならびに北朝鮮を標的にし ていた。
●韓国の核兵器計画
米国の韓国における核弾頭配備と協調 しつつ共存していた大韓民国(ROK)自身が、1970年代初期には核兵器計画に着手していた。公式の説明は、米国が 韓国の核兵器計画を断念させるためソウルに圧力をかけたということである。「1975年4月、いかなる核分裂物 質を生産するより以前に核兵器不拡散条約(NPT)に調印せよ」と。(ダニエル・A・ピンクスト ン「韓国 の核実験」CNSリサーチ・ストーリー、2004年11月9日、http://cns.miis.edu.)
北朝鮮を脅迫する目的とした大韓民国 の核開発は、米国の管理下で1970年代の早い段階からであり、米国の核兵器配備の構成部分として 開発されていた。
その上、1978年、公式にはこの計画が終わったので、米国は、核兵器の使用に 関する大韓民国軍隊の訓練はもちろん科学的に高度な技能を奨励し促進した。そして、心に留めておくことは:大韓民国=米国の合同軍司令部(CFC)合意に従って、大韓民国のすべて の作戦部隊は、統合指令のもとで米軍司令官によって率いられる。これは、韓国軍によって設置されたすべての軍事施設および軍事基地は、事 実上、合同施設であることを意味する。大韓民国には、合計27の米国軍事施設がある。(List of United States Army installations in South Korea – Wikipedia参照)
●米国本土および米戦略潜水艦 からの対北朝鮮核攻撃計画
軍事情報によれば、韓国からの米国核 兵器の移転は、1970年代半ばに始められ、1991年には完了した。
オサン(烏山)空軍基地にある核兵器 貯蔵サイトは、1977年後半には任務が解かれた。この縮小は以下の数年にわたって続 いたが、韓国における核兵器数は、1976年の約540から、1985年には核砲弾および核爆弾など約150の発射装置に減少した。1991年 の大統領核構想のときには、およそ100の核弾頭が残っていたが、1991年12月 にそのすべてが撤収された。(The nuclear information project: withdrawal of US nuclear weapons from South Korea)
公式声明によれば、米国は1991年12月には韓国から核兵器を撤退した。
し かし韓国からのこの撤退は、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)に直接向けられる核戦争という米国の脅迫のいかなる変更でもなかった。そ れどころか:それ は、核弾頭配備に関する米国の軍事戦略の変更に拘束されていた。主要な北朝鮮の都市は、韓国の軍事施設よりむしろ米国の戦略ミサイル原子 力潜水艦 (SSBN)から、および米国本土の核設置場所から、それぞれ核弾頭による目標とされていた:
1991年12月の韓国からの[米国]核兵器の撤 退の後、シーモア・ジョンソン空軍基地の第4戦闘航空団は、北朝鮮に対する核攻 撃計画を任務として課されていた。それ以来、非戦略核兵器による北 朝鮮に対する攻撃計画は、アメリカ合衆国本土にある戦闘爆撃基地の任務となっていた。これらのひとつが、ノースカロライナ州にあるシーモ ア・ジョンソン空軍基地の第4戦闘航空団である…。
「わ れわれは、韓国のシナリオを使って、韓国での交戦をシミュレーションしてみた。…そのシナリオは…核兵器を使用した条件を考慮に入れ た(米国の)国家最高 指令部の決定をシミュレートした。…われわれは、航空機に戦術核兵器を積載するため[兵器]積み込み機、および乗員、航空機を確認し た…。」
15分 以内に目標を攻撃する能力があるので、トライデントD5水中発射型弾道ミサイルは米韓軍の「基幹系システム」で ある。弾道ミサイル潜水艦および長距離爆撃機…
非戦略空輸核爆弾に加えて、水中発射型弾道ミサイルがオハイオ・クラスの戦略ミサイル原子力潜水艦 (SSBNs)に搭載されて太平洋上で偵察することは、また北朝鮮に対する任務をもっていると考えられる。1998年の国防総省(DOD)総括監察官報告は、米国太平洋軍および米韓合同軍によって認定された「基幹系システム」を「彼らにとってきわめて 重要な存在」としてトライデント・システムをリストに載せた。
トライデント・システムの主要な任務 がロシアおよび中国の目標に向けられているにもかかわらず、低い弾道飛行で発射されるD5ミサイルは、北朝鮮における緊急時間を要する目 標に対して非常に特異な短時間通告(12~13分)の攻撃能力を備えている。他のい かなる米国の核兵器システムも、そんなに速く狙い通り弾頭を目標に当てることはできない。太平洋にある2~3の戦略ミサイル原子力潜水艦 (SSBNs)は、ロシア、中国、および北朝鮮の指定された警戒地域の恐れ ある目標に向けて、いついかなる時にも「厳重警戒態勢」にある。
また北朝鮮に対しては、ほとんど特性 が知られていないが、長距離戦略爆撃機が核攻撃の役割として配備されているかもしれない。空軍地図(以下参照)は、北朝鮮に対するB-2(ステルス戦略爆撃機)の攻撃役割を示唆している。B61-11地中貫通核爆弾の指定された運搬手 段として、B-2(ステルス戦略爆撃機)は、北朝鮮の 深く埋設されている地下軍事施設に対する核攻撃任務可能な有力な資格がある。
B61-11地 中貫通核爆弾[ヒロシマ原爆の3~6倍の爆発能力をもつ]および次世代の より強力な地中貫通核爆弾の指定された運搬手段として、B-2 ステルス核爆撃機は、北朝鮮の標的に対して重要な役割をもって いると考えられる。最新の改良兵器は、8時間以内で新B-2核攻撃任務の計画を可能にしている。
「当時、韓国政府は撤退を確 認してい たが、米国の主張は明確なものではなかった。その結果として、核兵器が韓国に残されているという―とりわけ南北朝鮮では―うわさが長いあ いだ残された。しかし、その撤退は、1991年の太平洋軍司令部 (CINCPAC)小史の機密情報から一部 はずされて、1998年、太平洋軍司令部によって確認さ れた。」(The nuclear information project: withdrawal of US nuclear weapons from South Korea, emphasis added)
●ブッシュ政権の2001年核態勢展望:先制核戦争
ブッシュ政権は、その2001年核態勢展望で、新しいポスト9・11の「先制攻撃」核 戦争ドクトリン、すなわち、核兵器は非核諸国に対する「自己防衛」の手段として使用されうるとする輪 郭を打ち立てた。
北朝鮮に向けられた「米国核攻撃能力の必 要条件」は、オマハ・ネブラスカの米国戦略司令本部の指揮に従う地球規 模攻撃―中国、ロシア、ならびに北朝鮮を含む若干の「ならずもの国家」に向けられた、いわゆるCONPLAN 8022―の一部として確立された。
2005年11月18日 には、必然的に北朝鮮を含む核戦争演習の検証を経た後、STRATCOM(米 戦略軍)で宇宙および地球規模攻撃司令の戦闘準備が整った。
最新の北朝鮮に対する米国核攻撃計画 は、三つの機能を受け持つようだ。第一は、武力衝突以前に北朝鮮の行動に影響を与えることを目的とした漠然と定義された伝統的抑止力機能 である。
2001年 の核態勢展望で、この機能は、たんに抑止するだけでなく大量破壊兵器に関わることを北朝鮮に思いとどまらせるよういくぶん広げられた。
50年 も核兵器で北朝鮮に立ちはだかっているというのに、さらなる核保有能力を考えているブッシュ政権が、なんとかして北朝鮮に大量破壊兵器 [核兵器計画]の追求を思いとどまらせたいという理由は、まったく不可解なことである。
●だれが脅威か?北朝鮮かアメ リカ合衆国か?
米国と朝鮮民主主義人民共和国(DPRK) との核兵器能力の非対称は、強調されなければならない。アメリカ合衆国のArmsControl.org(2013年4月)によれば:
「戦術核・戦略核、およ び非配備 の核兵器を含めて、5113の核弾頭を保有してい る。」
新STARTの最新の公式発表によれば、5113以上の核兵器からさらに、
「米国は、戦略爆撃機 および792の ICBMs, SLBMs,に配備によって、1654の戦略核弾頭を配備し ている。…」ArmsControl.org (2013年4月).
その上、米国科学者連盟によれば、米 国は500の戦術核弾頭を保有している。(ArmsControl.org 2013年4月)
同じ情報によるDPRK(朝鮮民主主義人民共和国)との対比では:
「およそ4~8の核弾頭に必要なプルト ニウムを 分離した。北朝鮮は2010年に遠心分離器の能力 を公にしたが、高度なウラン濃縮をす るには疑わしい能力で、兵器としてははっきりしないままである。」
専門家の意見によれば:
「北朝鮮がアメリカ合 衆国その他どこかに核武装されたミサ イルを命中させる手段をもっている証拠はどこにもない。今のところ、いくつかの原爆を製造し実験したが、核爆弾を小型化しそれをミサ イルに設置する技術および燃料を欠いている。」( North Korea: What’s really happening – Salon.com 2013年4月5日)
アメリカの著名な核科学者のひとり、 シーグフリード・ヘッカーによれば:
「その最近の脅威にも かかわらず、核実験の経験を制限され たうえ核分裂物質の材料に不足して、北朝鮮はまだ核兵器保有量の多くをもってはいない。」
核戦争の脅威は、DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)から発す るのでなく、米国とその同盟国から始まる。
暗黙のうちに米国の軍事攻撃の犠牲者 となった朝鮮民主主義人民共和国は、戦争を仕掛ける国民、アメリカ本国の脅威の種、そして「世界平和の脅威」として絶え間なく描かれてき た。これらの固定化された難癖が、メディアの一致した見解となった。
一方で、ワシントンは、2002年の上院決議によれば「周囲の民間住民には無 害である」な どとい う、その戦術核兵器の改良ならびに戦略核兵器の刷新に320億ドルを、現在提供している。
DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)に向けら れた、これらの継続する潜在的攻撃という行動および脅威は、また、 中国およびロシアに向けた東アジアにおけるより広範な米国の軍事アジェンダの一部として理解されるべきである。
米国あるいは(日本を含む)西側諸国 にいる国中の人々が、北朝鮮やイランより、むしろアメリカ合衆国が世界の安全に対する脅威であると明瞭に理解するようになることが重要な のだ。
(以上、翻訳終り)
Copyright © 2013 Global Research
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2442:1301112〕
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