石橋湛山のいない21世紀 -機会主義と大衆迎合の国-
- 2013年 11月 19日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市小泉純一郎石橋湛山
ジャーナリスト石橋湛山は、敗戦直後に『東洋経済新報』(1945年10月27日号)で近衞文麿を批判した。近衞は1930~40年代に三度にわたり首相となった政治家である。
《口火をつけたのは閣下の対支政策である》
石橋は、戦後の近衛が東久邇内閣に入閣したばかりか、憲法改正案の起草に参与するとの報道を知って、「切に閣下の反省を乞わなければならない」(石橋、以下同じ)と書き「今次の大戦について国民に対して至大の責任」を感じないのかと問うた。近衞は日米開戦に反対したと語っていた。「しかし歴史は・・さように都合の好いところで断ち切ることは出来ない」。日米開戦の端緒は、支那事変の勃発であり日独伊三国同盟であった。この二つが日米開戦「必至の運命を定めた」のである。事件はともに近衛政権下で起きた。
《閣下はふたたび国家に大害を斉すであろう》
「窮極に於いて大東亜戦争・・に導く口火を付けたものは実に閣下の対支政策であったと言うべきではあるまいか」、「三国同盟に至ってはほとんど狂気の沙汰」であり、「明らかに対米英開戦論者の主張を容れたものであり、而して事実その戦争は起った」。
「閣下は以上の経過を顧みてこの戦争に責任なしと果して言えるか。・・国民の信頼を回復せんとせば・・閣下が支那事変以来経歴せる一切の事実を公表し、軍国主義者の罪を明らかにするとともに、あわせて閣下の罪を天下に謝すことである。仮令いかなる経緯に今回の任命が出づるも、閣下は速やかにこれを拝辞すべきである。しからざれば閣下は再び国家に大害を斉すであろう」。これらは石橋の渾身の言語である。
近衞の責任は東京裁判によって追及されることになった。近衞はそれを屈辱として逮捕の前に自裁したのは周知の通りである。
《我々も小泉の責任を追及していない》
小泉純一郎の脱原発会見に出席したジャーナリストの中に21世紀の石橋湛山はいなかった。第一に安全神話を信じて原発開発を推進した責任、第二に大義がなかったイラク侵攻に協力した責任、第三に市場原理主義の強行で労働者の40%を非正規にした責任。私がYouTubeで小泉会見を見た限り、また新聞で発言大要を読んだ限り、これらに言及した質問はなかった。それどころか靖国参拝の強行を正当化する発言までさせている。
この国は今、オポチュニズムとポピュリズムの世界に突入した。政治家の責任を問わないズルズルベッタリの世界になっている。小泉純一郎の脱原発論へ無条件に同意することに私は反対である。
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