天下の悪法・秘密保護法は許せない -奴隷への道を拒否し、権力を監視する-
- 2013年 12月 9日
- 時代をみる
- 安原和雄秘密保護法
自民、公明の与党賛成多数で成立した特定秘密保護法は天下の悪法である。なぜ天下の悪法といえるのか。戦後日本の針路を決定づけた平和憲法の理念を骨抜きにするだけではない。民主主義の根幹ともいうべき国民の「知る権利」を空洞化させ、民主主義そのものを崩壊させていく恐れがあるからだ。これは民衆、市民にとって奴隷への道といっても過言ではない。
奴隷に甘んじる選択を受け容れるのか、それとも奴隷への道を拒否し、国家権力を厳しく監視し続けるのか。答えは二つにひとつである。言うまでもなく正当な選択は、奴隷への選択を拒否し、権力監視に努めることである。(2013年12月9日掲載)
特定秘密保護法が2013年12月6日夜の参院本会議で自民、公明の与党賛成多数で可決、成立した。この成立を大手メディアはどう論評したか。まず各紙の7日付社説を紹介する。
*朝日新聞=秘密保護法成立 憲法を骨抜きにする愚挙
*毎日新聞=特定秘密保護法成立 民主主義を後退させぬ
*讀賣新聞=国家安保戦略の深化につなげよ 疑念招かぬよう適切な運用を
*日本経済新聞=「知る権利」揺るがす秘密保護法成立を憂う
*東京新聞=民主主義を取り戻せ 秘密保護法が成立
朝日、毎日、日経、東京の4紙はいずれも秘密保護法に批判的であるが、讀賣だけは批判精神で一貫しているわけではない。むしろ安倍政権に理解を示す姿勢である。
以下では12月7日付<東京新聞社説>の要旨を紹介し、<安原の感想>を述べる。
(1)<東京新聞社説の要旨>
国会の荒涼たる風景に怒りを禁じ得ない。国民の代表である「国権の最高機関」で、民意が踏みにじられる異常さ。取り戻すべきは、民主主義である。
◆公約で触れぬ瑕疵
防衛・外交など特段の秘匿が必要な「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法は、その内容はもちろん、手続き上も多くの瑕疵(かし)がある。
まず、この法律は選挙で公約として掲げて、有権者の支持を得たわけではないということだ。
第二次安倍政権の発足後、国会では計三回、首相による施政方針、所信表明演説が行われたが、ここでも同法に言及することはなかった。
選挙で公約しなかったり、国会の場で約束しなかったことを強行するのは、有権者に対するだまし討ちにほかならない。
特定秘密保護法の成立を強行することは、民主主義を愚弄(ぐろう)するものだとなぜ気付かないのか。自民党はそこまで劣化したのか。
◆国民を「奴隷」視か
安倍内閣は国会提出前、国民から法案への意見を聴くパブリックコメントに十分な時間をかけず、反対が多かった「民意」も無視して提出に至った。
国会審議も極めて手荒だ。
同法案を扱った衆院特別委員会では、地方公聴会の公述人七人全員が法案への懸念を表明したにもかかわらず、与党は翌日、法案の衆院通過を強行した。
「再考の府」「熟議の府」といわれる参院での審議も十分とは言えない。参院での審議時間は通常、衆院の七割程度だが、この法律は半分程度にすぎない。
審議終盤、政府側は突然「情報保全諮問会議」「保全監視委員会」「情報保全監察室」「独立公文書管理監」を置くと言い出した。
これらは公文書管理の根幹にかかわる部分だ。野党側の求めがあったとはいえ、審議途中で設置を表明せざるを得なくなったのは、当初提出された法案がいかに杜撰(ずさん)で、欠陥があったかを物語る。
弥縫(びほう)策がまかり通るのも国政選挙は当分ないと、安倍政権が考えているからだろう。今は国民の批判が強くても衆参ダブル選挙が想定される三年後にはすっかり忘れている。そう考えているなら国民をばかにするなと言いたい。
人民が自由なのは選挙をする間だけで、議員が選ばれるやいなや人民は奴隷となる-。議会制民主主義の欠陥を指摘したのは十八世紀の哲学者ルソーだ。
特定秘密保護法や原発再稼働に反対するデモを、石破茂自民党幹事長は「テロ」と切り捨てた。国民を奴隷視しているからこそ、こんな言説が吐けるのだろう。
しかし、二十一世紀に生きるわれわれは奴隷となることを拒否する。有権者にとって選挙は、政治家や政策を選択する最大の機会だが、白紙委任をして唯々諾々と従うことを認めたわけではない。
◆改憲に至る第一歩
強引な国会運営は第一次安倍政権でも頻繁だった。この政権の政治的体質と考えた方がいい。
首相は集団的自衛権の行使、海外での武力行使、武器輸出などを原則禁じてきた戦後日本の「国のかたち」を根本的に変えようとしている。その先にあるのは憲法九条改正、国防軍創設だ。特定秘密保護法はその第一歩だからこそ審議に慎重を期すべきだった。
日本の民主主義が壊れゆく流れにあったとしても、われわれは踏みとどまりたい。これから先、どんな困難が待ち構えていようとも、民(たみ)の力を信じて。
(2)<安原の感想> やがて安倍政権の自己崩壊へ
上述の東京新聞社説は以下のように社説では通常は使わない特異な表現が満載である。例えば「奴隷」という言葉が繰り返し出てくる。
・民意が踏みにじられる異常さ、有権者に対するだまし討ち
・民主主義を愚弄(ぐろう)するものだとなぜ気付かないのか
・自民党はそこまで劣化したのか
・反対が多かった「民意」も無視
・国会審議も極めて手荒だ
・当初提出された法案がいかに杜撰(ずさん)で、欠陥があったかを物語る
・弥縫(びほう)策がまかり通る
・国民をばかにするなと言いたい
・議員が選ばれるやいなや人民は奴隷となる-。議会制民主主義の欠陥を指摘したのは十八世紀の哲学者ルソーだ
・国民を奴隷視しているからこそ
・二十一世紀に生きるわれわれは奴隷となることを拒否する
・日本の民主主義が壊れゆく
・その先にあるのは憲法九条改正、国防軍創設だ
以上の社説表現について結論を言えば、安倍政権が傲慢そのものの姿勢に終始していることを示しているのではないか。しかもその目指すところは憲法九条改正、国防軍創設である。「平和ニッポン」をこれまでとは異質の分野、すなわち「軍事力優先と戦争の日本」に導こうとしているのだ。
だからこそ社説の結びの言葉「民の力を信じて」が生きてくる。「民」としては国家権力を信じられないとすれば、民衆の声、市民の力を信じるほかないだろう。安倍政権は、その意図に反して、実は民衆、市民の「反安倍」への結束を誘(いざな)いつつあるのだ。それがやがて安倍政権の自己崩壊につながっていく。理性も道理も忘却した暴れ者が自己破綻に陥るのに等しい。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(13年12月9掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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