情けない首相を持った! 論理なしの「決断」は匹夫の勇にすぎない
- 2013年 12月 28日
- 時代をみる
- 安倍田畑光永靖国
暴論珍説メモ(128)
また「靖国」である。安倍首相は26日午前、靖国神社に参拝した。7年前の第1次安倍内閣の時に「靖国神社参拝を果せなかったのは痛恨のきわみ」と繰り返していた本人にとっては、この決断は「どうだ、やったぞ!」と胸を張りたいところらしい。
しかし、これによって中国、韓国の「日本は歴史を反省していない」という批判の炎に自ら油を補給することになった。歴史を持ち出しての両国の対日批判にはあたっているところもあるが、尖閣諸島や竹島にまで歴史という大網をかぶせて自分の言い分を正当化する最近のやり方には少なからぬ無理があった。ところがそこへ安倍首相の靖国参拝という背景が描きこまれれば、第三者には両国の無理も道理に見えてくる。こんな簡単な因果関係も読めないとは・・・、国民はあいた口がふさがらない。
「靖国」については、もはや議論は出尽くしている。憲法の信教の自由に抵触するという国内問題もあるが、ここでは国際的な反響にしぼって、問題を確認しておきたい。
中国の王毅外相は26日午後、早速、北京駐在の木寺昌人大使を呼んで抗議した。曰く「靖国神社問題の本質は日本が日本軍国主義の侵略の歴史を正確に認識できるかどうかであり、中日関係の政治的基礎に関わる重大な原則の問題である」
別に新しいところはない。繰り返されてきた主張である。日本の首相が靖国参拝をするたびに、こういう反発を呼び、国家関係が悪くなる歴史を繰り返してきた。小泉首相以来、7年4か月ぶりに参拝をするなら、この相手の論理にどう答えるかくらいは、政治家なら、まして一国を預かる首相なら、考えておくのは最小限の義務であろう。
注釈を加えるまでもないところだが、王毅発言の意味を確認しておく。日本は1995年の村山首相談話で、「遠くない過去の一時期、国策を誤り」、「植民地支配と侵略によって」、「とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」ことを認め、「心からのお詫びの気持を表明」した。そして安倍内閣を含めてその後の歴代内閣はこの談話を踏襲すると公言している。その立場を守るなら、国を公に代表する立場の人間はこの談話の精神に反する行動をするべきでない、ということだ。
したがって、安倍首相以前の首相の靖国参拝は国家関係を危うくする政治問題となってきた。それを十分に知っている安倍首相が今また靖国神社に参拝するなら、村山談話の歴史認識と自分の行動は矛盾しないということをきちんと論理的に説明するのが順序である。それをせずに参拝するなら、それはこれまでの中国などの批判を無視する行動であり、まさしく「中日関係の政治的基礎に関わる重大な問題だ」ということになるだろう。
そこで安倍首相はどういう論理を用意したのか。答えはなにも用意していなかった、である。参拝に関して発表された「談話」はこう始まる。
「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、御霊(みたま)安らかなれとご冥福をお祈りしました」
これは村山談話とはまったく異なる歴史観である。「国のために戦い」と言うが、その戦いを日本政府は「侵略」と認めているのである。「自衛」のためでも、「独立」のためでもない。にもかかわらず、その戦いで死んだ「ご英霊に尊崇の念を表す」ことはその死を百%肯定的に評価し、敬うのであるから、同時にその死に至るまでの行動をもまた百%肯定的に評価し、敬うことになる。論理的にはそうならざるをえない。そこには「国策を誤り」も、「心からのお詫びの気持ち」も入り込む余地はない。「アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」日本軍は、安倍首相の中では、百%正しい尊敬すべき軍隊なのである。
それでいて、安倍首相は同じ談話の中でしきりに「平和」「不戦の誓い」「戦争の惨禍」などの言葉をならべている。それらが冒頭の真意をカムフラージュするための煙幕であることは誰にでもわかる幼稚なごまかしである。こういう人間が日本を代表する地位にいることが私は恥ずかしい。
談話の中に、批判を意識した箇所もないわけではない。「靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが」に始まるくだりがある。ところがその自問自答の答えは、「参拝は政権1年の歩みと戦争のない時代を創る決意を伝えるためだ」である。参拝のもつ客観的な意味が問われているのに、「そんなつもりはない」と言えば、答えになると考えているようである。
「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くありません」というのも同じである。こちらには「つもり」がないのだから、安倍首相の中では「傷ついた」ほうが間違っているということになるのであろう。
今回の参拝にあたって安倍首相は日英両国語の談話を用意し、参拝後の所謂ぶら下がり会見でも言葉数は多かった。しかし、その内容はどこを取ってもこれまでの批判にきちんと答えるものではなかった。これまでの経緯からなにも学んでいない。
昨年来、緊張が高まっている中国、韓国との関係では、先述したように相手側の言い分にも相当乱暴なところがある。しかし、歴史を持ち出されれば基本的には村山談話にある通り「非」は日本側にある以上、謙虚に耳を傾けなければならない。その上で、相手の言い分の誤り、行き過ぎを冷静に指摘して、相手の気がすむのを待つしかない。
ところが安倍政権はこの春の靖国神社の例大祭への閣僚参拝あたりから、対決色を鮮明に打ち出すようになった。加えて特定秘密保護法案を成立させ、さらに憲法改定、集団的自衛権行使をめぐる論議など、故意に相手を刺激していると受け取られかねない振る舞いを続けている。これでは相手も矛の収めようがないだろう。
そして今回の靖国参拝である。これで「軍国主義者・安倍晋三」という中国、韓国のプロパガンダは世界に定着するのではないか。とてつもなく大きなオウンゴールである。さすがの米国も「失望」を表明した。「遺憾だ」「異議あり」程度なら、信頼回復の道もありそうだが、失望させてしまったとなるとそれは容易ではあるまい。
匹夫の勇の決断が国を誤ることになるのか。
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